韓国ドラマ『冬のソナタ』が2003年に日本で放送されてから20年。第4次を迎えた韓流ブームの軌跡をプレーバック。
きっかけは『冬のソナタ』、下地はワールドカップ
韓流ブームのきっかけといわれる『冬のソナタ』だが、韓国コンテンツに詳しい法政大学大学院政策創造研究科の増淵敏之教授は、「その前段階に2002年の日韓ワールドカップサッカーで人の交流が本格的に始まったことも要因だと思います」と語る。
初のアジア開催と2か国共催も初めてとなった大会で、日本は初の決勝トーナメント、韓国はベスト4にそれぞれ進出。両国のサポーターが一緒に応援する光景は、かつて“近くて遠い国”といわれた日韓の印象を変えた。
「行きやすい国という下地ができたところに“冬ソナ”が放送され、ハマった人が続出した」と増淵教授。
高校時代の初恋の人との紆余曲折を描いた王道のラブストーリーだが、中高年の女性を中心に支持された。
「繰り返し視聴が多く、今ほど韓国ドラマが放送されておらず選択肢が少なかったので“冬ソナ”に一気に集中した感じがします。中高年の女性がハマったのには諸説あると思いますが、日本のドラマは若者向けで複雑化していた。
シンプルで往年の『君の名は』のようなすれ違いのドラマに引き込まれたのではないかと思います」(増淵教授、以下同)
『冬ソナ』が韓国俳優注目のきっかけにも
ドラマのロケ地を巡る韓国ツアーや主演のペ・ヨンジュン(50)は“ヨン様”の愛称で人気を集めた。 '04年に初来日した際には、空港にファンが約3500人殺到したほか宿泊ホテルにも駆けつけるフィーバーぶりをみせた。
ヨン様をきっかけに韓国俳優も注目され、ペ・ヨンジュン、イ・ビョンホン(52)、チャン・ドンゴン(50)、ウォンビン(45)は“韓流四天王”と称された。
『冬のソナタ』『秋の童話』『夏の香り』『春のワルツ』は“四季シリーズ”と呼ばれたほか、『宮廷女官チャングムの誓い』などのドラマが好評を博した。
韓国ドラマからK−POPに移行したのが第2次韓流ブーム。
'01年にBoA(36)、 '05年に東方神起、 '09年にBIGBANG、'10年にKARAと少女時代が次々と日本デビューし、ブレイク。大みそかの『NHK紅白歌合戦』にも出場した。
「音楽というコンテンツの幅と年齢層が若者にも広がっていきました。韓国の音楽産業は日本をひとつのマーケットに位置づけしていて、そのために日本語で歌うようにしました」
定期的に盛り上がる韓流の波
韓流ブームは政治的な側面で陰りをみせたことも。
'12年に李明博大統領が領土問題の竹島に上陸したことで一時、冷え込んだが、ブームの火種が消えることはなかった。
'16年ごろから韓国コスメやフードなどがSNSで人気を集めるようになり、第3次ブームのきっかけになった。東京・新大久保のコリアタウンには若年層の女性が押し寄せ、インスタ映えするチーズタッカルビやチーズハットグを販売する店に長蛇の列を作り話題になった。
「ドラマ、音楽だけじゃなく多様化したということだと思います」
そして、パンデミック以降の世界的な韓流が第4次ブーム。
コロナ禍では“おうち時間”が増えたことでストリーミング視聴が急増した。ネットフリックスで配信されたドラマ『愛の不時着』『梨泰院クラス』『イカゲーム』が人気を集めた。
『Dynamite』や『Butter』が世界的に大ヒットしたBTSは、米グラミー賞に2年連続でノミネートされ一世を風靡。さらにはホワイトハウスを訪問しバイデン米大統領との対面や国連でスピーチするなど存在感を示した。
“必然”とも言えるワールドワイドな韓流ブーム
また、女性グループのBLACKPINKはメンバー4人が各自ディオール、シャネル、ティファニー、ブルガリ、サンローランといった有名ブランドのアンバサダーを務める。
映画『パラサイト半地下の家族』は、非英語圏の作品として初めて米アカデミー賞の作品賞のほかに監督賞などを受賞した。
韓流ブームはワールドワイドに波及していった。
「韓国は1997年の通貨危機によって産業構造が転換され、ITとコンテンツを選択し集中する戦略を立てた。サムスン、LG、SKグループがグローバル企業に育ち、コンテンツにも力を入れて結果を出しました。
人口は日本の半分。マーケットを広げるには海外展開しかない。最初から日本は通過点で、北米、欧州市場を視野に入れていたと思います。
韓流ブームは必然で、韓流というジャンルが世界的にも定着しています。
韓流ブームには学ぶべき点も多い。日本は、トラッドコンテンツを大事にしながらフレキシブルに変化していくことが必要ではないでしょうか」
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