在日三世として東京で生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイを女手ひとつで育てたシンシア(60)。小学3年生のとき聴いたブラックミュージックが、彼女の人生を大きく変えた。
「30人いた同級生は年々減り、中学に上がるころには1クラス23人、そのうち女子は8人になっていました。学校をやめた同級生は、日本の学校に転入したり、朝鮮へ帰ったりもしました。8人いた女子のうち、3人はベイ・シティ・ローラーズ派で、私を含む5人はスタイリスティックス派。クラスが2つに分かれていて、互いに『スタイリスティックスのほうがいい!』『ベイ・シティ・ローラーズだ!』と言って譲りません。
『じゃあ両方聴き比べてみよう』ということで、映画館でコンサート映像を上映するフィルムコンサートに行くことにした。ベイ・シティ・ローラーズ派が『トレードマークのタータンチェックを身につけてくること!』と言い出して、『そんなの嫌!』と抵抗したけど、『紙袋でもいいから』と強引に持たされて。ただそこで『やっぱり私はスタイリスティックスがいい!』となりましたけど」
初めて来日コンサートに行ったのは中学2年生のとき。会場は中野サンプラザで、憧れの生歌を聴いた。
スタイリスティックス初の生ライブで電気が走る
「朝一番でチケットカウンターに駆けつけ、『一番前の席をください!』と言ってチケットを手に入れました。生で聴くスタイリスティックスはやっぱり素晴らしかった。オーケストラ演奏のビッグバンドで、もう電気が走りましたね。
チケットを買うとき『会えないかなぁ?』と頼んだら、『会わせてあげるよ』と言われて。中学生のくせに生意気で、だから可愛いなと思ってくれたのかもしれません。終演後、メンバーに会いに楽屋を訪ねて、メンバー全員と会い、さらに羽田まで見送りに行って、一緒に記念写真を撮ってもらいました。
ヴォーカルのハーブ・マレルさんと握手をしたら、外国の香水の匂いがした。その手はしばらく洗えませんでしたね。ハーブさんとは今でも交流があって、当時のことを覚えていると言っています」
歳をごまかしてアルバイト
アルバイトを始めたのも中学2年生のとき。レコードにコンサートと、ブラックミュージックのファンでいるには軍資金が必要だ。地元のファストフード店で、「16歳」と年をごまかした。
「あるときバイト先で広告の撮影があり、外国人の男性モデルからハーブさんと同じ香水の匂いがした。何という香水なのか、どうしても知りたい。片言の英語で尋ねたら、『アラミスだ』と言う。売っている店を調べ、バイトで貯めたお金で買いました。
以来アラミスは私にとって特別な香水になり、ずっと後になって父にプレゼントしています。私の優等生時代は小学校で終わり、中学になるとどんどんグレていきました。1970年代という時代の空気もあったと思います。
何でもアリの『パッチギ!』のような世界で、仲間とつるんで喫茶店に行っては、学生服でたばこを吸っていましたね。親は相変わらず厳しくて、手が飛んでくることもしょっちゅう。
それでもめげずにしたいことをしていました。ある日届いた一通の手紙が、私の中の価値観を一変させた。そこで私は自分のいい子時代に別れを告げようと決めました」(次回に続く)
<取材・文/小野寺悦子>