たかの友梨(75)

「今の目標は、125歳まで生きること。そのためには日々健康で美しくいなければと思っています。実際に風邪もひかないし、元気だし、ほら、肌もつやつやでしょう?」

美容家・たかの友梨の誕生パーティ

 この1月、美容家のたかの友梨が、コロナ禍で自粛していた誕生パーティーを3年ぶりに開催。会場はザ・リッツ・カールトン東京のボールルームで、40年来の付き合いというデヴィ夫人(83)をはじめ約300人の友人知人が駆けつけた。

 1948年生まれの75歳。世にいう後期高齢者の仲間入りを果たしたわけだが、間近で見ても肌はシミひとつなく、もちもちすべすべ。気になるその秘訣を尋ねると─。

「にんじんジュースを毎朝飲んでいて、20年以上続けています。ほかに11品目をバランスよく食べるようにしています。といっても簡単で、野菜にツナ缶、サラミ、チーズ、ごまなど11品目のサラダにアマニオイルをさっとかけるだけ」

 炭水化物と脂質を控え、野菜とタンパク質を積極的にとる11品目食で健康をキープ。さらに週2回のトレーニングと週1回のオイルマッサージをルーティンに取り入れ、身体を内外から整えている。

「ジムでインナーマッスルを鍛え、ホテルのプールで泳いでいます。マッサージは『たかの友梨』の特別なオイルを使っているから、この年齢になっても脚に静脈瘤が浮き出てこない。キレイでいるためには、やっぱり普段のお手入れが大切なんですよね」

 昨年は『たかの友梨ビューティークリニック』創業45周年の大きな節目を迎えた。新大久保に構えた第1号店に始まり、現在は全国に77店舗を展開。サロンはすべて直営で、創業時から変わらず通うファンも多いという。

「スタッフには東洋医学と西洋医学を学ばせていて、確かな技術と知識がある。加えてフランスのアルゴパックやインドのアーユルヴェーダ、ハワイのロミロミなど、世界の伝承技術を次々と導入して、常に進化し続けている。だからお客様も飽きずに通ってくださるのだと思います」

美のカリスマとしてエステ業界を牽引

たかの友梨(75)

 1978年に創業し『たかの友梨』を一大ブランドに育て、美のカリスマと呼ばれ、日本エステ界のパイオニアとして業界を牽引してきた。だがその始まりは決して恵まれたものではなかったと振り返る。

「柳行李(柳や竹で編んだ箱形の荷物入れ)2つを持って、20歳で東京に出てきました。もともとが不運だったから、それをどうにか打破したいという思いが強くありました」

 新潟で生まれ、物心つく前に養子に出された。親戚の家を転々として育ち、住み込みで働きながら定時制高校に通い、理容師の資格を取得する。理容師として働きながら通信教育で美容師免許も取得。22歳でニキビに悩み、外資系の化粧品会社に転職するが化粧品だけでは肌がよくならず、理学療法に興味を持つ。

 その後、24歳でパリへ渡りエステティックを学び、30歳で創業。40歳になるころにはサロンは数十店舗に増え、当時、成功の証とされた西新宿の高層ビル、新宿センタービルにも店を構えた。

体重は増え髪はボサボサ自分の姿にギョッと

「10年たってようやく基盤ができた。でもあるとき右腕だったスタッフに“あなたもそろそろ自分の店を持ちなさい”と言ったら、開口一番“嫌です”と言われて。“たかの院長は幸せそうには見えない。そうはなりたくない”と……」

 なりふり構わず必死で働き続けてきた。気づけば体重は増え、髪はボサボサ、通勤着は着古したニットに運動靴とおしゃれとはほど遠い。ショーウインドーに映った自分の姿を見てギョッとした。

「これまで何のために頑張ってきたんだと、なんだか悲しくなっちゃった。指輪のひとつでもはめてみようかと思って、ふらっと入った宝石店で小さなルビーの指輪を買ったんです。すると翌日みんなが“院長、ステキ! 私も欲しいです!”と言ってくれて。自分がキレイになれば周りも喜んでくれる、憧れてくれるんだと気づきました。だったら私が美しい女性の象徴になろう、それも必要なことなんだと考えるようになりました」

 美のために使うお金は惜しまない。

「お金の使い方はそれぞれですよね。『たかの友梨』の顔として自分をどう見せたらいいかを考え、私が行き着いたのが宝石だった。高価だったけれど、最高のものを身につけ、背伸びをすれば背が伸びる。そういう考え方でずっと生きてきたから」

たかの友梨が注目している最新美容術

 最新の美容術があると聞けば、いち早く現地に駆けつけ取り入れる。

 なかでも近年注目しているのが“ヒト臍帯血細胞”で、赤ちゃんのへその緒からとる順化培養液。大幅に含有率を増量したものをサロンで用いるほか、近く販売も始める予定だ。

「通常の含有率が1%程度のところ、思い切って含有できるギリギリの45%まで入れました。噴霧すると肌がつやつやになって10歳若返って見える。パーティーでつけていたらみなさん驚かれていましたね(笑)」

 サロンと並行し、自らテレビショッピングに出演して商品のアピールを行っている。一番人気の商品は美容成分配合のファンデーション『ジュエリーパクト』。一日で数億円を売り上げており、すでに100万個以上販売した。やはりそれも、たかの友梨という美のカリスマの説得力があってこそ。

「おかしなもので、成分説明の場面になると途端に売れなくなるんです(笑)。それより“ほら、滑らかでしょう”と私が手に取ってご紹介するとみなさん見てくださる。それに、みなさん私の宝石や洋服にも興味を持っていただけて(笑)。だから私もテレビショッピングに出るときは、何かしら新しいものを身につけるようにしています」

 エネルギッシュに夢を体現し、誰もがうらやむ成功を収めてきた。そこにはひとつの哲学があると語る。

「私は自分の運というものを信じている。それが私を突き動かしている。人にできて自分にできないことはない、というのが私の信念。できると信じていれば大抵のことはできるもの。そう信じてきたし、今もそう。この年齢だから無理、ということはないですね」

 地位に富に名声と、望みのすべてを手に入れた。この先一体、何を成し遂げようというのだろう?

「ニューヨークで暮らすのが今の夢。現地にいる友人のハッピーニューヨークなインスタを見ていたら、私もまた住みたくなっちゃって(笑)」

 大のニューヨーク好きで、以前マンハッタンの一等地に別荘を所有していたことも。ニューヨーク暮らしもあながち夢ではなさそうだが……。

「でもサロンを思うとなかなか日本を離れるのは難しい。お客様に喜んでいただくことが私にとって一番大切で、そのためにはどうしたらいいか常に考えています。それにはやはり私自身が125歳まで生きること。私は自称・団塊世代のアイドル(笑)。『たかの友梨』の顔として、この先も元気とキレイをお届けできたらと思っています」

<取材・文/小野寺悦子>