辻希美のブログ『のんピース』が15年目に突入した。
12歳でデビューした辻は『モーニング娘。』『ミニモニ。』『W(ダブルユー)』といったグループやユニットで活躍。同期で同学年でもある加護亜依とともに「恐るべき子どもたち」ぶりを発揮した。
'07年には、ギャル曽根や時東ぁみとともに『ギャルル』を結成して、リーダーに就任。ところが、デビュー曲が発売される前に脱退してしまう。杉浦太陽との「授かり婚」が原因だ。
当時は無責任だと叩かれたが、少し同情的な見方をするなら、これは彼女の反抗期だったのかもしれない。
中学生にして高額納税者の仲間入りをするほどの仕事をこなしてきた辻・加護コンビ。しかし、加護は18歳と19歳のときに喫煙写真を撮られてしまう。辻が授かり婚する2か月前に事務所から解雇され、芸能活動を休止した。それに比べたら、辻の「反抗期」はカワイイものだったともいえる。ただ、彼女は最近、インタビューでこんな発言をしている。
《結婚して妊娠した時点で“もう仕事はできないだろうな”と思っていました》(クイック・ジャパン ウェブ)
ブログは「10回以上“辞めたい”と思った」
仕事を放りだした後ろめたさからだろうが、実際、若くして成功した芸能人が早い段階で芸能界を去ることは珍しくない。が、彼女はそうならなかった。生き残りの決め手となったのは、ブログだ。家事や育児といった主婦としての日常を綴ることで、ママタレブロガーのパイオニアとなり、独自のポジションを築いたのである。
とはいえ、前出のインタビューで、彼女は「仕事につなげようとはまったく考えていませんでした」と回想。
《10回以上“辞めたい”と思った》とも言っている。
気持ちのはけ口のつもりだったのに、ランキングが気になったり、否定的なコメントに傷ついたりすることがつらくなったのだという。
それでも続けたからこそ、今につながったわけだが、その最大の転機と思われるのが「喪服リボン」騒動だ。
ブログ開設から1年後、モー娘。の先輩である後藤真希の母が亡くなり、その葬儀に参列したときのファッションが炎上してしまった。黒でまとめていたとはいえ、つけまつげのギャルメイクに、大きなリボン、ミニスカートというなかなか個性的なものだったからだ。
守ってくれたのはあの“先輩ママタレ”
この炎上から立ち直れた理由を、彼女は3年前『ボクらの時代』(フジテレビ系)で明かしている。ママタレの先輩でもある北斗晶がブログで擁護してくれたというのだ。
「私の名前を伏せて“デカいリボンをつけたっていいじゃないか”みたいな(笑)。私、北斗さんがいなかったら、たぶん今もこうやっていられなかったんじゃないかな、って思うぐらい」
北斗もまた、プロレス引退後は夫とのタッグで生き抜いてきたタレントだ。似た境遇にある辻に、シンパシーを感じたのかもしれない。この一件を機に、この2組の夫婦は仲良くなったというが、妻同士、夫同士も気が合うのだろう。
おそらく、辻もまた、元プロレスラーに負けず劣らずタフな女性なのではないか。そもそも、ブログを毎日数回更新して10数年間も日常をさらけだし続けることは、常人のできることではない。そのメンタルは天性プラス、12歳から世間の注目を浴びてきたという経験によっても鍛えられたのだろう。
「恐るべき子ども」はこうして「恐るべきママタレ」へと変わったのだ。
ほうせん・かおる アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。著書に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)。