2月27日、笑福亭笑瓶さんの告別式が行われ、多くの芸能人やファンが駆けつけた。
「直前まで仕事をしていましたが、2月22日に急性大動脈解離で帰らぬ人となりました。落語家の粋を超えて、モノマネ芸人としても人気に。多くのバラエティー番組で活躍し、俳優業もこなしました」(スポーツ紙記者)
大阪で生まれ育ち、大阪芸術大学を卒業すると、24歳で笑福亭鶴瓶に弟子入りする。
「笑瓶さんは、鶴瓶さんのトークに惹かれたそうです。ラジオ局で生放送終わりを何か月も待ち伏せしたとか。
その後、TBS系のローカル局で放送されていたバラエティー番組『突然ガバチョ!』に出演して人気が出ました。'87年に東京に進出して、TBS系『噂の! 東京マガジン』で全国に名前が広まりましたね。黄色いメガネがトレードマークの愛されキャラでした」(同・スポーツ紙記者)
ガダルカナル・タカの妻・橋本志穂に話を聞くと
命を奪った病は、以前にも笑瓶さんを襲ったことがある。
「モノマネタレントの神無月さんと、'15年に大好きなゴルフに行ったとき、大動脈解離で倒れてドクターヘリで緊急搬送されたことがあります。そのときは幸いにも安静治療で回復して、芸能活動にも復帰したのですが……」(同・スポーツ紙記者)
2度目の病魔を退散させることはできなかった。突然の訃報に、多くのコメントが寄せられている。師匠の鶴瓶は、弟子への感謝を語った。
《師弟関係というよりも、信頼のおける仲間のようでした。一番僕のそばにいて、すべてのことに気のつく男で、すごく彼がいて助かりました。僕より先に逝くとは思いませんでした。すごくええ顔して旅立っていきました。最後に顔見れてよかったです。お疲れさまでした》
大竹まことは、後輩の死にショックを隠せない。
《大阪から東京に出てきてはじめてやったレギュラー(番組)が俺と一緒だったんだよ。もう飲んだり遊んだり、いろんなことしてたね。いやー、まいったなぁ》
笑瓶さんの自宅から歩いてすぐのところに、元『たけし軍団』ガダルカナル・タカの家がある。家族ぐるみの付き合いだったという。タカの妻・橋本志穂が散歩から帰ってきたところで話を聞いた。
「笑瓶さんとは、もともと仲がよかったんですけど、自宅を購入したら、偶然、近所だったんです。主人とよくお酒を飲みに行っていましたし、お互いの家に犬を連れて行き来していました。だから思い出はたくさん。前に、うちの犬が笑瓶さんにじゃれてジーパンに噛みついたとき、犬の乳歯がポロリと抜けてしまったことも(笑)。一度倒れたときは、回復して元気になっていました。だから今回のことは本当にびっくりで……」
ゴルフ場で倒れた後に買ったフェラーリは
橋本が笑瓶さんにお別れを告げに行くと、そこにはダチョウ倶楽部のリーダー・肥後克広がいたという。'22年に亡くなった上島竜兵さんのときと同じように、リーダーは笑瓶さんに寄り添っていた。
「お線香を絶やさないよう、消えたらすぐ火をつけて。本当にいい仲間だなって思いました。笑瓶さん、どうしてこんなに早く逝っちゃったんだろう」(橋本、以下同)
明るく話していた橋本だったが、徐々に思いが込み上げてきたようで、大粒の涙を流し始めた。
「今頃は、なかよしの竜ちゃんと天国でいっしょにいると思います」
笑瓶さんの愛車はフェラーリだった。少なくとも3000万円以上はする高級イタリア製のスポーツカーを買ったのは、以前ゴルフ場で倒れた後のことだったという。
「あのとき、このまま死ぬって思ったそうで“あーあ、フェラーリに乗りたかったな”って思ったみたい。だから“悔いなく生きよう”って買ってましたね。とにかく車が好きで、特にフェラーリは自宅とは別に専用の倉庫を借りて大事にしていました」
悔いを残さないために、諦めたものもある。ヘビースモーカーだったが、倒れてからはきっぱりとやめた。
「最後に会ったのは、昨年12月。私がバイクを買ったら“見に来たで〜”って突然やって来たんです」
笑瓶さんは自分の死についての“夢”を語っていたこともある。東京ドームにお客さんを集め、臨終を迎えるというものだ。
《お医者さんが“ご臨終です”ってマイクで言うと、5万人の観衆が“死んだんや、笑瓶。今、死んだんや”って呟く……。夢物語ですよ。現実にはしないし、できないけども(笑)》(『BIGtomorrow』'03年3月号)
奇妙な夢だけれど、こんな理由があるらしい。
《死ぬときに、日本のこの時代に生きていたってことをひとりでも多くの人に認知していて欲しいなと思ってる》
大丈夫、これからも笑瓶さんの笑顔を忘れません。