定年まで働けばあとは年金で悠々自適……という老後はいまや夢のまた夢、とうてい成立しないどころか、「世界でもトップレベルの超高齢社会を迎える日本では、貧困にあえぐシニアが急増しています」と社会福祉士の藤田孝典さんは話す。
コロナ禍で急増した貧困シニア
2015年、'16年に『下流老人』『続・下流老人』というセンセーショナルなタイトルで2冊の本を出版した藤田さん。困窮する高齢者の存在を世に訴えたのだが、それから7年がたった現在、問題はさらに深刻になっている。
“下流老人”は誰の身の上に起きても不思議はない状況にまできているというのだ。
「生活苦のシニアの数が増えているばかりでなく、その悲惨さの度合いも増しています。特にこの3年のコロナ禍で一気に増え、まるで『シニアの貧困元年』といってもいいくらいです」(藤田さん、以下同)
コロナ禍でアルバイトやパートの非正規雇用で働く人たちが職を失ったのは記憶に新しいが、ダメージが大きかった飲食業、宿泊業、観光業、サービス業などにはシニアも多く従事していた。
貯金が乏しく、高齢になってもなお働き続けざるをえなかった人たちが、職を失うことでさらに厳しい状況に転落したのだ。
「もともと苦しいのに、わずかな現金収入すら断ち切られて、一気に高齢の困窮者が膨れ上がりました。人手不足で低賃金の仕事しかなくても、働けるだけマシと歯を食いしばって頑張ってきたのにもかかわらず、です」
藤田さんは来る日も来る日も相談に乗り、『もう死にたい』という言葉すら聞いたという。
「ギリギリまで耐え、にっちもさっちもいかなくなって相談に来るので、今日明日の食事に困る人も少なくないのです。どこで炊き出しをやっているかを教えたり、無料で食料品がもらえるフードバンクを紹介したり。
とりあえず温かいものを食べたい、少しでもおなかを満たしたい、という人たちが後を絶ちませんでした」
1円の現金もなく、カンパで集めた現金を渡して当座をしのいでもらうこともあったという。
年金だけで暮らせる人は年々減っている
豊かな老後とはほど遠い高齢者たちの実態はデータからも明らかだ。65歳以上の高齢者世帯の1年間の所得金額はわずか100万~200万円が最も多い。これは、現役世代の中央値437万円から激減している。
「現役を退いたのだから仕方ない、年をとればお金を使うことも少なくなるから大丈夫だろうと思われるかもしれませんが、実は支出は思ったほど減らない。逆に介護費や医療費など、それまではなかった支出が増えます」
日本人の年金支給は65歳からとなったが、実際、年金だけで暮らせる人は年々減っている。男性では65歳を過ぎても6割以上の人が働き、男女合わせると、70~74歳の高齢になっても働いている人たちは3割強にも上る。
「こんなにシニアが働いている国は珍しい。他の国は社会保障が充実していて、老後はあくせく働く必要がありません。日本は年をとっても働かないと生きていけない国になっているのです」
高齢になっても仕事ができるほど健康で、社会参加の意識も高く、いきいきと日々を過ごせているのなら幸せなことだと思うかもしれない。だが、この数字は「働かざるをえない」という切迫した状況を示していると考えたほうがいいようだ。
それを証明する小室さん(仮名)の実例を紹介する。
80歳にも求職活動を求める行政の非情
小室和以さん(仮名・80歳)
若いころは美容師をしていた小室さん。中年になると求人も少なくなり、その後は飲食店の洗い場などで働いてきた。身体を動かして働くことは好きだったので、年金開始後も70代後半まで週5日で清掃の仕事をこなし、月10万円の収入を得てきたという。
ところが、80歳で脊柱管狭窄症を発症し、日々が一変。折り悪く、コロナ禍で同居の息子は職を失い、娘もパートのシフトに入れない日が続いた。
この間、収入は小室さんと1歳下の妹さんの国民年金だけ。1人2万7000円、2人分で5万4000円程度の年金だけで、家族4人が食べていかれるはずもない。
どう節約しても家賃が捻出できず、ハローワークで家賃給付の相談ができると知って藁にもすがる思いで足を運んだところ、担当者からは「働くことに前向きではない人には給付はできません」と冷たくあしらわれた。
「働きたくないんじゃなく、働けないんです! 今まで一生懸命仕事をしてきたのにこんな扱いを受けて、悔しくて、情けなくて……」
小室さんはその場で叫び、泣いてしまったという。コロナ禍で制度の拡充された「住宅確保給付金」は、「誠実かつ熱心に求職活動を行うこと」が条件となっていたため、対象外となってしまったのだ。
高齢による身体の不具合で働けない80歳にまで仕事探しを強いるとは……。下流老人に対して行政は非情なのだ。
ますます深刻な高齢女性の低年金
多くの高齢者が年金だけでは暮らせず、条件の厳しい非正規雇用に甘んじながらも働き続けるのはなぜか。原因の多くは年金額の低さにある。
日本の年金は「人口が増え続け、経済が成長すること」を前提に作られていたが、そうはうまくいかなかった。少子化が続き、経済は伸び悩んだ結果、もらえる年齢がたびたび引き上げられたり、支給額も見直されてきた。
それなのに、国民健康保険や介護保険の保険料や税金は上がり、高齢者の家計は圧迫されるばかり。低年金であればあるほど、その影響は大きい。
「会社員の夫と専業主婦の妻という平均的な老夫婦の厚生年金受給者でも、年金だけで食べていくのは難しいのが現実です。ましてやこのモデルから外れた人たちはさらに低い年金額で苦しんでいる。国民年金の平均受給額はたったの5万円です」
なかでも高齢女性の低年金は深刻だ。いま年金をもらっている世代の女性は育児休業制度もなく、結婚、出産、育児で退職することが当たり前だった。再び働いても、パートでは厚生年金に入ることができず(平成16年度からは条件を満たせば加入可能)、自動的に国民年金加入者となった結果、低年金受給者に甘んじている。
次に紹介する小沢さん(仮名)のケースのように、夫に先立たれた場合も苦しい現実に直面しているのだ。
働かないと生きていけない低年金のおひとりさま女性
小沢恵子さん(仮名・80歳)
夫に先立たれ、ひとり暮らしをしている小沢さんは、80歳の高齢にもかかわらず障害者施設で週5日3時間パート勤務している。
74歳のときには年金が月額7万3000円あったのだが、いまは6万円弱と6年間で1万3000円も減額されてしまったという。もともと低額なのに、これだけ減額されてしまうとまさに死活問題。家賃が4万円強かかるため、このパートの月5万円の収入が命綱という状況だ。
本音をいえば、仕事はすでに体力的に限界がきているのだが、生活保護の申請にはどうしてもふんぎれない。わずかながらもコツコツためてきた貯金をほぼ使い切らないともらえないからだ。
仕事で世話をする子どもたちはかわいいし、仕事があるだけマシと自分をなだめる毎日。働けなくなる日がきたら腹をくくるしかないな、と思っている。
「かつて女性は専業主婦で夫を支え、仕事をしてもパートやアルバイトといった補助的役割を担ってきました。
結果、国民年金にしか加入できず、支給額は月3万~4万円程度にしかならない人がたくさんいる。夫がいればいいのですが、ひとりになったら最後、これだけでは暮らしていけない。ためらうことなく生活保護を申請していいレベルです」
結婚や出産でキャリアが分断されたり、子どもがいたりして非正規雇用でしか働けなかった女性たち。離婚女性やシングルマザーの多くは、その結果、驚くべき低年金に苦しんでいるのだ。
シニアの労災が急増の衝撃
働くシニアが置かれている労働環境もきわめて厳しい。それは、労災事故における高齢者の割合からも見てとれる。
2021年、労働災害で亡くなった60歳以上の高齢者は360人。驚くべきことに、この人数はこの年の労災死亡者総数の43.3%に上る。つまり、日本全国の労災死亡者の4割強がシニアなのだ。
「それも、労災による死亡事故そのものは減少傾向にあるにもかかわらず、です。全体では減っているのに高齢者の死亡事故だけが増えているのは、まさに異常な状態。いかにシニアが過酷な労働現場に追いやられているかがわかります」
高齢ともなれば、死亡に至らずとも仕事の影響からの身体の不具合やケガなども起こりやすくなるが、本人が意識的に労災を申告しないケースも少なくないという。
「ほとんどが非正規雇用ですから、身体が万全でないことが知られてしまうと、雇用主から『もう無理じゃない?』などとやんわり退職を迫られることもある。
本来なら雇用主は働く人の健康状態を把握し、安全に配慮しなければいけないのに、実態はまったくの逆なのです」
仕事を失うのではないか、辞めさせられるのではないかといった不安のあまり、本来与えられている当然の権利も行使しない老人たち。「雇ってもえるだけマシ」「迷惑をかけるから」と自らをなだめながら、苦しさをのみ込んで1日1日を乗り切るしかない。
日本経済は、高齢者という弱者を下支えにして成り立っているのかと思うと、なんとも悲しい。
死亡事故はこうして起きた!高齢女性の清掃員4人が犠牲に
2022年2月11日、新潟県・三幸製菓の工場で深夜に火災が発生。アルバイトの女性4人と従業員男性2人が亡くなったが、この女性4人は73歳、71歳、70歳、68歳の高齢者だった。
4名ともベテランだったが、非正規雇用のアルバイトのため、避難訓練にも参加していなかったとされている。夜中の労働時間は「原則として9時半から2~3時間」とされていたが、実態は菓子の生産状況に左右され、午前3時までかかることもあった。
まじめに働いてきた高齢者が犠牲となった悲惨な事件だ。
「生活保護」は決して恥ではない
困窮するシニアを救う最後のセーフティーネットともいえる制度に「生活保護」がある。実際、生活保護を受けている世帯の55.8%が高齢者世帯であり、その約半分は高齢者のひとり暮らしだ。
しかし、この数字に安心してはいけない。これはあくまでも「受給できている数」にすぎず、実際は「受給する資格があるのにもかかわらず、もらっていない人たち」があまりにも多いのだ。その数は、実際にもらっている世帯数の4倍にも上るといわれている。
では、なぜそんなにも多くの人がこの救済制度から漏れているのだろうか。
「『生活保護』は恥ずかしい、国の世話になるのは申し訳ない、と思っている人が多く、とりわけシニアはこの意識が強い。結果、生活保護基準以下でも我慢しながら暮らしている人が本当に多いのです。
大げさではなく、朽ちかけた家に住み、庭で野菜を育てながら自給自足でなんとか食いつないでいる人もいます」
また、年金をもらっていたら生活保護は受けられないなど、さまざまな誤解や噂を事実だと信じている人が多いのも原因だ。
「生活保護にはネガティブな噂がついてまわってなかなか払拭されず、そのため必要な人に浸透しないのが問題です。
例えば、車や持ち家があるとダメ、家族や親族に連絡がいって迷惑がかかる、税金を滞納していたら受けられないなど。でも実際はそうではないので、相談だけでも足を運んでほしいと思います」
資産価値がなくなった家や居住用の家は認められる場合があるし、仕事に必要な場合や、車しか移動手段がない場合は車を持つことも認められる。
また、何年も連絡が途絶えていて援助が期待できない家族や親族には連絡をしなくてもよいという通達も出ている。
年金をもらっていても、あまりに低額で生活保護基準に相当しなければ、不足分を受給することもできるという。
使える制度は堂々と使うことで、制度も整備されていくはずだ。
ただ、これほどのネガティブイメージがついてまわるのは、福祉行政の末端である福祉事務所にも問題があると藤田さんは言う。
あまりにオーバーワークで必要な研修を受ける余裕がなく知識不足だったり、生活保護受給者をぞんざいに扱う職員がいることも悲しいことに事実だ。福祉行政の現場の改善も求められている。
貧困シニアにならないために
年金は減り続け、保険料、医療費、そして今や電気、ガスなどのインフラまで上がり続けている。
「きっとこの先もこの傾向は続くでしょう。非正規雇用も働いている人の4割と高止まりの状況です」
だとしたら、私たちは貧困シニアにならないために、できることはないのだろうか。
「我慢して働き続ける、他者を頼らないというのが日本人の美学ですが、我慢強いのも善しあし。自分だけでなんとかしようとせず、使える制度は使っていくということが大事。
お金で絶望的になる人が多いのですが、お金がないというだけで生きていけないわけではないんです」
貧困で苦しんでいる人は自分の無力さ、ふがいなさのせいだと考えがちだが、こう言われると少しは気持ちがラクになる。
そして藤田さんは、年をとればとるほど、大事なのは人間関係だと力説する。
「自分でできることがあるとしたら、それは孤立しないことです。年をとるにつれ、友人・知人はどんどんいなくなっていく。それはつまり、助け合える関係がなくなっていくということ。
今からでも自分とは違う世代の人たちともつながり、若い人を含めて人間関係を構築していけば、それはやがて家族に匹敵する存在になるかもしれません」
人との付き合いをキープしていれば気力や体力の面でも衰えにくく、情報網があれば、それがそのままセーフティーネットにもなるだろう。
自分以外の誰かと関わるということは、社会とつながるということ。そのつながりを保つことが、貧困シニアの側に足を踏み入れないためのポイントなのかもしれない。
教えてくれたのは…
取材・文/野沢恭恵