'20年にイギリス王室から離脱したヘンリー王子。今年1月に出版した回顧録『スぺア』には、兄・ウィリアム王子との確執や王族の軋轢などが記され、前代未聞の“暴露本”として世界に衝撃を与えた。
このように世界に目を向ければ、ロイヤルファミリーの醜聞は絶えない。とりわけ世間の関心を集めるのが結婚だ。
結婚相手の元夫に薬物所持の犯罪歴
「日本の皇室では、'21年秋に秋篠宮家の長女・眞子さんが、いっさいの儀式を行わない異例の結婚を強行しましたが、こうした“周囲の反対を押し切った結婚”が、代々続いているのが、ノルウェー王室です」(一般紙記者)
ノルウェーの現国王はハーラル5世(86)。ヨットの選手としても有名で、1964年の東京大会から3大会連続で五輪に出場した過去を持つ。1968年には、デパート経営者の娘であるソニア・ハーラルセン嬢と結婚したが、
「当時のヨーロッパでは、貴賤婚、いわゆる“身分違いの結婚”は許されるものではありませんでした」
そう話すのは、世界の王室事情に詳しい関東学院大学の君塚直隆教授。
「ハーラル5世の父で、当時国王だったオーラヴ5世は、平民出身のソニア嬢との結婚に断固反対。それでもハーラル5世は、父の許しを得られるまで10年近く交際を続け、見事結婚を果たしました」(君塚教授、以下同)
時を経て、ハーラル5世とソニア王妃の2人の子どもも、同じ道を辿ることになる。国王夫妻の長男・ホーコン皇太子と、オスロ大学の学生だったメッテ・マリット嬢の交際が判明したのは'00年。
「彼女は銀行員の娘で、平民でしたが、ハーラル5世の時代とは異なり、身分の違いは問題ではなくなっていました。ただ、メッテ・マリット嬢は、当時3歳の息子がいるシングルマザーだったのです。しかも、元夫には薬物所持の犯罪歴があり、彼女自身も過去にドラッグパーティーに参加していたことが明らかに。
人口400万人ほどのノルウェーでは、王室と国民の距離が近いのが特徴です。ホーコン皇太子をわが子のように捉えていた国民の多くが、結婚に反対。80%以上あった王室への支持率は、約40%まで下がりました」
一方、ホーコン皇太子の両親であるハーラル5世とソニア王妃は常に味方だった。
「メッテ・マリット嬢と直接会ったときの印象がよかったのはもちろんですが、国王夫妻は、自分たちの結婚のときにとても苦労したこともあり、“子どもには同じ思いをしてほしくない”という考えだったのでしょう」
結局、ホーコン皇太子は世間からの厳しい声に屈せずに、'01年に結婚した。
「婚約発表会見で、メッテ・マリット嬢は“過去は変えられないが未来は築くことができる”と涙ながらに自らの過去と訣別。その姿に多くの国民は心を打たれました。王室入り後は、勉学や公務に励み、好感度は瞬く間に上がった」
「王女」の肩書を使ってビジネス
やがてホーコン皇太子との間に2人の子どもが誕生した。
「ノルウェーでは'90年の憲法改正により、男女問わず、第1子に王位継承が認められるように。皇太子夫妻の長女、イングリッド・アレクサンドラ王女は、将来の女王として注目されています」(前出・一般紙記者)
皇太子夫妻の結婚問題が落ち着いたころ、新たな騒動を呼んだのが、国王夫妻の長女で、ホーコン皇太子の姉にあたるマッタ・ルイーセ王女だ。
彼女は'01年、作家のアリ・ベーン氏と結婚し、3人の娘を授かったが'16年に離婚。'19年には、アメリカ人の霊媒師で、“死者と話せる”と自称するデュレク・ベレット氏との交際を発表した。
「マッタ・ルイーセ王女はもともとスピリチュアルな方で、“天使が見える”と語っていたこともあったので、気が合ったのでしょう」(欧州の王室に詳しいジャーナリストの多賀幹子さん、以下同)
交際発表からまもなく、王女とベレット氏は「王女と霊媒師」と銘打った講演ビジネスに着手。チケット代は1万円前後に設定され、王女という肩書を商業利用していることが非難を浴びた。
「'19年のクリスマスに王女の元夫であるアリ・ベーン氏が自殺しました。47歳でした。詳細はわかっていませんが、王女と3人の娘が霊媒師にすっかりほれ込んでいたことで、孤独感を抱いたのではないかと。多くの国民はベーン氏の死を悲しみ、同情しました。同時に、ベレット氏への批判も強まったのです」
ノルウェーを出てアメリカで新しい事業を
それでもマッタ・ルイーセ王女はベレット氏への恋心を燃やし続け、昨年6月には婚約を発表した。
「ベレット氏への不信感を高める報道が相次ぎました。例えば、“これを持っていればコロナにかからない”と、3万3000円もするメダルを売りつけたり、瞑想やヨガなどの非科学的な代替医療を行ったりしていると。“なぜ王女を止めないのか”と、批判の矛先は、王室全体にも向きました」
こうした状況を受けて、ノルウェー王室は'22年11月、次のような声明を出した。
「マッタ・ルイーセ王女は、自身の活動と王室との関係をより明確に分けることを望み、国王やほかの王室メンバーと協議のうえ、公務から引退することを決意しました」
王女は多くの団体のパトロン(総裁・会長)を務めていたが、すべて辞任し、ほかの王室メンバーへと引き継ぐことに。「王女」の称号はかろうじて維持したものの、SNSなどで商業を目的として使用することは禁じられた。
「王女とベレット氏は、アメリカに行って、事業を始めるそうです。国王夫妻としては、娘を事実上、王室メンバーから外すということに抵抗もあったでしょうが、国民と王室の関係性を守っていくためにはやむをえない選択でした。その後、ベレット氏が重い腎臓病を患っていることが判明。ふたりの前途は、いまのところ、はっきりしていません」(多賀さん)
王女は、自身のインスタグラムでも、公務から引退することを表明し、「大きな平穏をもたらすことを願います」と述べている。
破天荒なマッタ・ルイーセ王女が国内に広げた波紋は、しばらく収まりそうにない。
君塚直隆 関東学院大学国際文化学部教授。イギリス政治外交史などを専門とし、著書に『立憲君主制の現在─日本人は「象徴天皇」を維持できるか─』など
多賀幹子 ジャーナリスト。元・お茶の水女子大学講師。ニューヨークとロンドンに、合わせて10年以上在住し、教育、女性、英王室などをテーマに取材。『孤独は社会問題』ほか著書多数