市村正親

 市村正親が元妻・篠原涼子について語った。2月に放送された『爆買い☆スター恩返し イケおじSP』(フジテレビ系)でのこと。

篠原涼子との“円満離婚”

 生まれ育った川越を訪れ、買い物をするなか、店員に「奥様にもよろしくお伝えください」と言われる場面が。彼は特に動じた様子もなく、

「また連れてくるね。涼子のファンでしょ?『紅白』見た? よかったよね」

 と、愛想よく答えていた。

 ちなみに、ふたりが16年間の夫婦生活に終止符を打ったのはおととしの7月。円満離婚とのことだ。その後、篠原に韓国人アイドルとの熱愛が報じられても、市村は、

「1回しかない女優人生をしっかり生きてほしいから、そういうこと(離婚)にしてあげたんだよ」

 と、コメント。25歳下の元妻がさらに若い男と浮名を流すのは複雑な気分なのではとも思うが、そういうそぶりは示さなかった。

市村正親と離婚した篠原涼子

 ではなぜ、彼はこうしたスタンスでいられるのか。ひとつ考えられるのは、篠原との結婚がそれだけ素晴らしいものだったからだろう。

 離婚の前年に出た自伝的エッセイ『役者ほど素敵な商売はない』には、結婚の噂を聞きつけた中村勘三郎に電話で祝福され、

《照れ隠しで『ざまあみろ、うらやましいだろ』なんて言っちゃったんですよ》

 という思い出が綴られている。また、馴れ初めについては《プライベートをさらすのはやめておこう》と言いつつ、初共演した舞台『ハムレット』でのこんなエピソードを告白。男にいきなり手を取られ、見つめられたときのヒロインの気持ちがわからないという篠原に対し、なんの前触れもなしに同じことをやってみせ、

今、心の中で起きていることが、オフィーリアのリアルな実感なんだよそれでやってみたらどうかな》

 と、演技指導したのだという。このとき、市村はすでに50代前半。多くの人が人生の下り坂に差しかかる年代で、娘のように若いアイドル女優と恋におち、結婚する快感は想像に難くない。

 しかも、彼はこの結婚で大いに注目され、ドラマや映画、アニメなどの仕事も増加。役者としての輝きをさらに増していった。「地位は人をつくる」というが「篠原涼子の夫」という新たなポジションが、彼を飛躍させたのだ

篠原との出会いが「人生を変えた」

 なお、前出のエッセイに最初の結婚の話は出てこない。最初の離婚は2003年で、篠原との出会いと結婚の真ん中の時期だ。それゆえ、不倫とも報じられたし、篠原の父は市村との年の差のこともあって猛反対していた。そんないきさつもエッセイでは触れられていないので、篠原が初めての結婚相手だと勘違いする人もいるだろう。

2005年3月、市村との結婚を問われてはにかむ篠原涼子

 もちろん、誰にでも語りたい歴史と語りたくない歴史がある。その分かれ目こそが転機。市村の人生は、篠原と出会う前と後で大きく変わったというわけだ。

 変わったといえば、再婚では子どもも2人授かった。初婚では子宝に恵まれなかったので、その点でも篠原への感謝は大きいのではないか。子どもは2人とも男子で、役者としての活動も開始。最新の舞台では、父子3人の共演も実現した。

 健康面では、'14年に早期の胃がんが見つかり、胃を半分切除。彼はエッセイのなかで、おかげで小食になり、太らずに済んでいると書いている。

《これもきっと演劇の神様の仕業かな》

 と、病気にまで感謝するプラス思考。こういう性格が、50代でのさらなる幸運を呼び込んだのだろう。

ほうせん・かおる アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。著書に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)。

市村正親の長男・優汰(ミュージカル『オリバー!』公式HP)

 

2017年、子どもの習い事教室で送迎する市村正親

 

外国人のご近所さんといい笑顔で談笑する篠原涼子(2012年)