侍ジャパンは大谷の二刀流での活躍もあって初戦で中国に快勝。中居はベンチ横からハイタッチを見届けた

 宮崎の合宿、壮行試合、強化試合、そして東京ドームの本番とWBC(ワールドベースボールクラシック)を追いかけてきたが、おどろくべきことに、わずかな時間のうちにWBCへの日本人の注目度は加速度的に上がり、今では社会現象のようになっている。

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 昨年夏、第5回WBCの開催要項が発表された時点では、こんなに人気が出るとは思っていなかった。ローソンチケットは、10月初旬からカード会員向けに通し券を販売したが、抽選ではあったものの、その時点では普通にチケットを購入することができたのだ。

 しかし日本シリーズが終わったころから人気がじわじわと高まり始め、特にメジャーリーガーの出場が決まったころから注目度が上がった。

大谷翔平やダルビッシュ有が集まる「ドラマ」

 誠に古い話で恐縮だが、今回の「侍ジャパン」のメンバーが決まるまでのストーリーは、黒澤明の不朽の名画『七人の侍』(1954年公開)を見ているようだと思った。

『七人の侍』は、野武士から農村を守るために集まった七人の武士が奮闘する物語だ。ハイライトは壮絶な戦闘シーンだが、その前の「七人の侍がそろうまで」のストーリーが、実に面白かったのだ。

 村を守ってほしいと乞われた名優志村喬演じる武将勘兵衛は、部下の七郎次(加東大介)とともに侍をスカウトして回る。腕試しをしたり、偶然の出会いがあったり、志願してくる若者があったりで7人がそろうのだ。三船敏郎演じる破天荒な菊千代をはじめ、出自も年齢も、経歴も異なる7人が縁もゆかりもない「農村を守る」ために集結していく。その「リクルートのストーリー」は、これから始まる「ドラマ」への期待感をいやが上にも高めたのだ。

 今回の侍ジャパンも、61歳の栗山英樹監督が、白井一幸コーチ、吉井理人コーチ(ロッテ監督)などの参謀と話し合いながら「侍」たちの顔ぶれを決めていった。

 幸いにも今のNPBにはヤクルトの村上宗隆、ロッテの佐々木朗希、オリックスの山本由伸など、上り調子の若武者がたくさんいた。これに加えて今回はMLB側のハードルが低かったこともあり、エンゼルスの大谷翔平、パドレスのダルビッシュ有とトップクラスの実績を誇る大スターの参加が決まった。

 さらに今季からMLBに挑戦するレッドソックスの吉田正尚(前オリックス)も参加する。カブスの鈴木誠也は故障で辞退したが、今、そろえることのできるベストメンバーだったのは間違いない。

MLBのキャリアは1年半のヌートバー

 栗山監督は、このリストにもう1人、まったく意外な選手の名前を加えた。カージナルスのラーズ・ヌートバーだ。彼の母親は埼玉県出身の日本人。

会見に出席するラーズ・ヌートバー選手

WBCでは今回から
・親のどちらかが、その国の国籍を持っている
・親のどちらかが、その国で生まれている
・その国の国籍または、パスポートの取得資格がある

 などの基準で、外国在住の選手も招聘できるルールを作った。ヌートバーはまさに、この基準に合致したのだ。

 日系メジャーリーガーという点では、ヤンキースの正遊撃手のアイザイア・カイナーファレファ、同じくヤンキースの捕手カイル・ヒガシオカ、ブリュワーズの内野手ケストン・ヒウラなどの名前も挙がっていた。

 これらの選手は「資格」の面で微妙な部分もあったようだが、それにしても彼らより無名のヌートバーが選ばれたことは、意外だった。

 しかしヌートバーはまだMLBのキャリアは1年半にすぎないが「将来、一流選手になるのは間違いない」と見られている。2018年ドラフト8巡目(全体243位)とプロ入りは目立たなかったが、わずか2年でA-、A+、AA、AAAとマイナーの階段を駆け上がり、コロナ禍をはさんで一気にメジャーに昇格した。MLBでは見どころのある選手(プロスペクト)は階級をどんどん引き上げる。ヌートバーはレベルが上がっても結果を出し続け、名門カージナルスの外野のポジションを獲得したのだ。

 栗山監督は選手の実績ではなく「将来性」で選手を選んだ。幸いにもヌートバーは、本当にナイスガイで、まだ来日する前から、日本のファンは注目し始めたのだ。

 WBCへの注目は2月17日、侍ジャパンの顔ぶれが宮崎キャンプに集結してから加速し始めた。契約の問題でMLB選手はキャンプに参加できないとされたが、エースでチームでも特別のステータスを持つダルビッシュだけは宮崎キャンプに参加し、若手選手を鼓舞してチームの結束を高めた。

 MLBで12年目のダルビッシュの存在感は代表チームでも別格で、各チームのエースや主力打者もダルビッシュの発する言葉に耳を傾け心酔した。

 2月末になると、大谷翔平、ヌートバー、吉田正尚が合流する。話題の中心は、大谷翔平に移った。3月5日までは試合出場できなかったが、練習に大谷らが参加することでチームはさらに活気づいた。

 ダルビッシュ有はこの時期から、あまりメディアに目立つ発信をしなくなる。大谷が話題の中心に来るように配慮したのだろう。このあたりもベテランらしい気配りだ。

大谷翔平が披露した巨大なアーチ

 大谷翔平が最初に周囲を驚かせたのは、試合ではなく練習だった。名古屋のバンテリンドーム、大阪の京セラドームでの試合前のBP(打撃練習)で、大谷は外野スタンドの上段に突き刺さる大飛球を連発した。140mとも150mともいわれる巨大なアーチは、NPBの試合前の練習ではめったに見られないものだった。これを聞きつけたファンは、試合開始の2時間以上前から詰めかけた。

練習を行う大谷翔平選手

 その大観衆の前で、大谷は1人、異次元の打棒を披露し続けた。観客席からは巨大な溜息のような声が巻き起こるようになった。

 大谷翔平はMVPを獲得し、サイヤング賞の候補にもなった。今、まさに「全盛期」を迎えようとしている稀有な二刀流選手だ。そんな選手が、日本のファンの前で日本選手と共に真剣勝負の試合に臨むのは、WBC以外ではありえない。ファンは、大谷の大飛球を目の当たりにしながら、その歴史的な幸運をかみしめていたはずだ。

 そしてWBCの本選が始まると、話題の中心は大谷ではなく、アメリカから来た25歳の若者、ラーズ・ヌートバーへと移った。彼はリードオフマンとして安打や四球で出塁し、果敢に走塁した。またダイビングキャッチを2度も成功するなど、攻守で期待を超える活躍をした。両親や祖父も駆けつけ客席で応援した。

 安打を打った後、塁上で見せる「ペッパーグラインダー」も、大谷翔平などチームメイトが真似をして、瞬く間に広がった。

 応援団は「かっ飛ばせタツジ(ヌートバーのミドルネーム、祖父・榎田達治にちなむ)」と声援を送った。しかし現地の観客席では、3月9日の中国との初戦の中ごろから「ヌー!」という掛け声がかかるようになった。MLBではダルビッシュ有の登板時に「ユー!」という掛け声がかかるが、これは「ユーイング」と呼ばれ、エースへの期待感を込めた独特の掛け声だ。ヌートバーもすでにアメリカで「ヌーイング」が起きていたようだが、東京ドームでも2戦目以降、ヌートバーが登場すると、嵐のような「ヌー!」がドームに響くことになった。おそらくはアメリカの数倍の迫力になっていたはずだ。

 ヌートバーがコンビニに買い物に行くと、ファンが待ち受けていたと言う報道もあった。また早くも「ヌートバーロス」に言及した記事も出た。こんな短期間で「国民的アイドル」のような人気を博した人は、これまでなかったのではないか。

 ダルビッシュ有、大谷翔平、ヌートバーの前に、NPB最年少の三冠王のヤクルト村上宗隆、2年連続沢村賞のオリックス山本由伸、令和初のパーフェクト男ロッテの佐々木朗希の影はやや薄くなった感があるが、こういう形で「七人」ならぬ「三十人の侍」が勢ぞろいした。野球ファン、そして日本国民は「一騎当千の顔ぶれが世界から集まり、一つのチームになっていく」ストーリーを存分に楽しみ、WBCへの期待感を高めたのだ。

WBCグッズを求めて「数時間待ち」

東京ドームでWBCグッズを購入するために並ぶ人たち(写真:筆者撮影/東洋経済オンライン)

 実はそうした「本筋」のストーリーとは別に、もう一つの動きもあった。それは「WBCグッズ」の人気だ。ユニフォーム、キャップなどは壮行試合、強化試合の段階で爆発的に売れていた。

 主催者は球場内で販売しては混乱が起こると、球場外に販売ブースを設けたが、この前に大行列ができた。この中には入場券を持っておらず、グッズを買うためだけに並ぶ人もたくさんいた。東京ドームのショップ周辺には「数時間待ち」の表示と共に朝から大行列ができ、試合が始まっても途切れなかった。

 ユニフォームなどは1人で購入できる点数が限定された。しかし京セラドームの周辺では「転売ヤー」と思しきグループが、ユニフォームを袋から開けて種類ごとに分別する姿も見られた。転売サイトではこれらは高額で販売されるのだ。こうした「副反応」もWBC狂騒曲の一つの側面だ。

 WBCの大ブームの根底にあるのは日本の枠を超えた「『世界』への憧れ」ではないか。コロナ禍、円安と長く続く閉塞感のなか、日本人は、WBCで活躍する日本人選手たちを通してその向こうに広がる「希望の青空」を見ているのだと思う。

子供たちに再び「野球ブーム」到来するか

 これまでも侍ジャパンの大活躍の後、子供たちの野球人気が復活する現象が見られた。JSPO(公益財団法人日本スポーツ協会)が発表しているスポーツ少年団の男子軟式野球団員数は、2002年には15万9659人だったが、2005年は15万7858人と足踏み状態だった。

 しかし2006年の第1回WBCで松坂大輔、イチローの活躍で日本が世界一になると2006年は16万4798人、2007年は17万0548人と急増。日本が連覇した2009年には17万3978人まで盛り返した。

 以後、スポーツ少年団の男子軟式野球団員数は、減少が続き最新の2021年度では10万7033人まで減っている。地域によっては小学生の野球チームが消滅したところまででてきた。

 結局「甲子園→プロ野球」という従来の日本野球が提示できた「夢」は陳腐化し、子供たち、そして親に野球を選択させるモチベーションにはならなくなった。

 それに代わって「プロ野球→WBC→メジャーの舞台」というはるかにスケールの大きな「夢」が、子供たちに野球への関心を再び高める可能性がある。侍ジャパンがこの人気のままにアメリカでも活躍し、3度目の世界一になれば、大人も子供も巻き込んだ「野球ブーム」が到来する期待感もある。

 日本戦4試合の地上波放送の平均世帯視聴率は連日40%を超えた(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。いまどきのテレビでは驚異的だ。

 大事なのは、このブームを一過性に終わらせることなく、競技人口を増加させる取り組みにつなげる「工夫」だ。野球界の手腕が問われるが、これを契機に長期低落に歯止めをかける期待もある。

 グループBを1位で通過した侍ジャパンは、いよいよ「負ければ終わり」のノックアウトステージに進出する。大げさに言えば彼らの肩には「野球の将来」もかかっている。活躍を見守りたい。


広尾 晃(ひろお こう)Kou Hiroo
ライター
1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライターやプランナー、ライターとして活動。日米の野球記録を取り上げるブログ「野球の記録で話したい」を執筆している。著書に『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』『巨人軍の巨人 馬場正平』(ともにイースト・プレス)、『もし、あの野球選手がこうなっていたら~データで読み解くプロ野球「たられば」ワールド~』(オークラ出版)など。