在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。17歳のとき実家を飛び出し、横須賀に流れ着く。ある日横須賀基地で働く海軍のトニーと出会い、恋に落ちた。
「トニーはとにかく硬派で、古き良き昭和の日本男児のような人。さっきまで手をつないで歩いていたのに、基地の中に入った途端にぱっと離されたことも。
男同士の付き合いを最優先にするタイプで、仲間と飲みに行くともうつかまらず、どこにいるのかわかりません。トニーはディスコが嫌いで、そこが私の一番の不満でもありました。いくら一緒に行こうと誘っても、頑として拒まれていましたね」
トニーとの恋は運命だと信じていた。付き合いだして間もなく、キキと彼、トニーとシンシアの4人でアパート暮らしを始めている。
「海軍の朝は早く、終わるのがだいたい夕方くらい。シフトや担当業務によってもまた変わります。船に乗っている人もいれば、輸送を担当している人、事務所でデスクワークをしている人もいる。トニーはミッドウェイCVー41に乗っていました。
第7艦隊の巨大空母で、当時乗組員が4000人くらいいたと聞いたように思います。彼の担当はボイラーで、2週間に一度の割合で夜勤がシフトに入ってくる。さらに年に何度か遠征に出るタイミングがあり、ひとたび出航すると半年ぐらい帰ってこないこともありました」
毎日“ハコバン”としてディスコで歌えることに
横須賀の軍用娯楽施設、CLUB ALLIANCEは相変わらずお気に入りの遊び場で、仲間と繰り出しては踊り続けた。そんななかシンシアにひとつの転機が訪れる。
「ある晩、特別なパーティーがあり、いつものようにディスコ仲間のフミコと一緒に遊びに行ったら、とんでもなくステキなバンドが演奏していた。踊るのも忘れて夢中になって聴いていました。
その演奏終わりのことです。フミコが『アンタ歌やりたいんでしょ、紹介してもらいなよ!』と言って、バンマス(バンドマスター)の奥さんを引っ張ってきた。奥さんは親切にも「旦那に伝えておくね」と、初対面の私に言ってくれました。ちょうど新しいボーカルを探しているところだったようです。話はバンマスに伝わり、さっそくオーディションをしてもらえることになりました」
オーディション場所に指定されたのは、横浜のディスコ『LA MOON』。開店前の店を訪れ、バンドメンバーの演奏で歌った。
「3曲用意してオーディションに臨みました。まず歌ったのは『Wishing On A Star』。ローズ・ロイスのスローソングです。続けて3曲歌い、終わった途端『オッケー、じゃあ何日の何時からだから』と、その場で“ハコバン”というディスコで何か月か毎日歌う契約が決まった。
歌の仕事が決まったものの、持ち歌もなく、歌えるのはオーディション用に練習していた3曲だけ。けれどプロとしてステージに立つとなると、歌で一晩もたせる必要がある。帰り際、バンマスからディスコソングのトップ40のリストを渡され『当日までにこれを覚えてこい』と言われました。
最初は緊張もしていたけれど、それ以上にトントン拍子に話が進み、そのうち歌を覚えることにまっしぐらで取り組むようになりました」(次回に続く)
<取材・文/小野寺悦子>