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「本当に身の危険を感じました。売り場で名指しされて接客するのは仕方がないとしても、まさか待ち伏せされるとは……」

 そう話すのは、大手デパートに勤めていた工藤琴美さん(仮名)。自身が過去に客から受けた経験を、振り返る。

ネームプレートに群がる“犯罪者”たち

「毎日、決まった時間に売り場を通る男性のお客さまがいて。着ている服や髪型も個性的だったので、販売員の中では有名でした。ある日、私の前に立って、胸元の名札を確認しながら“名前、工藤さんというんですね”と話しかけられました

 婦人用の小物売り場にいた彼女は、女性から声をかけられることは慣れていたが、男性に、しかも名前で呼ばれたのは初めてだったという。

ちょっとびっくりしながらも接客したのですが、そこから毎日のように声をかけられるようになって。その方だとは断言できないのですが、私が休みの日には、シフトを確認するような電話もあったと同僚から聞きました」(工藤さん、以下同)

 そしてついには──。

「退社しようと職員出入り口に向かったら、先に帰ったはずの同僚が戻ってきて“あの男が出入り口のところに立っているよ”って。怖くなって売り場へ戻り上司にそのことを告げたら、警備室には言っておくから、職員出入り口ではなく、いちばん離れたお客さま用の出入り口から帰りなさい、と言ってくれて」

 その後、売り場でも必ず男性の販売員が彼女の近くにいるようにして、その客が近づいてきたときには男性販売員が接するようになったという。

「そういった対応をしていたら、そのお客さまは自然にお店に来なくなりました。今でも思い出すだけで気持ち悪いし、怖いです」

 飲食店やデパートなどでは“当たり前”になっている名札(ネームプレート)。本名を不特定多数の人が見ることになるが、昨今では個人情報の保護という観点から問題視されている。

 こうした中、全国にチェーン店を持つコーヒーショップが、広島市の店舗で名札の表記をイニシャルに変えたことがニュースになった。

 SNSに悪口を書き込まれたり、つきまとわれるという被害に対処した策だという。このような動きについて、アトム市川船橋法律事務所の高橋裕樹代表弁護士は、「当然の流れでしょう」と、こう続ける。

「何か問題が起きたとき、場合によっては、責任者の名前を出すということは必要かもしれません。しかし飲食店などで接客する店員が、そもそも名前を名乗る必要はあるのか、ということです」

 しかし、名前がわかることで、いいサービスをすれば客から褒められるし、逆に手を抜けばクレームになるということで、接客に緊張感を保てるというメリットもある。

「確かに飲食店、特にお酒を出す店などでは営業戦略的に店員と仲良くなってもらう、ファンになってもらい店に足を運んでもらうということはあるでしょう。それならば、名札に本名ではなく、あだ名などをつけるという選択もできますよね。

 今の時代、SNSで名前を検索すれば簡単に本人のプライベートな情報を手に入れられるケースもあります。本名を出すことでストーカーを生み出しやすく、クレームや嫌がらせも生じやすくなります」(高橋弁護士)

全国にチェーン店を持つコンビニは

 実際、世の中の動きとして“名札問題”の対策はどうなっているのだろうか? 日本全国に店舗を持つ、大手コンビニ3社に聞いてみると──。

「名札が原因でネットでの被害やストーキングされたという事案はございません。ただ、本名を出すことが不安だという声も一部あり、他社の事例なども参考にしながら社内で検討をしております」(ローソン広報)

ローソン

「現時点で(名札についての)運用の変更予定はございません。さまざまなご意見も含め、今後の参考にさせていただきます」(ファミリーマート広報)

ファミリーマート

「名札については名字のみを表記しております。また、小売店や飲食店を中心とした市場環境などを鑑み、2022年7月上旬ごろから順次、顔写真がついていない名札に変更しております」(セブン-イレブン広報)

セブンイレブン

 と、検討はしているものの、名札の廃止までには至っていない様子。店員からも実際にストーキングなどの被害に遭ったという声は届いていないという。しかし、飲食店以外の動きとして高橋弁護士は、自身の経験をこう語る。

「先日、役所に用があって行きましたが、所員は名札をつけていませんでした。あと、最近では警察官も自分の名前を口頭では言いますが、警察手帳を見せたり、名刺を渡すことをしなくなりましたね。

 こちらから聞いて、名乗るかどうかは相手側の判断になっているのだと思います。必要に応じて担当者の名前を伝えるというスタンスになっているのが、時流なのかもしれません。今、“モンスタークレーマー”が多いですから、自身の名前が悪用されることを防止しているのだと思います」

 また“名札レス”の動きは、教育現場にも広がっている。

「学校に通う子どもたちから、名札がなくなりましたね。小学校に通う子どもたちを見ても学校で使う道具、ランドセルにも名前を書いていない人のほうが多いと感じます」(高橋弁護士)

ランドセルに名前や住所を書き込むことが当たり前だった時代は遠い昔に

 実は、名札着用の見直しのきっかけとなった事件がある。'14年に埼玉県で、当時13歳の少女が傘に書かれていた名前を読み取られ、面識のない男に誘拐され、約2年間監禁されたのだ。

名前も個人情報だと認知することが大切

 この事件をきっかけに、さいたま市教育委員会は各学校に名札や持ち物に名前を書かないように指導するように通知をした。それでも「お菓子をあげる」「遊びに行こう」などと声をかけられる事案が、'20年には年間3000件近く埼玉県では報告されているという。

名札に名前や住所を書き込むことが当たり前だった時代は遠い昔に

「誰もが見られるSNSでも本名を名乗る必要がないですし、アイコンの写真も自分の写真以外を使えます。名札が必要なのは、ビジネスシーンや会議といった限られた場合だけではないでしょうか。

 名前を聞かなくてはならない場面であれば、“名前を教えていただけますか”と相手に承諾をとった上で教えてもらえばいい話です。不特定多数の人と接する接客業の従業員が、本名を晒す必要はないでしょう」(高橋弁護士)

 誰もがネットにつながることで、情報を簡単に得ることができる現在。以前なら“たかが名前”で済んでいたのかもしれないが、自分の身を守るため、名前の扱いにまで気をつけなくてはいけない世の中に。コミュニケーションの形も、時代によって変わっていく──。

(取材・文/蒔田 稔)