3月28日、“教授”こと坂本龍一さんが71歳で死去。'14年に中咽頭がんと診断され、闘病生活を送っていた。
「東京藝術大学出身という経歴から“教授”と呼ばれていましたが、事実、音楽にとどまらない知識と見識がありました。'78年に結成した『Y.M.O.』は最先端のテクノユニットでしたし、映画『戦場のメリークリスマス』や『ラストエンペラー』に俳優として出演し、映画音楽も担当。日本人初のアカデミー賞作曲賞を受賞しました。また、環境や平和について積極的に発言するオピニオンリーダーという側面もありましたね」(音楽ライター)
'82年に忌野清志郎さんとデュエットした『い・け・な・いルージュマジック』は大ヒット。才能とエネルギーに満ちていたバイタリティーは、女性にも向けられた。
鶴田真由さんとの“手つなぎデート”がキャッチされ
「昔から、とにかく女好き。ライブ中に客として来ているかわいい子を物色して、打ち上げに誘っていたことも。“30分あったら誰でも口説ける”と豪語していましたね」(レコード会社関係者)
'82年には、音楽仲間だった矢野顕子と結婚。
「彼は大学時代にも結婚して子どもをもうけており、矢野さんとは再婚でした。しかし、それで落ち着くことはなく、'90年ごろからはマネージャーの女性と一緒に暮らし始め、子どもが生まれているんです。矢野さんとは14年間にわたる別居後、'06年に離婚しますが、関係が断絶したわけではなく、訃報に際して矢野さんは追悼メッセージを発表しました」(スポーツ紙記者)
矢野は坂本さんの女性関係に気づいていたが、ある程度は容認していたらしい。
「“アーティストとしての夫あっての私”と考えていたようですね。その後、'00年には鶴田真由さんとの“手つなぎデート”が週刊誌にキャッチされました。鶴田さんを堂々と打ち上げの場に連れてきていたそうですよ。つまりこの時期は、矢野さんと籍を入れながら、マネージャー女性と事実婚。さらに、鶴田さんと恋愛関係と、3人の女性が周りにいたんです」(同・スポーツ紙記者)
「遊ばれたー!」と泣き出す女性に山下達郎が
浮名を流しながらも深刻な女性トラブルに発展することはめったになかったが、こんな出来事もあったとか。
「'10年代に坂本さんのツアーがあり、リハーサルにスタッフの女性も同行していました。でも、なにがあったのか、その女性は来るなり“遊ばれたー!”とわんわん泣き出したんです。たまたまスタジオが一緒だった山下達郎さんが“この人と付き合ったら遊ばれる可能性があるのはわかっていたはずだから、文句を言っても仕方ないでしょう”と諭したと聞いています」(前出・レコード会社関係者)
事実婚のマネージャー女性とは、最後まで連れ添った。
「坂本さんのがん闘病を支えたのも彼女。30年以上一緒に生活し、坂本さんは頼りにしていたのでしょう」(前出・スポーツ紙記者、以下同)
闘病しながらも音楽を作り続け、思いを届けようとした。
「亡くなる直前には、明治神宮外苑再開発中止を訴える手紙を小池百合子都知事に送っていました。最後まで、信念を貫いたんです」
女性にも、音楽にも、そして人類に向けた大きな愛を持つ人だった。