今から9年前のこと。右目の下に、プツッと小さく赤い点を見つけたキャシー中島さん。最初は気にすることもなく、いつか治るだろうと思っていたのに、少しずつ広がりだし、2年がたつころには、8mmくらいになっていた。
「そのうちに、ちょっとグジュグジュするようになって、それでかさぶたができるんだけど、そのかさぶたが取れると、またグジュグジュして中が乾かない感じ。これは普通ではないと嫌な感じがしたんです」と当時のことをキャシーさんは語る。
「病院に行くのが怖くてね。でも娘に『ママ、本当に悪い病気だったら早く病院に行ったほうがいい』と背中を押されて、検査を受けたんです」
“がん”と診断され、手術台で涙も
そして下された診断結果は、基底細胞皮膚がん。
基底細胞皮膚がんとは表皮の最下層で発生する悪性腫瘍で、紫外線のダメージで発生することが多い。治療しないでおくとがんが浸潤し、転移する可能性もある。
「がんになると、悪い組織を残さないために患部を大きくえぐり取るというイメージがあったので、不安で不安で」
担当医師からは、皮膚表面にできるがんだから、思っているほど切除はしないと説明を受けたが、手術台に横たわり、顔にガーゼがかぶせられると、不安で涙がこぼれた。でも、泣いたのはこのときだけ。
「家族に涙は見せたくなかったんです。でも手術後に、夫の勝野さんは『大丈夫だよ、このくらいの傷はママのチャーミングポイントになるよ』って。娘や息子は『目に見えるがんでよかった。手遅れにならなかったから』と言ってくれました」
家族の温かい励ましはうれしかったのかと思えば、意外な答えが返ってきた。
「やっぱり顔を切るって想像以上にショッキングだった。手術直後は、落ち込んで、慰められても、私の気持ちは救われなかったの(笑)。でもこうして心配してくれる家族のために、私はくじけちゃいけないって思いましたね」
ところがそれから5年がたった2021年に、今度は鼻の右側の骨の横に、前と同じ皮膚がんが見つかる。
「定期検診を受けていたので、今度は早く見つけられました。1mmと言われていたので、切って4、5針縫えばいいと思っていたのが、実際は24針。黒い糸で鼻から頬にかけて縫われてました。まるでパッチワーク?って」
傷痕を見て、驚愕した。
「でも、縫い目をよく見たら、本当に丁寧に縫ってあったんです。思わず『先生、パッチワークキルトやりませんか』って(笑)。でも二度目なら、ショックも少ないだろうなんてとんでもないわ。顔だし、怖いし、気持ちも沈みます。ただ、私は“がんには負けられない”。その気持ちは人一倍強いと思います」
なぜなら、長女の“死”が、常に頭にあるからだ。
家族は「一番身近なドクター」
キャシーさんは長女を若くして肺がんで亡くした。
「まだ29歳でした。タバコも吸わない七奈美に、そんな“まさか”が起こったのです。娘は必死に生きようとしていた。“がんに勝つことはできないかもしれないけれど、負けないでいられればいい”と、そんな思いで、彼女もすごく頑張ったし、私たちも全力で彼女を支え続けました。結果として娘は逝ってしまったけれど、私たち家族は、がんとの向き合い方を彼女から学びました。だから私も、二度の皮膚がんに“負けるものか”と、前向きになれたんだと思います」
生身の身体は、何が起こるかわからない。何が起きても不思議ではないとキャシーさんは言う。そして、がんを患った家族がいると、互いの身体を気遣う意識は、高くなると思うとも。
「うちの家族は誰かがちょっと変な咳をすると、すぐに病院に行くようにすすめるの。お互いをよく見てるんですよ。勝野が席から立ち上がるときに、いつものような勢いがないなとか、歩くときに足を引きずっているなとか、気になれば『どこか調子が悪いの?』と聞きます。逆に彼のほうからも『今日、起きるときにだるそうだったけど、大丈夫?』と聞いてくることもあります。家族はいちばん近くでお互いを見守っている専属のドクターやナースみたいな存在なんですよ」
こうして、意識を高くもっていたために、早期発見につながった今回の皮膚がんだが、タレントでもあるキャシーさんにとって、再び顔にメスを入れるのに、どんな葛藤があったのか。
「子どもを産んだ後は、モデル時代と比べると身体はずいぶん大きくなったわ(笑)。それで体形を揶揄されたこともあったし、『あんなにキレイだったのに』とも言われました。でも、“今の私が、私なんだから”とずっと思ってきたし、人の言うことは気にならないの。涙が出たのは、皆さんにわかってもらえると思うけど、両親からもらった自分の顔が、一体どうなってしまうのかという不安が大きかったから」
キャシーさんがこよなく愛するライフワークといえばパッチワークだ。今年は活動50周年を迎える。
針を持つと胸騒ぎがスッと消える
「悲しいことも、つらいこともいっぱいある。ただ、気持ちが沈みそうなときに、私にはキルトがあったの。娘が亡くなったときは3か月間、針が持てなかった。けれど、こんな私を娘が望んでいるだろうか……と自問して、娘の大好きなオレンジ色の布を手にとってキルトを縫い始めました。悲しみは消えないけれど、縫いながら娘と心の中で話をしているうちに、前に向かわなくてはという気持ちになれました」
がん再発のときは、なんで二度もと憤ったりした。
「深夜にひとり静かに縫っていると、世界中のどこかで私と同じように“なんでだぁ!”と思いながら縫っている人がいるかもしれないって。そんなふうに思うと、心のざわめきが落ち着きます」
キャシーさんの口癖は“まぁ、いいか”。こうなってしまったら仕方がない。次に向かおう!という前向きな気持ちが込められている。
「5年後に、また皮膚がんになっているような気がします。でも、それも仕方ないわね。まぁいいか、くよくよしても仕方ないわ!ってね」
そして最後はキュートに、こう締めくくった。
「皮膚がんは日焼けが大きなリスクになるので気をつけてほしいわ。“太陽にほえる”のはいいけど、浴びすぎちゃあダメよ(笑)」
キャシー中島さん ハワイ・マウイ島生まれ。17歳でモデルとして芸能界デビューし、その後テレビタレントとして活躍。俳優の勝野洋と結婚後は3人の子どもを育てながら、パッチワークスクールを主宰。日本におけるハワイアンキルトの第一人者である。今年はキルト生活50周年を迎え、多くの記念イベントが開催されている。