クロちゃん(安田大サーカス)がドラマになった。タイトルは『クロちゃんずラブ~やっぱり、愛だしん~』(Paravi独占配信)。演じているのはイケメン俳優の野村周平だ。
かつてはビートたけしの子ども時代を描いた『たけしくんハイ!』(NHK総合)がヒット。最近では『だが、情熱はある』(日本テレビ系)で山里亮太(南海キャンディーズ)と若林正恭(オードリー)の青春がドラマ化されているが、クロちゃんもいよいよそのレベルまで来たということだろうか。
いや、そこまでではない、と言いたい人もいるだろう。実際、仕事ぶりを見ても、その人気はまだまだ限定的。活躍の中心は相変わらず『水曜日のダウンタウン』(TBS系)だ。
飽きられないための“緻密な計算”
こうした構図は『電波少年』シリーズ(日本テレビ系)における松村邦洋などを思い出させる。あるいは『吉本新喜劇』の芸人たちのウケ方にも近いかもしれない。
ただ、そこが飽きられない理由でもある。芸人は老若男女に認知され、あちこちで見かけられるようになった時点で、ひと区切り。そこから一流に駆け上がるか、一発屋で終わるかだ。しかし、認知度や露出度が足りていないうちは、消費され尽くすことなく、適材適所的に存在し続けることができる。
ではなぜ、そういうところにとどまっていられるのか。1月に出版されたクロちゃんの本『日本中から嫌われている僕が、絶対に病まない理由』では、親友の高橋みなみがこんな指摘をしている。
「“こういう発言をしたら、世間からはこう見られるはず”みたいな自己分析を常に欠かさない。なにか芸人っぽくないんです。むしろ敏腕な経営者みたいな印象があって。クロは抜群に頭が切れます」
嘘つきキャラにも汚部屋エピソードにも、彼の緻密な計算が働いているというわけだが、普通、こういう話がバラされ始めると、芸人のパワーは弱まるものだ。
にもかかわらず、多くの人にとって彼はキモいままだろう。それこそ、計算であそこまでできるのかと、えたいの知れないモンスター感が強化されているようにも思える。
“限定的”な強さ
また、前出の本には『水曜日のダウンタウン』のディレクターも登場。最近、変わり者がひどい目に遭うような見世物小屋的な笑いはよしとされないため、クロちゃんは不利な状況にあり、
「誰がやっても面白くなる素材ではない」
と語っている。つまり、あの面白さはいじられる側といじる側の職人芸によってギリギリ成立しているわけだ。それゆえ、持ち味が活きる場所も限られるのだろう。
そういえば最近『相葉マナブ』(テレビ朝日系)で丸刈りの芸人が出てくることが「お約束」になっている。レギュラーの澤部佑(ハライチ)や小峠英二(バイきんぐ)に加え、岡部大(ハナコ)やあばれる君が登場。とはいえ、クロちゃんがそこに加わる光景はまだ想像できない。
なお、彼に一大転機をもたらした『水曜日のダウンタウン』では、その後、アイドルグループ『豆柴の大群』をプロデュースしたり、10年ぶりに彼女ができたりという話題が提供された。
その盛り上がりはやはり限定的だが、みんなにいじられ始めたら、キモあざとさが世間に共有されて予定調和になってしまう。また、彼女ができたくらいでおとなしく変わるようでは、モンスター失格だろう。
クロちゃんにとって、次の転機はなるべく来ないほうがいいのだ。
ほうせん・かおる アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。著書に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)。