国山ハセン

 昨今、タレントのセカンドキャリア、パラレルキャリアが話題になっている。

 筆者も元アナウンサー・タレントの一人で、10年間フリーの女性アナウンサーとして活動した。タレントのキャリアに関するニュースが増えるなか、タレント自身のキャリア観はどう変化し、実際どのような新天地で活躍を遂げているのか。

 そこでタレントのキャリアの実情を探るべく、今回は元TBSアナウンサーの国山ハセン氏(32)に話を伺った。

国山ハセン、アナウンサーを選んだ理由と辞めた理由

 大学時代は経営やマーケティング、国際協力について学び、サッカー部に所属。卒業後は、「自分の興味ややりたいことが全て詰まっていた」という理由でテレビ局に就職したと話すハセン氏。

「当時(2013年頃)はメディアの中でもテレビの影響力は非常に強く、そういった部分にテレビの魅力を感じました。自らも取材をし、自身の言葉で伝えたいと考えアナウンサー職を選択したんです。

 アナウンサーは、タレントやアスリートなど第一線で活躍する人々と接する機会も少なくない。日々、テレビ番組という特別な空間で彼らと会話をしながら人生の重要な土台を築くことができたと思っています」

メディアについて話す国山ハセン

 充実した仕事、高収入、安定。そんな好条件に見えるテレビ局の職を2022年末に離れた。現在は、WEBメディアを運営する株式会社PIVOT(以下PIVOT)でプロデューサー就任。コンテンツ作りに取り組みながらタレントとしても活動をしている。

 彼がTBSに在籍していた10年は、まさにメディア業界の勢力図が大きく変化した時代。その渦中でどのようなことを感じていたのか。

「アナウンサー5年目くらいの時期だったと思うのですが、『AbemaTV』(現在のABEMA)が出てきたり、『YouTube』が話題になり始めたりした頃を鮮明に覚えています。

『DAZN』、『Netflix』などストリーミングサービスが出てきて、地上波は『TVer』(無料見逃し配信サービス)を始めたり、その中で、今後メディアは大きく変わっていくのだろうなと漠然と感じていました。

 リーチする人の数、視聴者の数は圧倒的にテレビが多いので、テレビのパワーが落ちているとは思いません。しかし、テレビを見ている年齢層がどうしても高齢化しているとか、メディアの勢力図が変わってきているというのは徐々に感じていましたね

見える景色がだんだん変わらなくなってきた

 そんな中、国山さんは立ち上げ間もないWEBメディア『PIVOT』へジョインすることを選択した。

「TBSで色々な番組をやらせてもらっているうちに、見える景色がだんだん変わらなくなってきたというか。ある程度のことはもうできるようになって、ここから先は多分自分で何かクリエイティブというか、ゼロからイチを作れるようになるかどうかが重要だと思いました。

 テレビ局での自分の未来はなんとなく想像できてしまったのです。そのままいれば、もしかしたらMCができたかもしれないし、メインキャスターがやれたかもしれない。でもその未来はなんとなく見えていました。

 今、PIVOTに来てみて10年後はどうなっているか全く見えないのですが、見えないからこそすごくワクワクして、そのことに魅力を感じて決断できたのだと思います」

 新しいワクワクに魅了されての決断。アナウンサーの転職は今や珍しくなくなったが、彼はどのように考えていたのか。

「世の中は自分が思うよりもっと広いし、キャリアに関しても色々な選択肢があって良いというのは漠然と思っていましたが、その時はまだ自分のやりたいことがテレビの世界にあったので続けてきました。

 一般的に転職はキャリアアップが目的ですが、リアルな話、テレビ局は年収も高いし、働く環境においても、それを上回る環境はなかなか日本では多くないので、転職は簡単ではないと思っていました。でも今後は変わっていくと考えています。

 人材が流動化していくことはポジティブな側面もあるからです。

 テレビからWEBメディアに来た僕は、引き続き出演もしていきます。色々なキャリアを持つ人が移動することによってロールモデルも増えていきますし、それは良いことだと思っています」

転職に対しての考え方を話す国山ハセン

アナウンサーからの転職の可能性

 民放テレビ局アナウンサーがWEBメディアに転職という事例は、センセーショナルなニュースであったが、アナウンサーの経験を活かせる新しいキャリア構築の形でもある。

「アナウンサーのキャリアだけにフォーカスすると、表現力を極めていく形もあれば、制作に携わっていくという形もあってもいいのではないかと考えました。まだまだできないこともたくさんありますが、経験を積んでいけば面白い将来があるのではないかという感じですね」

 現在、PIVOTの映像プロデューサーとして番組企画、キャスティング、制作、出演とあらゆる業務を担当している国山氏。テレビ局という巨大な組織を離れ、少人数で番組を作る中、様々な経験をしているのだとか。

インタビューに答える国山ハセン

「TBSから離れて、視野が広がったと思います。TBSに育てていただいた恩はとても感じていますし、色々な現場に取材に行くことができるのはテレビの魅力でしたね。メディアのパワーバランスが変わってきてはいるけれど、テレビの影響力の大きさとか、一つ一つのスキルの高さは変わりません。

 僕はPIVOTというWEBメディアでも働きながら、テレビにも出演するので、両方が見えているのは良いことかなと思いますね。

 あとは、一度転職を経験すると、辞めて挑戦することが怖くなくなりました。自分の決断力、責任感というのが増してくるのでそこはとても大事なポイントだと思います」

自分のキャリアにオーナーシップを持つことの大切さ

 そんな彼は転職後に、印象に残る言葉をツイートしていた。

《転職して良かったのは自立とは何かを理解できた、オーナーシップを持つという事》

 その真意を聞くと、

「会社や組織に属していると、その組織をとても巨大なものに感じていて、自分のキャリアに関して、能動的に動かないものですよね。大企業は特にそうかもしれません。

 僕は転職をして環境が変わり、世の中の人はこんなにヒリヒリした環境でやっていて自立とは何かを理解して、キャリアオーナーシップを持って生きているのだと感じました。

 アナウンサーの時は、どうしても他人の評価軸が重要で、なぜ評価してもらえないのだろうと疑問に感じることもありました。でも、今の僕は自分自身のキャリアに責任を持って意思決定できているのだと改めて実感してます」

 PIVOTの行動指針の一番始めに「我々はプロスポーツチームだ」という言葉があり、そこに一番感銘を受けたと語る国山氏。

「PIVOTはひとりひとりのプロフェッショナルが集まっている会社です。それぞれ、アスリートがチームに所属して、移籍していくような感覚を持っている。僕はいかに自分の能力や、価値を高められるかが重要だと思っていますし、それがスタートアップ企業に参画する醍醐味だと思っていますね」

 新たな環境に身を置き、新しい一歩を歩み始めた。最後に「これからの未来」について話を聞いた。

「5年後には意外とテレビでキャスターをやっているかもしれないし、政治家を目指しているかもしれないし、起業しているかもしれない。でも一貫して“伝えたい”という思いが僕にはある。

 伝えることで社会貢献をしたい、というのは就活の時から言っていたのですが、その軸はぶれずにその手段としての職業があればいいと思っています」

「これからの未来」について話す国山ハセン

 恐らく、今のポジションはアナウンサーとしてのキャリアをスタートした頃には想像もしなかった場所だろう。転職を経て、自身のキャリアオーナーシップを持つことを実現した。彼のこれからの活躍がますます楽しみだ。

※国山氏のセカンドキャリアや転職に対しての考えなど詳しい内容はWebサイト『エンタメ人』にて→https://entamejin.com/column/archives/7052

国山ハセン(くにやま・はせん)●1991年1月5日生まれ。東京都出身。元TBSアナウンサー。2022年末に同社を退社。現在はWEBメディアを運営する株式会社PIVOTでプロデューサーとしてコンテンツ作りに取り組みながらタレントとしても活動中。
取材・文/別府彩(べっぷ・あや)●タレントキャリアアドバイザー。10年間フリーアナウンサーとして活動。31歳で遅咲きのグラビアデビューを果たし、『踊る!さんま御殿!!』などのバラエティー番組に出演。33歳で芸能界を引退。自身の転職経験を活かして、株式会社エイスリーでパラレルキャリア・セカンドキャリアを望むタレントのサポートを行う。