「認知症の母が亡くなったのは、コロナ禍真っただ中の2021年でした。施設にいたので、2年間会えないまま亡くなってしまって。最後にもっと一緒にいる時間が持てていたら……と今でも悔いが残ります」
涙ながらにそう話すのは、『3年B組金八先生』で女優デビューし、アイドル歌手やグラビアで活躍したつちやかおりさん(58)。元シブがき隊の布川敏和さん(57)との結婚を機に芸能界を引退し、3人の子育てを終えて現在は認知症ケア指導管理士としても活動している。
認知症に直面して家族がバラバラに
「母が入所していた施設から、私が2回目の新型コロナのワクチンを接種すれば面会できると言われて2年ぶりに会えるのを楽しみにしていたんです。9月半ばに接種の予定でしたが、母はそれを待たず、8月末に老衰で亡くなってしまいました。89歳でした」(つちやさん、以下同)
つちやさんのお母さんがアルツハイマー型認知症と診断されたのは2010年のこと。最初の数年間は、実家暮らしのお兄さんが主に1人で看ていたが、症状が悪化したため、つちやさんの提案でグループホームに入れることに。
「当時、私は夫と3人の子どもと東京に住んでいたので、千葉の実家までは手伝いに行けても月数回。兄に任せきりで申し訳ないという気持ちが強かったですし、母の徘徊も始まって、このまま兄が1人で看ていたら絶対に事故が起きると思いました。預けることに対して葛藤もありましたが、今は決断してよかったと思っています」
そもそもつちやさんがお母さんの異変を感じはじめたのは、認知症とわかる10年近くも前だった。
「私のいちばん下の娘には難病があるのですが、その子が生まれてきたとき、『大変ねえ』と言った母の反応に心がこもっていない感じがして少し違和感を覚えました。母はすごく優しい人で、何かあれば自分のことのように一喜一憂してくれる人でしたから」
しかし3人の育児と家庭の切り盛りで忙しく、深くは考えなかったという。
ところがその後も、つちやさんとの待ち合わせ場所に何時間も遅れて到着するなど異変が続いたため、実家のお父さんとお兄さんに一度お母さんを病院で診てもらおうと提案するも、一蹴されてしまう。
「一緒に暮らしていた父と兄は、私よりも母の異変を感じていたはず。お米の量を間違えて炊飯器からお米があふれてきたり、洋裁が大好きな母の大切なミシンがいつもとは全然違う場所から出てきたり。
それでも、病院に連れていきたがる私に対して『なんでお母さんを認知症にしたいんだ? 一緒に暮らしているから認知症じゃないことぐらい俺たちはわかる』と、聞いてくれませんでした」
家族で意見が噛み合わず、もめることも度々。いちばんつらい時期だったという。
「父は昭和の代表のような亭主関白な男性。普段は威張っているけど母がいないと何もできないんです。独身の兄も心を許していたのは母だけでしたから、2人の心の支柱でした。そんな母が壊れていくのを間近で見て、認知症と認識していた一方で、現実を受け入れることができなかったんでしょうね」
結局お母さんを病院に連れていったのは、さらにその数年後だった。
穏やかに過ごす母の姿に安堵
その後、お父さんは他界し、つちやさんが月数回手伝いに行くほかは、お兄さんが1人で面倒を見ることに。
「認知症の症状が進んで兄の負担はかなり増していたため、グループホームへの入所を提案したんです。
24時間体制でスタッフさんが見てくれるので、自由に行動できて母にとってもいいなと思いました。家では危険を防ぐために、料理や裁縫など好きなこともやらせないようにしていたので」
認知症の患者さんは、施設に預けたほうが安全で、自由にいきいきと過ごせるケースが多い、とつちやさん。しかし入居が決まってホッとすると同時に、兄の反対を押し切って預けたことに強い後悔を感じるようになる。
「入居直後は1か月、面会禁止で、その間にスタッフさんから、お母さまが帰る身支度をしはじめて……と電話で聞いたりしてつらかったですね」
施設に入れてよかったのはわかっている。それでも葛藤が生じるのは、大切な家族だからこそ。
「相手を心の底から思っていたら、預けることにやっぱり抵抗を感じると思います。でも症状が進んでから1人だけで安全に介護するのは難しいし、看ている側も壊れてしまいかねない。家庭内できちんと役割分担できるならいいんですが」
大切な親を施設に入れることに迷ったら、申し訳ないという気持ちは一度吹っ切って現実的に判断することが大切だという。
「母は少しすると、ホームで張り切って料理などを手伝っていると聞いて少しホッとしました。症状は進行していきましたが、少しでも穏やかに過ごせるようになった母を見て、預けてよかったんだって心から思えるように」
また、お母さんを見て、音楽の不思議な力を感じたというつちやさん。
「母はホームでよく歌を歌っていました。私の名前を忘れても、私のデビュー曲や自分が好きだった曲は歌詞まで全部覚えていて、最後まで歌えたんです。認知症になっても音楽の能力は残りやすいといわれていますが、スタッフさんも驚くぐらいでした」
最後の2年はつちやさんが娘であることもわからなくなっていく。
「1回でいいから、また『かおちゃん』と呼んでほしい、と寂しさが込み上げてくることもありました。でも、帰り際に私の手をぎゅっと握って離さないんです。他の人にはしないので、どこかで私のことを大切な人だと思ってくれているのかなって。そのうちに、母が穏やかに過ごせていることが私の喜びだと思えるようになっていきました」
認知症の専門資格を取得
グループホームの暮らしにも慣れ、穏やかに過ごしていたお母さんだが、ある日、突然食事を食べられなくなってしまう。その際のホームの方針に疑問を感じ、誰かに相談できたらと思い調べるうち、認知症ケア指導管理士の存在を知った。認知症の患者さんや家族、ケア職員に対して、指導や管理を行う専門職だ。
「スタッフさんも一生懸命考えてくれますが、家族と意見が合わないときもあります。認知症ケア指導管理士は家族と職員の間に入ってくれると知って、これだと。自分で解決法も知りたかったので、だったら自分でなっちゃおうと資格を取りました」
それから認知症ケア指導管理士の存在をもっと知ってもらいたいと、いろいろな施設で講演会を計画するが、コロナ禍ですべてキャンセルになってしまった。
「活動はストップしていましたが、コロナも落ち着いてきたのでこの春からもう一度活動したいですね」
お母さんの認知症を経験し、資格も取ったいま、つちやさんが思うこととは。
「認知症がわかったら家族全員が一致団結することがなにより大切だと思います。自宅で介護するなら、役割分担をして互いの気持ちのケアをすること。それが難しければプロの力を借りることも視野に入れてみて。誰か1人が背負ってしまうといつか破綻してしまいます。預けることに不安を感じるなら、一度、家族で施設へ見学に行ってみると理解につながるはず。認知症ケア指導管理士に相談するのもおすすめですよ」
(取材・文/井上真規子)