3月3日に公開された『映画ドラえもん のび太と空の理想郷』が、約1か月で興行収入40億円、観客動員数337万人を突破したと報じられた。「ドラえもんはメッセージ性があるから好き」「ドラえもんはそんなに観ないけど、涙が出そうだった」など、ドラえもんファンだけでなく多くの観客の心に刺さったようだ。
主題歌(『Paradice』)に人気絶頂のNiziU、声優にKing&Prince永瀬廉を起用したことも話題になったが、改めて国民的アニメとしての存在感を見せた形だ。
そんな人気のあるドラえもんにも、少し不気味な都市伝説が存在する。本記事ではドラえもんの作者である、藤子・F・不二雄氏が逝去した日の不可思議な「都市伝説」について迫った。
ドラえもんの都市伝説として噂される『行かなきゃ』とは?
1996年9月23日。この日午前2時ころの深夜に突然、真っ暗な背景の中をのび太が延々と歩き続け、ふと思いついたように振り返り「行かなきゃ」とだけ発言する映像がTVで放送されたという噂が、当時の視聴者の間で囁かれたのだという。この放送は『行かなきゃ』と題され、今日までネットを中心に語り継がれることとなった。
『行かなきゃ』を見たという声は多いものの、当の放送内容についてはネットを巡回してみると、視聴者によってさまざまな証言があるようだ。たとえば「背景は真っ黒ではなく、空き地へと続く道が延々と流れていた。空き地に着くとドラえもん・ジャイアン・スネ夫・しずかちゃん・出木杉くんが集まっていて、のび太は『行かなきゃ』と言うと皆のもとに向かって走っていった」という説もある。
また、内容として「ジャイアンとのび太が喧嘩中に、ドラえもんが秘密道具を渡しに来た。のび太は秘密道具を受け取らず戦い、その様子にドラえもんは感動し、ジャイアンも心を打たれ和解した」という説もある。最後にのび太が「私がいるべき世界へ行かなきゃいけない。また会える日を楽しみにしている」と言い残したとされている。
ほかにも「最後にのび太の姿が藤子・F・不二雄氏に変わった」や「行かなきゃの声はのび太の声優ではなく藤子・F・不二雄氏のものだった」「ドラえもんがのび太に『もう行っちゃうんだね』と声を掛け、のび太が『行かなきゃ』と応答した」などという話もある。
件の放送は、目撃者によって内容が異なっていたことも不思議である。同都市伝説について考察しているYouTubeの動画には、「突然夜中にこんな映像が流れたら死ぬほど怖い」「『行かなきゃ』って発言と一緒に振り返るところで鳥肌が立った」など、ホラーとして受け取るコメントがついた。
テレビ朝日に問い合わせたところ「完全否定」
藤子・F・不二雄氏が逝去した日の未明に放送されていることから、「本人があらかじめ放送をお願いしていた」という説も持ち上がっている。
F・不二雄氏の逝去は当時の新聞によると、23日の午前2時10分だったという。もともと肝臓が悪く、この8、9年前から入退院を繰り返しており、
倒れたのは20日午後8時ごろ。川崎市多摩区の自宅書斎で月刊誌「コロコロコミック」11月号に掲載される「のび太のねじ巻き都市冒険記」をかいていた時に突然意識を失った。家族が机にうつぶせになっている藤本さんを見つけ、救急車で慶応大病院に運んだ。救命措置が取られたが一度も意識が戻ることなく、23日午前2時10分、正子夫人、3人の娘さんにみとられ息を引き取った。(日刊スポーツ1996年9月24日記事より)
つまり、F・不二雄氏がこの世を去った時間のころに放送があったことになり、それが「本人が放送をお願いしていた」という説につながったのかもしれない。
YouTubeの「藤子・F・不二雄氏の追悼番組説」を説く動画には、「故人本人の希望で放送されたと思うと(放送局に)感謝の気持ちが湧くかも」や「理由(追悼番組説)を聞くまで怖い話だけど、理由を知ったら感動する」など、放送内容に対する印象が変わったという声も寄せられた。
さて、ではこのような放送は実際にあったのだろうか。アニメ『ドラえもん』の放送局であるテレビ朝日広報部に、「件の映像が放送された事実があるのか」と問い合わせたところ、「テレビ朝日でご指摘のような放送はしておりません。」という回答だった。
これほど多くの証言が出回ったことへの不思議はあるが、それだけ多くの人が関心を寄せる、ドラえもん、藤子・F・不二雄氏の影響力の大きさの証だろう。これで、『ドラえもん』にまつわる都市伝説の1つに終止符が打たれた。