橋田壽賀子さん

 脚本家の橋田壽賀子さんが亡くなられてまもなく2年が過ぎたが、今になって彼女の周囲が騒がしい。

《橋田壽賀子さん、熱海の豪邸が“財団”の手によって売りに出されていた!》

《橋田壽賀子さん追悼ドラマに泉ピン子を外し…坂本冬美を重用した石井ふく子さんのただならぬ思い》

《「あなたはうちの墓に入れない」と言われ…橋田壽賀子追悼ドラマが「ひとりぼっち」である理由》

 これらはここ最近報じられている橋田さん関連の報道だ。'22年にも泉ピン子と橋田さんの関係者の間で遺骨をめぐるトラブルが発生している。

私が死んだらこの家はTBSに寄付したい

《泉ピン子、「橋田壽賀子の遺骨を海に」はウソだった? 関係者らは「何から何まで事実と違う」》(' 22年6月23日、デイリー新潮)

 一部報道によると、橋田さんの遺骨は愛媛の両親の墓に納骨され、また生前に夫婦用に用意していた静岡の墓に分骨する形で納められているという。

 橋田さんが紡いだ物語は、“世間は鬼ばかり”だったが、出演者や関係者同士のトラブル、また“半生”を過ごした自宅がこんなこと形になることなど、彼女は決して望んでいなかっただろう。

 現在売りに出ている豪邸は熱海の山の上にある。橋田さんは49歳のときに移り住み、亡くなる95歳までおよそ半世紀もの時間をそこで過ごし、『渡鬼』出演の赤木春恵さん、『3年B組金八先生』の脚本家で知られる小山内美江子らと親交を育んだ。

 同物件は、橋田さんが亡くなった2021年4月4日に財団へ遺贈されているが、生前、橋田さんは自らの筆で築き上げたこの豪邸の“別の使い方”を考えていたという。

私が死んだらこの家はTBSに寄付したい

 生前、橋田さんはそう話していたという。

橋田さんとTBSの関係

 橋田さんを知る関係者は、

橋田さんも90歳を越えて、“いつ死んでも”という考えだったと思います。実際、終活についての取材も複数受けていました。平成元年に夫と死別してからは、亡くなられるまで通いのお手伝いさんと暮らしていました。そのため自分が亡くなった後の使いみちをいろいろ考えていたのでしょう

『渡鬼』の放送局であり、夫も当時勤めていたなど、橋田さんとTBSの関係は深い。

亡くなられる2〜3年くらい前からですかね。“私が死んだら旦那もいないし、この家はTBSさんにもらってもらおうと思って、そういう話をしたの”と話していました。“広いからいろいろ使えそうでしょ。スタジオとかね”と」(前出・橋田さんを知る関係者、以下同)

 鉄筋3階建て。書斎には数々の名作の脚本が並んでいたそうで、資料館としても活用できたかもしれない物件だったという。

ゆかりのあるテレビ局に保存してもらえたら……という思いもあったのでしょう。しかしTBSも橋田さんの物件を引き継ぐなんて恐れ多いと思ったのか、活用が難しいと考えたのか、“でも、なかなかもらってくれないのよ”と話していましたよ

 橋田さんが設立し、理事長を務めていた橋田文化財団にこの件について問い合わせたところ、

財団としてはそういう事実は確認できておりません。財団は橋田先生の遺言に従って事業を進めております

 なぜ話はこのような流れになったのだろうか。 

橋田先生はかなり内々に提案のような形で話をしていたようなので、限られた方しか知らなかったのかと思います。TBS側も同様で話は進まず、財団が主体となって管理する形になったのでしょう」(芸能プロ関係者)

 かつて新婚旅行のメッカだった熱海だが一度は衰退、廃ホテルも目立ちゴーストタウンのような地域もチラホラという状況だったが、近年は開発が進み、観光客が増えていた。現時点で橋田さんの豪邸に買い手は付いていない。橋田さんによって名作が生まれ続けた終の棲家の未来は――。

※5月8日に追記しました

「相模湾の絶景 高台に建つ温泉付き大型邸宅」売りに出された橋田壽賀子さんの豪邸。価格は6800万円とある

 

ちょっぴり色気のある衣装でインタビューに答える若き日の泉ピン子

 

当時30歳の泉ピン子('77年)

 

『渡る世間は鬼ばかり』は'90年から足かけ29年にわたって放送された

 

【写真】橋田氏が脚本を手がけたTBS系ホームドラマ『渡る世間は鬼ばかり』