「タレント」「歌手」というかつての肩書や経歴を捨てて第2の人生を選んだ元芸能人たち。まったく異なった世界へ飛び込んだ彼、彼女らを待っていたのは芸能界以上に厳しい「現実」、そして想像以上の「やりがい」だった―。シニア支援、農業、仏門とそれぞれの世界のプロを目指す姿を追った。歴史アイドルからシニアの就労支援会社を設立した小日向えりさんにインタビュー!
二十歳でデビューし“歴史アイドル”というジャンルをつくり、惜しまれつつ2020年に芸能界を引退した小日向えりさん。テレビに出る際は歴ドルとして、時には戦国武将に扮し、時にはお姫様スタイルで、城郭などの歴史的名所旧跡を紹介していたが、2012年当時、もうひとつ別な顔も持っていた。
「歴史アイドルとして活動しつつ、そこで培った知識をビジネスとして展開できないかと考えて歴史グッズの通販事業を始めました」(小日向さん、以下同)
確かに、自分のやっていることを、なにかビジネスにつなげないかと考えることはあるだろう。手芸が得意だから作品を売ってみたいなど、頭をよぎることはあっても、なかなか実行は難しい。
「独立精神が旺盛というわけではなかったのですが、とにかくイチから自分でやってみたかったんです。法務局って何するところか、税理士さんってどうやって探すのか。そんなこともまったく知らなくて。でも、起業家セミナーなどに出て、多くの人にアドバイスをもらいました」
そしてこの経験が、『ぴんぴんころり』というユニークな名前の会社の起業へとつながっていく。
「私はおばあちゃんっ子で、その祖母が退職したとたんに元気をなくしてしまったんです。その時に、何歳になっても働いて社会との関わりを持っていること、自分が必要とされているということが生きがいにつながっているんだと気づいたんです。高齢者がずっと元気でいるにはどうしたらいいのか……それが頭に残って」
その思いを形にすべく、2020年に『ぴんぴんころり』を起業。いつまでも元気に働き続けようという思いを込めて、事業内容は「東京かあさん」と呼ばれる家事育児サポートサービス。育児や家事経験のあるシニアが、子育てなどで忙しい家庭のお手伝いに行くというシステムだ。
原点は「祖母に喜んでもらいたい」気持ち
「これまでは、子どもの面倒、掃除それぞれ別のサービスがほとんどでしたが、“東京かあさん”では、お掃除もお料理も子どものお世話も手伝います。いわば“東京のお母さん”なんです」
事業は当たった。女性の社会進出と、元気なシニア層という社会事情の後押しがあって、事業は小日向さんの想定よりも順調に伸びたのだ。
「身体が2つ欲しいと切実に思いました。歴ドルは大好きな仕事だからやめたくなかった。でも私のために仕事を入れてくれるマネージャーさんに、全力投球で応えられないのは失礼だと思ったし、また『ぴんぴんころり』で頑張ってくれている社員を前に“今日はテレビの仕事だから”と席を離れる自分もイヤだった。私はスーパーマンでもないし、どっちかを選ばなければならなくて、シニアの方たちが元気になれる会社をやっていこうと決めました」
こうして2年前に芸能界を引退した小日向さん。その後すぐのコロナ禍で、一時期は登録者が減ったが、それも今は回復し、働きたいという人も、手伝ってほしいという人も増えている。
「私の原点は祖母に喜んでもらいたいってこと。私がテレビに出ていると祖母はとっても喜んでくれましたし、今の起業もそう。『ぴんぴんころり』も、祖母と同じシニア層に元気に働いてもらいたい思いで始まりました。働く現場の方々とお話をすると、皆さん本当に元気で。逆に私が元気をもらっています」
そして、笑いながらこう付け加えた。
「もう芸能界には戻らないけど、こうしてメディアに取り上げてもらうと、祖母が喜んでくれるんです」
1988年生まれ、奈良県出身。横浜国立大学卒業。20歳のときに歴史アイドルとして活動を始め、歴史グッズ通販サイト「黒船社中」を主催。芸能と実業の二足のわらじをはき、2017年に高齢者支援事業である株式会社ぴんぴんころりを設立し、代表取締役に就任。2020年に芸能界を引退し実業家として現在に至る。
取材・文/水口陽子