King & Prince(以下、キンプリ)の平野紫耀と神宮寺勇太が5月22日でジャニーズ事務所を退所する。岸優太は同日にキンプリを脱退し、8月25日に公開される主演映画『Gメン』のプロモーション活動を終える秋ごろをもって、退所する。
キンプリは永瀬廉と高橋海人の2人でグループ活動を継続するが、事実上の“分裂”まで残り2週間を切った。
「5月23日のデビュー5周年記念日は、残る2人だけで迎えます。その直前の5月19日には、テレビ朝日系の『ミュージックステーション』への出演が決定しています。ギリギリまで、ファンに5人でのパフォーマンスを届けようとしているのではないでしょうか」(スポーツ紙記者)
“王道アイドル”から“踊れるグループ”へ
キンプリがデビューしたのは、'18年5月23日。
「ジャニー喜多川さんのはからいで、メンバー自らがデビュー曲を選ぶ機会を設けられたそうです。会議を何度も重ね、200曲ほどあった候補の中から選ばれたのが『シンデレラガール』でした。この曲により、彼らに“王道アイドル”のイメージが定着しました」(アイドル誌編集者)
それが変化し始めたのは、昨年6月のこと。
「4thアルバム『Made in』に収録され、昨年末の紅白歌合戦でも披露された『ichiban』です。KREVAさんが手がけたHIP-HOPナンバーで、難易度の高いダンスが話題になりました。TikTokでもダンス動画が大流行し、彼らは“踊れるグループ”のイメージが強くなっていきました」(音楽誌ライター)
キンプリのダンスパフォーマンスを牽引していたのは、なんといっても高橋だ。
「高橋さんは、6歳からダンスを習っていました。ほぼ毎日、レッスンや自主練を重ね、全国大会で優勝したこともあるそうです」(前出・アイドル誌編集者)
小学校時代の高橋が通っていたダンススクール『スタジオブラックン』の代表Eiko先生に、当時の印象を聞いた。
「顔立ちは、今のままを幼くした感じ。大きくなっても変わっていないですね。性格はおとなしかったと思います。
ダンスは、周りが上手な子ばかりの中、それに負けず劣らず、身体が小さくてもきちんと動けていました。とにかく熱心だったのは印象に残っています。最近では、彼のファンの方や、彼に憧れてスクールに入会したという生徒もいますよ」
未経験メンバーの努力
今後の活躍にも期待を寄せる。
「ダンスのスタイルは多種多様ですが、“見たことがある構成”では、いくら実力があってもつまらなくなってしまいます。なので、技術があるうえで、時代に合った構成や打ち出し方をする人が目立ってくるでしょう。彼には、アイドルでありながらも、顔や愛嬌だけでなく動きで勝負するという“ダンサーのマインド”があるので強いと思いますね」(Eiko先生)
ジャニーズ入所前、ダンスの経験がなかったのが、岸、神宮寺、永瀬の3人だ。デビュー前の彼らを知る関係者が当時を振り返る。
「岸さんは、とにかく努力家で、デビュー前はほかのJr.が帰った後に1人スタジオに残って練習することもありました。汗っかきなので、Tシャツは必ず2枚持ってきていましたね」(芸能プロ関係者、以下同)
神宮寺は、Jr.という不安定な立場の生活に葛藤していたこともあったという。
「突然、翌日に仕事が入ることもよくあります。そのため、ダンスのスキルアップをしたくても、個人的にレッスンを受けに行くのがスケジュール的に難しいことに悩んでいたそうです。永瀬さんは、ちょっとした時間を見つけては、練習していました。ダンスへの苦手意識があったようですが、周囲の足を引っ張りたくないと思っていたようです」
'19年、そんな彼らのことを思ってか、平野がある行動を起こす。
「平野さんがスタッフと相談し、ほかのメンバーに内緒で、全員でのダンスレッスンのスケジュールを入れたのです。その後もこのレッスンは継続され、徐々に周囲からグループ全体のダンススキルを褒められることが増えたそうです」(前出・アイドル誌編集者、以下同)
アメリカで味わった“挫折”
また、同年にはメンバー全員でアメリカでの“武者修行”にも挑んだ。
「平野さんの希望で、世界的なHIP-HOPダンサーであるメルビン・ティムティム氏のレッスンを受けていました。しかし、メンバー全員が世界とのレベルの差を痛感し、挫折を味わったそうです。この挫折が、グループ飛躍につながったのではないでしょうか」
“平野主導”のレッスンが多いが、彼が練習にこだわるのは幼少期からだった。
「平野さんは、小学2年生でダンスを習い始めたそうです。でも、小さいころは目立つのが好きではなかったようで、初回のレッスンは泣きながら見学していたんだとか(笑)。レッスンを重ね、上達するにつれてダンスが楽しくなったようで、多い日は1日7時間も練習していたそうです」(前出・芸能プロ関係者)
しかし、その練習量が裏目に出てしまい……。
「小学4年生のときに膝の半月板を損傷し、手術をしたんです。今でも、動きすぎると痛むことがあるそうです」(同・芸能プロ関係者)
ダンスにのめり込んだことで、音楽の好みも形成されていった。
「小さいころから、海外のHIP-HOPなどのいわゆる“ブラックミュージック”をよく聴いていました。まだ幼いながらも、クラブにも出入りして踊っていましたよ」(音楽業界関係者)
これが、平野の目指す道にも影響したようで……。
「昔から“王道アイドル”よりも、“アーティスト”志向が強いんです。そのことも、退所を考える一因になったのかもしれません」(同・音楽業界関係者)
“アーティスト・平野紫耀”は、これからどんな世界を見せてくれるのか─。