『ギザギザハートの子守唄』でデビューしたのは'83年9月21日。今年はチェッカーズにとって40周年にあたる。
「'92年に解散してから再結成を願う声はありますが、実現していません。解散の原因が藤井フミヤさんと高杢禎彦さんの不仲だといわれていますし、ドラム担当の徳永善也さんが'04年に亡くなっています。今はそれぞれ個人で音楽活動をしています」(音楽誌ライター、以下同)
各メンバーの近況は
'21年にレコード会社が『チェッカーズ公式YouTubeチャンネル』を開設。'22年には限定生産の『チェッカーズ 7インチBOX』が発売された。
「フミヤさんは精力的にライブを行っていますね。初期のヒット曲は、それらを手がけた作曲家の芹澤廣明さんと絶縁状態で長らく歌いませんでしたが、'20年に和解してから解禁に。昨年は武道館で自身の還暦を祝うコンサートを開催し、チェッカーズ時代の曲も披露しました。9月からデビュー40周年を記念して全国ツアーが始まります」
鶴久政治はソロ活動を行いながらアイドルグループ『STU48』への楽曲提供もしている。武内享、大土井裕二、藤井尚之はバンド『アブラーズ』として活動している。だが、4月19日に突然、大土井が体調不良で入院。5月3日に退院して、20日のライブで復帰を目指しているが、大丈夫なのか。大土井の兄に聞いてみた。
「入院については、弟から連絡がありましたが、詳しい病状は聞いていません。“たいしたことないから心配するな”と言っていましたね」
大土井の事務所によると、現在は体力づくりに励んでおり、回復次第、『週刊女性』の取材も受けてくれるとのこと。
「'18年に行われたアブラーズのライブには、フミヤさんが“ミッシェル藤井”名義で参加しました。『涙のリクエスト』を歌っていましたね。40周年でまた顔合わせができればいいんですが、全員が集まるのは難しいでしょう」(スポーツ紙記者)
藤井フミヤを批判した高杢は今
高杢は'03年に暴露本を出版し、フミヤとの対立が決定的に。徳永さんの葬儀で高杢と鶴久が発起人から外されたことで、確執が深まった。
「暴露本では、フミヤさんが芹澤さんの曲を歌わなくなったのは、自分のオリジナル曲で楽曲印税が欲しいからだと強く批判していました。高杢さんは解散後に俳優としても活動していましたが、'02年に胃がんが見つかり、大手術。以降は闘病をテーマにした講演会などに登壇していましたが、現在は芸能活動からは離れているようです」(同・スポーツ紙記者)
高杢は埼玉県にある妻の実家の旅館を共同経営者として手伝っている。近況を聞くために旅館に取材を申し入れたが、返答はなかった。そこで現地を訪ねてみた。
「高杢さんはスタッフとして働いていて、お客さんの送迎もやっていますよ。地元で芸能活動はしていませんね。元チェッカーズということも言いませんし、すっかり一般人として暮らしています」(近所の住民)
旅館の外観は古びているが、内装はリフォームされている。食事の提供はなく、素泊まりで1泊7000円だった。
「以前は食事と温泉でにぎわっていましたが、今は近くの免許センター利用者や工事現場の関係者が泊まるぐらいです。コロナ禍で大変だったみたいですが、夫婦でほそぼそと経営しているようです」(別の住民)
福岡で仲のいい仲間で結成したバンドだったが、40年後の今ではハートはギザギザ。もう一度チェッカーズを見たいという“涙のリクエスト”は届かないのか……。