都内では真夏日を記録した5月18日の午後。東京駅前には、奈良県からお戻りになる上皇ご夫妻をひと目見ようと大勢の人が集まっていた。
「奉迎の際、手荷物は必ず地面に置いてください!」
翌19日から開催されるG7広島サミットの影響もあり、駅頭では厳重な警備態勢が敷かれていた。男性警察官が声を張り上げる中、上皇ご夫妻が手をつないで登場されたのは午後2時過ぎのこと。
上皇さまが美智子さまの手をとられて
「長旅のお疲れをまったく感じさせないほど、矍鑠としておられるお姿が印象的でした。沿道の人々が手を振り、カメラを向けると、おふたりはやわらかな笑顔でお手振りや会釈で応えてくださいました」(東京駅前にいた女性)
5月14日から18日まで、4泊5日の日程で京都府と奈良県を巡られた上皇ご夫妻。退位後初めてとなった私的旅行について、皇室担当記者が振り返る。
「昨年4月の葉山御用邸でのご滞在を除けば、4年ぶりの地方訪問でした。ご旅行中、お付きの職員や訪問先の関係者は、基本的にマスクを着用していましたが、上皇ご夫妻は終始ノーマスク。
訪問先では大勢の人に歓迎され、顔をほころばせて笑っていらっしゃいました。コロナ禍が収束に向かい、国民と素顔のままで交流できる日が訪れたことを、うれしく思われたのでしょう」
初日、京都駅の構内や駅頭では約700人が、上皇ご夫妻をお迎えした。エレベーターからお出ましになったおふたりが、固く手をつないでゆっくりと歩を進められる─。そのお姿を、奉迎した人が撮影した映像は、動画配信アプリ『TikTok』で250万回(5月20日時点)以上も再生されている。
若い世代からも注目を集める中、上皇ご夫妻が1つ目のご訪問先として選ばれたのは、皇室の菩提寺として知られる京都市の『泉涌寺』。
「シンボルである霊明殿にて、歴代の天皇や皇族方の御尊牌(編集部注:位牌)にご焼香、真摯に拝礼されていました。上皇さまが上皇后さまのお手をとり、階段を昇降されるご様子に感銘を受けました」
そう振り返るのは、泉涌寺で寺務長を務める川村俊弘僧正。上皇ご夫妻からは、こんなお心遣いもあった。
「コロナ禍の影響で一時期は参拝者が8割ほど減ってしまいました。ようやく外国の方々が訪日するようになったのですが、おふたりからは“そういう兆しがあるから、頑張ってください”と労いのおことばをちょうだいしました」(川村僧正)
伝統文化の保存や継承をテーマにしたご旅行
ある宮内庁OBは、上皇ご夫妻のご訪問による“宣伝効果”に期待を寄せる。
「皇室の方々がお出かけになると、その様子がテレビや新聞で取り上げられます。皇室と国民の交流が報じられるのは意義深いことですが、それだけでなく、ご訪問先の施設名が全国に広まり、その施設の人々に喜んでもらえるという“副産物”もあるのです」
例えば、上皇ご夫妻が17日に訪問された、奈良県天理市の『なら歴史芸術文化村』は、同県が誇る文化に触れることを目的として昨年3月にオープンしたばかり。
「現存する薬師寺東塔の模型を観覧されました。この模型は前日にできあがったばかりだと知ったおふたりが、“新しい!”と顔を見合わせて笑顔をお見せになっていましたね」(前出・皇室担当記者)
コロナ禍が収束しつつある今、上皇ご夫妻は、さまざまな場所へお出かけになることによって、旅先の“広報活動”を担いたいというお気持ちもあったのかもしれない。
「京都は、東京遷都までの1000年以上、天皇が住んだ地で、皇室にとって“父祖の地”といえます。退位後、初めての私的旅行先として、ふさわしい場所だとお考えになったのでしょう」
そう語るのは、皇室解説者の山下晋司さん。
「在位中の私的旅行を振り返れば、自然の景色を楽しまれたり、災害の被災地や農家を訪問されたりということが多かったように思います。一方で今回は、伝統文化の保存や継承をテーマにしたご旅行でした」(山下さん)
上皇ご夫妻が退位後の楽しみのひとつとされていたのが私的旅行だった。
「ただ、お出かけになれば、相応の警備が必要ですし、マスコミの要望に応じて取材設定も組まれることになる。新時代を迎えた今、上皇ご夫妻の旅行が大きく報じられれば、費用の面なども含めて少なからず国民から疑念の声が上がるのでは、という懸念もありましたが、想像以上にポジティブな反応で、心配は杞憂に終わりましたね」(宮内庁関係者)
美智子さまは、今回の旅行でぜひ参加したいとお考えのイベントがおありだった。
美智子さま、45年越しの夢
「京都三大祭りの1つに数えられる葵祭です。毎年5月15日に行われていて、今年はコロナ禍以来、4年ぶりの開催。迎えた当日は荒天に見舞われましたが、翌16日に順延され、無事執り行うことができました」(地元紙記者)
上皇ご夫妻は、新緑の都大路を華やかな王朝行列が練り歩く『路頭の儀』をご覧になられた。説明人を務めた『葵祭行列保存会』前会長で考古学者の猪熊兼勝さんは、こう語る。
「上皇さまと上皇后さまは、“準備が大変ですね”“馬がおとなしく行きますね”と、互いに感想を述べられていました。おふた方に対し、参列者がお辞儀をすると、上皇ご夫妻は起立して手を振ってくださいました」
猪熊さんと上皇ご夫妻が面会されるのは初めてではない。
「7年ほど前、高松塚古墳をご案内しました。上皇后さまはその際に“葵祭が以前から見たかったんです”と。今回、ようやく実現できて、私自身も光栄ですと申し上げました」(猪熊さん)
葵祭のご観覧は、年来の悲願だったという美智子さま。
「1978年5月、皇太子時代の上皇ご夫妻は、葵祭の前日に京都御所を訪問されたことがあります。その際、当日使用される衣装や牛車を見学されましたが、葵祭をご覧になることは叶いませんでした。それから45年。美智子さまは、長年の夢がついに実り、万感の思いを抱かれているのではないでしょうか」(前出・宮内庁OB)
葵祭の名称の由来はフタバアオイ。その花言葉のとおり、上皇ご夫妻の“細やかな愛情”が垣間見えた古都旅だった。
山下晋司 皇室解説者。23年間の宮内庁勤務の後、出版社役員を経て独立。書籍やテレビ番組の監修、執筆、講演などを行っている