「ゴミ清掃と、ときどきお笑いのラジオだけというときはやっぱり純粋に不安で、この先どうなっちゃうんだろう、このまま一生やっていくのは本人もつらいだろうし、子どもを育てていくにもキツいなという気持ちがあって、その時期はお互いにつらかったです」
キャッチフレーズは「チャンスをつかめなかった者たちの物語」「漫才師たちのセカンドチャンス」。結成16年以上の漫才師を対象とした賞レース『THE SECOND』(フジテレビ系)。
20日に行われ、優勝に輝いたのは『ギャロップ』だ。優勝コンビと同等に注目を集めたのが結成25年のコンビ『マシンガンズ』。同コンビの滝沢秀一(46)は、芸人以外にゴミ清掃員としても活動。“としても”というより、比重は清掃員のほうが重く、本人もゴミ清掃員を「本業」、「心の中では芸人はやめている」と話していたほど。
結成25年マシンガンズ・滝沢の妻が今、思うこと
そんな滝沢を支えてきたのが冒頭の弁、妻の友紀さんだ。“芸人の妻”としての日々、今大会について話を聞いた。
「いや、本当に山あり……じゃなくて、谷あり・谷あり・谷あり……今、山が来たかもっていう感じで(苦笑)」
マシンガンズ滝沢との出会いは23年ほど前のこと。その後、6年半の交際を経て結婚した。滝沢は10年前から芸人の傍ら、生活のためにゴミ清掃の収集作業員となった。その活動からゴミに関する著作も多数。小泉進次郎(当時環境相)や小池百合子都知事とゴミに関しての対談をするなど、芸人としての活動とは反比例するような活躍を見せてきた。
「『THE SECOND』に出るまでは、仕事のほぼ90%はゴミに関する活動で、毎日ゴミのことばっかりでした。なんとなく太田プロさんに所属して、ときどきラジオをやりながら、ゴミのほうをメインに活動していくのかなって思っていたので、今回の結果にすごく驚いています」(友紀さん、以下同)
夫の(久々の)芸人としての活躍は2人の子どもと、そして子どもの友人らも集まり、滝沢家でさながらライブビューイングとなった。
「子どもの友達も含めて20人以上になりました。子どもなので応援も“(対戦相手の)三四郎で笑うな!”なんて言い合ったり。ネタ中に紙を読んだことについて松本さんがつっこんだときは“影響出ちゃうからそういうこと言わないで〜”とか(笑)」
滝沢は今大会の番宣特番で、芸人としてのこれまでを「箸にも棒にもかからなかった」と話していた。言葉を選ばずに言えば、いわゆる“売れない芸人”だ。それを友紀さんは支えてきたが、ときに“身分”を隠し、陰ながら“表”にも出る協力をしたことも……。それは15年ほど前、マシンガンズがラジオ番組の曜日パーソナリティを担当していたときのこと。
《15年くらい前の話。マシンガンズのラジオのリスナーがいなそうだったので毎週メールを送っていた。ラジオネーム「大特価」は実は私です。》(友紀さんのTwitterより)
「ラジオを聞いていましたが、リスナーからのメールがいつも2件とかで、しかもいつも同じ人なんですね。ちょっと可哀想になっちゃって。せっかくコーナーを作っているのにすごく少ないので、1人でもメールが多くなれば張り合いが出るのかなっていう余計なことなんですけど……。
それで毎週送り続けて、夫には言わずに1年以上送っていました。先日ツイートするまで夫は知らなかったのですが、私のラジオネームを夫は覚えていました(笑)」
部屋に掲げられた自筆の“誓い”
“愛のあるマッチポンプ”も、芸人としての成功には繋がらなかった。売れない芸人の妻は、ときに稼げない夫の尻を叩く“鬼嫁”などと紹介されることがままあるが……。
「私はあまりそういうことができるタイプじゃないというのもあるし、夫もたぶんそういうのをやられるのがすごく嫌なタイプだとわかっていたので……。でも、それでも何もしていないで遊んでばっかり、ゴロゴロしてばっかりしていたら、いい加減にしなよってやっていたと思います」
マシンガンズは、人や世間、流行に毒づく、タイプ的には“破天荒”というタイプに分類される芸風だ。
「夫は家にいるときはいつも机に向かっているような人なんです。新聞を広げてずっと記事をメモっていたり。ネタに使えそうな記事をメモしているみたいです。またネタを書いたり、小説を書いたり、わりと家で静かにもくもくとやっているタイプなので、それがお金にすぐに繋がっていなくても毎日そうやっている姿を見ていると、“もっとやってよ”とは言えないので、尻を叩くみたいなことはせず見守っていたという感じです。もちろん家庭内のこと、子育てのことなんかはいろいろ言うときはありましたけど(笑)」
『THE SECOND』の番宣特番で夫・滝沢は「年取って傷つくことに臆病になった。なるべく傷つきたくない」と話していた。ベテラン芸人としてこの大会に出場し、結果が出なければ、それは改めて“面白くない芸人”という烙印を押されることになりかねない。それでも出場した夫をどう見ていたのか。
「出場するという話はとくに聞いていなくて。勝ち進んで、あと2回勝ったらテレビに出るくらいから知って。まさかそんなことをやっているなんて知らなかったです。ママ友から“勝ち進んでるよ!”って連絡もらって知るみたいな。夫の毎日の仕事も基本的に把握していないので、ゴミじゃない仕事に行くときは“あ、今日はお笑いのほうなんだ”くらいで(笑)」
ほぼゴミ専門家として活動していた夫だが、部屋には自筆の“誓い”が掲げられていた。
「夫は書道の師範の免許を持っているんですが、昔自分で書いた“一生芸人”という半紙をずっと部屋に貼っていたんです。今回の大会を見ていたときにそれを思い出して、“芸人を続けて良かったなぁ”って思いました。
番宣で芸人と思っていないというようなことを夫が言っているのを聞いたとき、私もそうは思っていました。でも、今回いきいきと漫才をやっているのを見て、やっぱり芸人としてテレビに出るというのは、夫にとってすごく心の底からの喜び……だったんだなと」
不妊治療や産後うつ、その時夫は
滝沢がゴミ清掃員の仕事を始めたのは、1人目の子どもができたので、出産費用のためだった。
「不妊治療で結構、高額を使ったり、高齢の初産だったので、大学病院での出産となって費用も倍になっちゃって……。それで40万円くらい足りなくなってしまったので、どうしても用意してほしいと夫にお願いしました。
とにかく子どもを産むためには稼いでくれって感じだったので、そこに“芸人として〜”という考えはなくて、そのときはふたりとも必死というか、もう芸人仕事で稼いでとか云々じゃなくて。生きていくために……。やっぱり子どもを持ったので、育てていく責任があるから、その時期はお互いに芸人でなんとかという気持ちはなかったです」
その後、滝沢家を苦難が襲う。友紀さんが産後うつと診断されたのだ。
「2人目を産んだのは46歳でした。親の協力は難しい状態で、とにかく2人だけで2人 の子を育てるというのが意外にキツくて。さらに産後は夫が日中はゴミ清掃、夜にライブだったりして家にいない状況だったので、1人で全部やらなきゃいけなかったのですが、高齢出産のうえに産後なのでフラフラで。さらに上の子は“赤ちゃん返り”して……。
ある程度は区のファミリー・サポートさんに支援を頼んでいたんですが、自分が休む時間が十分になかったので、だんだんと疲れが取れなくなってきちゃって。最初、手がしびれて抱っこができなくなってきて、そこからは本当にうつの症状で、涙が訳もなく流れて、全部悲観的になっちゃって、ご飯が食べられなくなって、眠れなくなって……」
そのとき夫・滝沢は……。
「表面上は淡々としていましたが、心の中ではすごく焦っていたと思います。私が倒れちゃったらどうすればいいんだと……。でも仕事をしてお金を稼がなきゃいけない。どう手伝えばいいか、どう助けたらいいかわからない、その時間もないと、もうお互い八方ふさがりな状態でした」
入院しての休養と区の協力で事なきを得た。そんな妻、そして2人の子どもはテレビの前で夫の優勝を願った。しかし、決勝でギャロップに破れた。
「“おいしい”準優勝だったなと(笑)。最低点を最後に叩き出すっていう。一生のネタになるんじゃないかと思いますし、本当に“らしい”なと思いますし、今はよかったなって。
あれでそのまま優勝なんかしちゃったもんなら、“え、あっち(ギャロップ)のほうがネタがちゃんとしてたじゃん”とか言われてそうなので(笑)。だったらもういっそのこと思いっきり負けて話題になったほうが結果的に良かったんじゃないかって」
今後、芸人として夫にはどのような活躍を願うのか。
「芸のことはわからないですけど、今回、マシンガンズらしい勢いみたいなところが評価されて、そしてマシンガンズらしい負け方もして。ネタがどうのではなく“いちばん笑った”というコメントをたくさん見ました。それが自分たちのやりたいものと一致しているんだったら、そのままやり続けてほしいですね」
夫へのエール
最後に、芸人として初めて(?)結果を残した夫にメッセージを送ってもらった。
「“家庭の滝沢”と“ゴミの滝沢”は、ここ何年かよく目にしていたんですけど、やっぱり芸人でこうして結果出したのは、なんかかっこよかったですね。お疲れ様とは伝えましたが、本人にはこんなこと言えないんですけど。子どももすごく応援していて、親としてお父さんが芸人として笑ってもらっている姿を見せられたこともすごく良かったと思います。
私も今回、ずっと続けているって本当にすごいなって思いました。ずっと腐っていたかもしれないですけど、それでも続けに続けてきたことってすごいな、夫すごいなと思って。だからこれからも身体に気をつけて、ノドに気をつけて頑張ってほしいなと。もうカッサカサ声で帰って来たので(笑)。面と向かってなかなか言えないですけど」
10年、ゴミを回収し続けている滝沢。今、彼の手には、10年間考えないようにしていた“芸人としての未来・成功”があるのかもしれない。