在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。海軍に勤める夫との間に子どもを授かり、結婚。横浜のアパートで新生活を始める。
ドライでクールな出産
「早朝5時、突然陣痛が始まりました。夫と一緒に海軍のワークバスに乗り、横須賀の海軍病院に駆け込んだんです。ドクターはアメリカ人の軍医で、『Hi! My name is……』と明るく自己紹介をしてくれたけれど、私は陣痛でそれどころではありません。
陣痛が15分になり、10分になり─、と間隔が狭まるごとに軍の職位が高い新たな軍医がやってきて、そのたび『Hi! My name is……』が始まります。
間隔が5分になって、最後に登場したのは中佐でした。
『Hi! My name is……』と言うやいなや、私の子宮に手を入れて、ぶちっと破水させられた。日本式とアメリカ式の違いなのでしょうか。初めての出産でわからないことだらけで、もうびっくりです。
日本の出産は、「もう少しですよ、頑張って!」とみんなに見守られる温かく感動的なイメージがあるけれど、向こうはとにかくドライでクール。『プッシュ、プッシュ!』とひたすらあおり、果ては出産に立ち会う夫に向かって『君のワイフは僕をヘルプしていない!』などと文句を言う始末です」
23歳で待望の女の子の母へ
1986年2月26日午前11時、無事に元気な赤ん坊を出産。シンシアは23歳で、待望の女の子の母になる。
人生で一番幸せな時間はおっぱいをあげたあのとき。
「産んだとたん、ウソのようにすーっと痛みがなくなりました。夫が何やら声をかけてくるけれど、私はもう放心状態で、『赤ん坊は元気ですか?』とだけ聞いたのを覚えています。病室に看護師さんがやってきて、プリントを3枚ぱっと渡して去っていきました。見ると、出産後の注意事項がびっしり書き連ねてあります。
日本のように一つひとつ説明してくれるようなことはなく、とりあえずそれを読め、というわけです。アルミのチューブのようなものを渡されて、何だろうと思ったら、“子どもをこれから連れてきてお乳を飲ませるからおっぱいにそれをつけろ”と書いてある。
看護師さんが子どもを抱いてきたのを見て、なぜあんなに大変だったのか理解しました。
娘は3980gという大きな赤ん坊で、ほかの子どもたちと比べてもひと回り違います。恐る恐るおっぱいをあげると、吸盤のようにものすごい勢いで吸いついてきた。娘は生命力に満ちあふれていて、感動が押し寄せた瞬間でした。今振り返っても、あのときが私の人生の中で一番幸せな時間だったと思います」
出産の2日後、海軍病院を退院。横須賀から中村橋のアパートまで、生まれたばかりの娘を抱いて帰った。
「名前は子どもの顔を見てから決めるつもりでした。“アリシア”や“メロディ”など候補はいろいろ考えてはいたけれど、やっぱりその子にぴったりの名前をつけてあげたかった。
生まれてきた子どもの顔を見た瞬間、迷わず“クリスタル”にしようと決めました。娘の名前はもう“クリスタル”以外に考えられなかった。夫のラストネームはウイリアムズで、ミドルネームには私の本名“テイ・シュンケイ”からひとつ取ろうと考えていました。娘には、クリスタル・ケイ・ウイリアムズと名づけました」(次回に続く)
<取材・文/小野寺悦子>