横尾忠則(撮影/矢島泰輔)

「週刊女性さん? いつも読んでますよ。買うこともありますし、美容院へ行くと、僕の席にはなぜだかいつも女性週刊誌をごっそり持ってきて積み上げてくれるんですよね。僕がこういう雑誌を読んでいると変な顔をする人もいるけれど、スキャンダルは面白いからね。スキャンダルには、必ず原因があって、結果がある。因果応報・自業自得でしょう? 僕にとって『仏教』なんですよ。だから僕は週刊女性を“仏教書”だと思って読んでいます。そういうふうに読む人はまずいないと思うけれども」

 こう語るのは、現代アートの巨匠である美術家の横尾忠則さん(86)だ。なんともおちゃめに、不思議と納得させられてしまうような『週刊女性論』。さすがのひと言に尽きる。

横尾忠則(撮影/矢島泰輔)

 そんな、“仏教書”として女性誌をこよなく愛する横尾さんに、近況や健康の秘訣、この先、開催予定の展覧会についての意気込みなどをたっぷり聞かせていただいた。

「アーティスト」ではなく「アスリート」

 横尾さんは、今年9月にすべて完全新作の絵画からなる『横尾忠則 寒山百得』展を、東京国立博物館・表慶館で開催する。

「『寒山拾得』っていうのは数字の『拾(旧字)』が入っているでしょう。展覧会のお話をもらったとき、この拾を百にしても千にしても誰もわからないだろうと思って(笑)『寒山百得』にしました。せっかく百っていう数字をつけたのだから、100点描いてみようかなと」

 この『寒山拾得』とは、中国の風狂僧(戒律を逸し、悟りを開いた僧侶)である二人、寒山と拾得のことだ。

「横尾忠則 寒山百得」展報道発表会での横尾さん(撮影/矢島泰輔)

 展覧会が決まってから100点と決めた作品を、短期間で一気に描き上げた。

「'21年の秋ごろに依頼されて(今年の)7月くらいまでに描き終えてほしいと言われていましたが、昨年末くらいにはもう完成して、7か月間やることがなくなってしまいました。展覧会がかなり先なので、もう存在していない何億光年先の星を眺めているような気分になります」

 最終的に描き上げたその点数はなんと101点(!)で、横尾さん自身最大のシリーズとなる。

「僕がいちばん画家として健康で脂が乗っていた50〜60代のころは、年に30〜35点くらい描いて美術館の人に『よく描きましたね』なんて言われていたんですが、今回は86歳で100枚描けてしまいましたね」

 一日で3枚を完成させた日もあったという、今なおエネルギッシュな自身を、アーティストではなく「アスリート」と称する横尾さん。

「現代美術というと、今最前線にあるのはコンセプチュアルアートなんですが、それは思考を優先して、考え抜いたあげくそれを理論化して作品を作るものです。今の僕は一切その脳の部分を働かせない。むしろ肉体的な部分で身体が感じ取ったことを絵に描いています。だからなるべく思考をゼロに、頭の中を空洞状態にして、身体に宿す。だからアーティストというよりもアスリートに近いと思っています」

誰の心の中にも「寒山・拾得」はいる

 横尾さんの描く寒山と拾得は、人間であることにとどまらず、無機物やロボットなど、それこそ身体が赴くままに描いた作品群である。中にはトイレットペーパーが描かれたものなどもあるが、どのようにイマジネーションを膨らませているのだろうか。

横尾忠則《2022-09-27》2022年

「寒山は詩を書くのが上手だとされていて、いつも巻物を持っている。拾得はいつも箒を持っている。巻物を現代文明風に考えると、僕にとってはトイレットペーパーにしたほうが肉体感は出ると思い、箒とトイレットペーパーを描いて、時には便器に座らせたり、箒を掃除機にしたり。寒山拾得の文明化です」

 男性二人をモチーフにしながらも、中には男女に見えるものや、複数の人が描かれ、時にはアーティスティックスイミングをするなど、その発想はまさに横尾ワールドの真骨頂だ。

「寒山拾得は『風狂』といって、究極の自由人であり、愚か者。現代社会では知識や知性を最優先しているけれど、2人はもうそれを超越した『悟り』にいってしまっている。誰の心の中にも寒山や拾得がいると思っているんですよ。ただ、それを発揮すればいいんです。

 僕は絵を描くことも『究極の自由』を獲得しないとできないと思っています。僕は彼らに自分の気持ちを共有させて、それをテーマにしている。でも描いているうちにもう寒山も拾得もへったくれもなくなっちゃうんですよね(笑)。プールで泳いでみたり、シルクハットをかぶってみたり。そうした彼らの自由さこそが、現代に必要なものじゃないかと思っています」

身体の「朦朧化」が様式を作っていく

 近年は幻想的な作風の絵も多い横尾さん。御年86の自身の作風を「朦朧体」と称しているという。

「最近の僕の絵はね、エッジがはっきりした輪郭線でかたどったような絵じゃなくて、境界線が曖昧で朦朧としている。横山大観に『朦朧体』っていう様式がありますが、そういうのじゃなくて、年取ると耳や目など、身体全体が朦朧化してくるってことです。

 例えば今、僕の右手は腱鞘炎だから、筆を持って長時間描くことはちょっと無理なんですよ。だから左手でも描くのですが、左手では思うような線が引けないんです。そんな身体的ハンディキャップが、今の僕の自然体。そう思えばそれを直そうと思わなくていいわけです」

 そのときそのときの「肉体」に逆らわないことが創作のスタイルになっていくという。

「専門用語でいうと『様式』ですが、身体が自然に様式を作ってくれる。自然にその年相応の肉体環境ができるから、それに従えばいい。高齢者たちは抵抗していますよね。新聞を見てもアンチエイジングとかの広告だらけですが、そんなことをする必要は全然ないと思う。だって全員が死ぬんだから! 何歳で死ぬか知らないけど、その人に与えられた宿命としての寿命があるわけですからね」

生活と創作が一体化、自転車でアトリエに

 取材時も新しい作品に取りかかっていた横尾さん。今のルーティンは?

「かつては生活と創作を切り離していたんですが、今は生活そのものが創作と一体化してしまいました。だから朝起きたらすぐアトリエに来ます。描かない日もね、いつでも描ける状態で、絵の環境の中に自分を置いとかなきゃ。ただね、アスリートはね、練習したりいろいろするでしょう。僕は練習するのが嫌いなんですよ。いきなり本番ですよ(笑)。そのほうがエネルギーが集中します。練習していると頭の思考がどうしても勝ってしまいますから」

横尾忠則(撮影/矢島泰輔)

 6時ごろに起きて朝食の後8〜9時に自宅からアトリエまで自転車で通い、暗くなったら帰る生活を繰り返している。絵を描く日もあれば、何もしないで過ごす日も多いという。

「毎日は非常に単純です。ときどきここのソファに寝転がって、だらしない格好でエッセイを書くくらいで。まあ何もしないことが圧倒的に多いですけれども、“何もしない”ということをしてるっていうのか、絵を描くときに『考えない』っていうことが僕にとってすごく重要なんですよね。

 いかに考えないかっていうことの訓練をしてると思います。今は考えないことが僕にとっての健康であったり、仕事なのかなと思っていますね。だから何もしない時間が重要なんです」

 友人との交流は今もあるのだろうか?

「みんないなくなっていく。友人知人がね、本当に死んじゃって、もうほとんど親しい人は残っていない。

 でも、3歳年上のオノ・ヨーコさん(90)はね、まだ頑張って生きてるかな。行動力が今もすごくて、この前、電話がかかってきたんですよ。『横尾さん、ニューヨーク来ない?』って言うから、とんでもない! 体調がよくないからヨーコさんが来たら、って返事をした。

 一週間ぐらいしたらまた電話がかかってきて『今、東京にいるわよ。あなた来いって言ったじゃない』って、びっくりしますよね。コンビニに行くみたいにニューヨークから僕のところに来る」

運命に従ってノーストレスに

『寒山百得』の次に考えていることや、やりたいことはあるのだろうか。

「今描いているのは記念写真を絵画にするという絵ですが、僕には『やりたいこと』ってないんですよね。ぜんざいが食べたいとか小さなものはありますよ(笑)。昔から僕がやりたいということはなく、常に向こうから要求されたものに対応してきた。運命に全部従ってきたんですよね。今回の展覧会も依頼してくれなければ、たぶんやれなかったと思います」

 運命に従うことが、生きやすさにつながるという。

「みんなね、自分の人生に満足しないで『もっといいことがあるんじゃないか』『何か変わったことができるんじゃないか』っていろいろ開拓していく。これもいいことなんですが、そこには悩みや苦しみや怒りといったものが同時についてくるんです。ところが外部から与えられるものはそういうものがない。だからストレスがないんですよね。そういう意味では、僕は精神的に健康かもしれませんね」

 まさに仏教の「悟り」の境地。日々の献立や節約、家族のことで悩み、もがいているわれわれにとって、横尾さんの運命に逆らわず自由に生きる「寒山百得」的なスタイルは、きっと救いになること間違いなしだ。

横尾忠則《2022-12-01》2022年

『横尾忠則 寒山百得』展
中国、寒山寺に伝わる風狂の僧・寒山と拾得。絵画や小説のモチーフとして好まれてきたその二人を、横尾忠則独自の解釈で描いた、すべて完全新作101点の絵画を一挙初公開する展覧会。2023年9月12日(火)〜12月3日(日)東京国立博物館・表慶館にて開催。また、会場の東京国立博物館では展覧会に合わせて特集『東京国立博物館の寒山拾得図―伝説の風狂僧への憧れ―』を本館特別1室で同時開催予定。こちらは11月5日(日)まで。https://tsumugu.yomiuri.co.jp/kanzanhyakutoku

横尾忠則(よこお・ただのり)●1936年兵庫県生まれ。美術家。'72年にニューヨーク近代美術館で個展。その後も世界各国の美術館で個展を開催する。兵庫県立横尾忠則現代美術館、香川県に豊島横尾館開館。旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞、東京都名誉都民顕彰、など表彰多数。日本芸術院会員。著書に小説『ぶるうらんど』(泉鏡花文学賞)、『言葉を離れる』(講談社エッセイ賞)、小説『原郷の森』ほか多数。

(取材・文/高松孟晋)

 

横尾忠則《2022-09-27》2022年

 

横尾忠則《2021-09-21_2》2021年

 

横尾忠則《2022-12-01》2022年

 

横尾忠則(撮影/矢島泰輔)

 

横尾忠則(撮影/矢島泰輔)

 

横尾忠則(撮影/矢島泰輔)

 

「横尾忠則 寒山百得」展報道発表会での横尾さん(撮影/矢島泰輔)