お笑いの世界は大きく変化しつつある。女性芸人が多数登場し、女性が自らのアイデアと表現で人を笑わせる、新しい時代となった。「女は笑いに向いてない」と言われた時代から、女性が人を笑わせる自由を手に入れるまで。フロンティアたちの軌跡と本音を描く。清水ミチコさんの第3回。
『笑っていいとも!』出演決定時は妊娠中
デビュー直後に結婚し、妊娠中にもテレビ出演。子育てと、お笑いの仕事をどう両立させてきたのだろうか。
ミチコさんは26歳のときに結婚。ライブ活動を始めてまだまもなくで、テレビ番組から声がかかり始めた、タレントとして大事なスタートの時期だった。
「アイドル系だったら別だけど、お笑いだから関係ないと思ったし。それよりは、ちょっと“おいしい”っていうか、主婦なのにデビューするのも面白いかなと思って、結婚はまったく自然な感じでした」
注目のアーティストを、30分かけて特集するという深夜番組『冗談画報』に出演した翌週に挙式。「オンエアされるころにはもう結婚されています」と紹介された。お相手はラジオ番組に出演していたときの担当ディレクター。ミチコさんの仕事に対して理解があった。
1987年秋からは『笑っていいとも!』にもレギュラー出演が決定。そのときには妊娠がわかっていた。
「フジテレビ的というか、何でも笑ってやるというノリが当時はあって。妊婦がバラエティー番組に出るのも、面白いんじゃないかって言ってくれたんです。私は大きくなりはじめたお腹でテレビに出て、タモリさんのやることに笑ってました」
1986年に男女雇用機会均等法が施行されて間もないころ。女性は結婚や出産で退職に追い込まれることも多かった。そんな中、妊娠中も活躍するミチコさんと、タモリさんがおおらかな笑いを生み出す姿は、新しい時代を感じさせた。
1988年4月からは産休に突入。無事に女の子を出産した。
「子どもって生まれてからのほうが大変なんですよね。びっくりするぐらい手がかかる。でも、私の場合は、仲のいい友人にベビーシッターをお願いすることができたんで。自由に仕事に行けて、ありがたかった。仕事をしているほうが気晴らしになるんです。育児休暇中、子どもとふたりきりでいたときのほうが、ずっと家にいなきゃいけないとか、ふざけても子どもにはわかってもらえないとか(笑)、ストレスがたまるんですよね」
半年間の育休を経て、復帰。職場に子どもを連れていくことが許されるか否か、いわゆる「アグネス論争」が巻き起こっていたころだった。現在もそうだが、働く母親が背負わされている責任と苦悩は重い。
「娘が幼いころ、私がお化粧を始めると、イヤだと言って泣いた時期がありました。お化粧すると、どこか別の人になって外に出かけちゃうというイメージが娘にはあったんでしょうね。寂しい思いをさせてちょっとかわいそうなことをしました」
子育て中、仕事の悩みも抱えていた。
「テレビには向いてないと思って、距離をおこうと考えたことはありましたけど。お笑い自体をやめようと思ったことはないです。たとえ仕事として成立しなくても、ふざけていたいというか(笑)。性分なんでしょうね。たぶん、一生ふざけているんだと思います」
共演の芸人から「ババァ」「ブス」とツッコミ
“母として”の部分は、これまであまり話題にしてこなかった。その理由についてはこう語る。
「私が育児のことをしゃべっても面白くないし。それよりは、モノマネを聴いてもらったほうが面白いと思ってたんです。そのほうが自分も楽しいし飽きないので」
娘さんは無事に成人し、介護の仕事に就いた。最近、結婚したそうだ。
「今年のライブには、夫婦で見に来てくれたんですよ。“もう1回見たいぐらい面白かったよ”とメールをくれました。私がやるモノマネを、“誰のことかわからなかった”と教えてくれることもあって、娘はいいバロメーターでもあるんです」
女性ならではの苦労というのは、これまでにあったのだろうか。
「若いころは、ババァとかブスとか、共演の芸人さんからよくツッコまれましたね。子どももいてお笑いをやっているのが珍しかったのもあるのかな。そのときは、やっぱりちょっとムッとすることもありましたけど。ところが、実際に年を取ってくると、それだけは言っちゃいけないみたいな空気になるのか、寂しいほど言われなくなった(笑)。言われてるうちが花だったんでしょうね」
清水さんがデビューした時期は、歌手や女優がコントに駆り出されることも多く、笑いを専門とする女性は少なかった。
「女性はひとりだけっていう現場がほとんどだったので、愚痴を言う相手もいない。男性の楽屋は楽しそうにしてるのに、私はポツーンとひとり。女性芸人が少なくて、孤独だったと思います」
最近、女性芸人たちがたくさん登場してきたことを、「本当にいい時代になったなと思います」とミチコさんは喜んでいる。後輩たちと一緒に飲み会をしたり、家に招いて食事会をすることもあるそうだ。
「付き合ってみると、性格のいい子が多い……というか、性格のいい子じゃないと、女性芸人になれないと思います。“きれいな私を見て”じゃなくて、“面白い私でいたい”とか、“私みたいなので笑ってほしい”という気持ちの人が多いから、誰もイバらないし。一緒にいて本当に楽しい。私も若い人といると、“こんなに軽やかに生きられればなぁ”とか、いい意味で感化されますね」
時には、後輩たちから悩み相談をされることもあるそう。
「私の若いころは相談できる相手が身近にいなかったですから。まさか、自分が一番年上として相談を受けるような立場になるなんてね」
ラジオ番組で、ハリセンボンの箕輪はるかさんから、「40代前半のころ、どう仕事と向き合ったらいいですか?」という質問を受けたことがある。
そのときのミチコさんは、
「あんまり遠慮しなきゃよかったなと思う。私は遠慮して、前に出ていけなくなったことがあって、それが視聴者にも伝わってしまったりもしたから。もっと伸び伸びとすればよかった。あのころはまだ女性芸人が少なかったから、寂しかった。女がお笑いの世界にいることが恥ずかしいような感じもあったけど、今は変に遠慮しなくていいと思う」
モノマネは女のほうがやりやすい
というようなことをアドバイスしつつ、
「オバサンを超えた今は、ずうずうしくなってるけどね」
と笑った。
笑いを作る作業においては、男女差はあるのだろうか。
「ネタとしては女だから苦労したっていうのは、あんまり感じてないですね。もともと下ネタみたいなのは好きじゃないし。モノマネは、女のほうがやりやすいんじゃないかな。女性が社会進出してきたからマネしたい人も増えたし。それに、年を取ると声が低くなるので、男の人のマネもしやすくなるんです。若い人の高い声はマネしにくくなりますけど」
安倍晋三元首相や、麻生太郎さんなど、男性のモノマネも独自の目線で作り、ひょいとやってしまう。男女の垣根を越えてしまう自由さがある。
「女同士ってすぐに組めるのもいいなと私は感じています。YouTubeで光浦靖子さんや青木さやかさんと対談しましたけど、コラボがしやすい。それは男性より有利じゃないですかね」
お笑い界に女性の先輩は少なかったが、モノマネを通して他ジャンルの魅力的な先輩と触れる機会は多かった。
「草笛光子さんとお会いする機会があったんで、『モノマネしてすいません』と挨拶しにいったんですよ。そしたら手をぱっと出されて。握手かなぁと思ったら、『モノマネ代、払って』とおっしゃった(笑)。粋でカッコいいですよね。草笛さんとか黒柳徹子さんとかを見ると、年を取ると女のほうが強い。私もあのくらいたくましく年を取れたらなぁって、憧れますね」
構成・文/伊藤愛子●いとう・あいこ 人物取材を専門としてきたライター。お笑い関係の執筆も多く、生で見たライブは1000を超える。著書は『ダウンタウンの理由。』など