「最初に子宮の全摘出をすすめられたときには、とても決断できませんでした。当時はまだ、赤ちゃんを産む未来を諦めたくなかったんです」
20歳で芸能界デビューし、女優やモデルのほか、深夜バラエティー番組の司会としても活躍していた原千晶さん(49)。病魔に襲われたのは、2005年、30歳のときだった。
「子宮頸がんでした。主治医の先生からは、『子宮が女性にとって特別な臓器であることはわかるけど、命のために摘出も含め、今はがんを治すことを最優先に考えるべき』と言われ、確かにそのとおりと思ったのですが……」(原さん、以下同)
迷った末に、結局、このときには病変部だけを切り取る手術をし、子宮は温存。毎月の検診で経過観察を行うことに。
「でも、仕事も忙しかったし、悪い所は取ったのだからもう大丈夫と、検診にだんだん行かなくなってしまって……」
2010年、35歳。原さんのがんは再発する。今度は子宮全摘は免れないところまでステージが進んでいた。
「5年前に手術をしなかったこと、診察をおろそかにしたことをとても後悔しました」
「君と一緒なら子どものいない人生でも」
このとき、原さんには、結婚を考えている相手がいた。1歳年上の番組制作会社のプロデューサーで、仕事を通じて知り合い、少し前から一緒に暮らし始めてもいた。その彼に思い切って、がんの再発を打ち明け、返ってきた言葉が、原さんを大いに救い、つらい決断を力強く後押ししてくれたのだ。
「子どものことより君の命がいちばん大事」
「君がその運命を背負っているなら、俺もそれを背負う。君と一緒なら、子どものいない人生でもいい」
実は原さん、5年前の闘病時には、当時付き合っていた恋人から、がんを理由に冷たく突き放され、関係がうまくいかなくなったという経験があった。さらに医師から、「手術をすれば性交渉も難しくなる。正直に言って、それを理解してもらえないなら、ともに闘病生活は送れないでしょう」とも言われた。それも彼に伝えたところ──。
「そんなこと言ってる場合じゃない。結婚はそんなものじゃない。1人で抱えないで、2人で背負っていこう」
彼は、涙ながらに答えてくれたという。
「うれしかったですね。彼が理解して寄り添ってくれたから、手術も、そのあとの抗がん剤治療も乗り越えられた。本当に感謝しかありません」
原さんが抗がん剤治療を終えた2010年の秋に結婚。
「あのとき彼がかけてくれた優しい言葉が、私にとっては実質的なプロポーズでした」
原さんは2011年に、自分と同じような女性特有のがんを患った人々が集う「よつばの会」を設立。治療のつらさや不安を共有するため、交流を続けている。
「同じ経験をした人と思いを分かち合い、つらいなか少しでも心が軽くなるように……。そんな思いで活動を続けています」
(取材・文/八坂佳子、大野瑞紀)