お笑いの世界は大きく変化しつつある。女性芸人が多数登場し、女性が自らのアイデアと表現で人を笑わせる、新しい時代となった。「女は笑いに向いてない」と言われた時代から、女性が人を笑わせる自由を手に入れるまで。フロンティアたちの軌跡と本音を描く。清水ミチコさんの最終回。
SNSは読まないことにしている
デビューしてから、36年。メディアの種類や在り方も大きく変化しており、笑いに対する感覚も変わっていく。キャリアや年齢を積み重ねたミチコさんは、激動の時代をどう生きていくのか。
2020年、コロナ禍でいろんなライブが中止や延期となっていた中、YouTubeでモノマネを発信し始めた。小池百合子都知事の会見の様子などタイムリーなモノマネで話題に。60歳にして、鮮やかなYouTubeデビューとなった。
「ライブができなくなって、暇すぎて始めてみました。新ネタを披露する場がないのでもったいないと思って。ライブ再開後、地方の会場の動員数が、YouTubeを見ましたっていう人のおかげで増えたんですよ。自分が寝てる間にも、宣伝になるし、ありがたいメディアですね」
『清水ミチコのシミチコチャンネル』は、100万回再生を突破した回もあるほどの人気となった。
「テレビは向いていないなと思ったこともありますけど、YouTubeはやりたいことをどんどんやれるので、自由ですね。そのかわり、責任も伴うとは思いますけど」
作った映像を直接、即配信できるかわりに、批判もダイレクトに受けることになる。
「SNSは読まないことにしてます。エゴサーチとかにはまったら地獄ですからね。マネージャーがいいことを書いてあるのだけ選んで送ってくれるので、それだけを繰り返し読んでます(笑)」
新しいメディアにも対応し、軽やかに活躍しているが、年齢を重ねるしんどさを感じることもあるという。
「年をとって何がしんどいって、視力が落ちてしまうのがつらい。ライブのときに、ピアノの上にコード譜と歌詞を置いてるんですけど。文字をどんどん大きくしていってるから客席から見えそうで、すごくカッコ悪いんです(笑)」
時代とともに、観客の感覚も変化してきた。そこにも対応が必要になってくる。
「昔はライブでもっとキツいことを言っていたり、ひどいデフォルメの仕方をしてましたけど、今はお客さんがしょげるので、あまりキツくはやらないようにしています。例えば、誰かの曲をひどいアレンジにした場合、お客さんがそのアーティストに対して気持ちがしょげたり、“清水さんが誰かに叱られるんじゃないか”と心配になって、しょげるみたい」
松任谷由実からは“毒しか感じない”
時代に合わせて規制するというよりも、今の時代のお客さんに合わせて変化してきた。
「辛口を貫くぞって言って、ひどい目にあった人をたくさん見てきたんで(笑)。今の時代、辛口ってすごく難しい。ポロッと出る分にはかまわないんですけど、狙ってやると、引かれてしまう。今のお客さんは傷つきやすいんでしょうね。
それはまず自分で見に行ったライブの客席で感じました。特にノってる人がキツイことをやると、それまでどんなに楽しくても、ぴゅっと引いてしまう。だから、自分がステージに立つときは、気をつけています。引かれていいことはないですから」
モノマネする対象についても気を使う。
「権力者はおいしいんですよね。ちょっと過剰にデフォルメしてモノマネしても、引かれないから。難しいのは若い人や新しいアーティストをまねするとき。私のほうが年上でキャリアもある立場になっちゃったから、弱い者いじめみたいに取られてしまう。だから、権力者がもっと出てきてほしいんですけどね(笑)」
ちなみに、今までモノマネした相手から、面と向かって怒られたことはないそうだ。
「ユーミン(松任谷由実)さんには、“山田邦子のモノマネには愛があるけど、清水ミチコのモノマネには毒しか感じない”って言われました(笑)。自分では毒を入れてる感覚は……ちょっとはあります。ただうまいね、似てるねで終わらないように、ちょっとアレンジを入れちゃうんですよね」
ユーミンさんはそれでも受け入れてくれており、一緒にステージに立ったこともある。
「緊張しましたね。中学生のころからの憧れの存在ですから。そのとき、ユーミンさんからは“愉快犯”と呼ばれました。さすがに鋭いですね。そうなんです、私は毒を入れたいわけじゃなくて、愉快になるためにやっているだけなんです」
武道館ライブを始めて10年。好評につき恒例となり、コロナ禍も乗り越えて続けてきた。
「来年、武道館ライブが10回目となるので、そこに向けて頑張りたいというのが、これからのいちばんの目標ですね」
多くのお客さんを楽しませるライブをするには、いろいろ試行錯誤もあった。
「30年近く前の別のライブ会場でのことですが、『オペラ銭形平次』という凝っていて時間もかかる大ネタを作ったことがあって。準備していくうちにイマイチだなぁと思ってきたんですけど、一生懸命作ったからと、そのままライブでやっちゃったんです。
そしたら、始めた瞬間にダメだとわかったけど、そのまま30分間やり続けるしかなかった。あのときの地獄ったらなかったですね。たまたま、くりぃむしちゅーの有田哲平さんと上田晋也さんが見に来てくれていて、いまだにからかわれます(笑)。それからは“せっかく作ったのに”とか“もったいない”とか思わず、潔くネタを変えるようにしています」
異常に緊張する精神面も、いろんな工夫でコントロールしてきた。
「武道館ライブを始めたころは、ステージで『あれ? 私、何をしようとしてたんだっけ?』と真っ白になったこともあったんですけど。そういうときは、自分の状態を口に出したほうが救われるんですよね。お客さんに『私は何をしようとしていたと思う?』と投げかけてクイズにしちゃったりとか。
すると、お客さんも楽しめるし、私も楽だし。モノマネが似てないときも、気にしてたんですけど、最近は似てなくてもいいじゃんって感じ。お客さんも別にうまいモノマネを聞きに来ているんじゃなくて、ちょっと変で面白いおばさんを見に来てるんだからと、思うようになって、それから空気が良くなった気がします。これも場数を踏んだおかげだと思いますね」
ライブ活動を続けられた理由は笑ってもらえる快感
それだけ大変でも、長くライブ活動を続けてこられた秘訣は何なのだろうか。
「やっぱり笑ってもらえる快感があるからですね。それが欲しいからやってます。最初のネタでお客さんが爆笑してくれると、スタッフも本当にうれしそうな顔をするし、私もうれしい。ライブは仕事って感覚がなくて、私自身が本当に楽しいから続けてます」
2021年、まだ入場制限のあった武道館ライブで。
約2時間のステージの後、カーテンコールで再登場したミチコさんは、伊丹十三賞を受賞したことを報告した。コロナ禍の中、YouTubeで沈みがちな人々を励ましたというのが受賞理由だった。
「毎日コツコツふざけてきたことが、評価されてうれしく思います」
つめかけた観客から、大きな拍手が送られる。
「まじめになりそうなときもありました。魔が差すんですね。そんなときに励ましてくれたのが……」
その後、意外な単語が飛び出し、感動に傾きかけた会場を、見事に笑いの波に変えてエンディングを迎えた。
終演後は、オリジナルソング『規制退場の歌』が流れる。観客が待たされてイラつきそうになるところを、くすっとさせて、送り出す。
つらいときもしんどいときも、年をとっても、コツコツふざけ、面白がってきた。社会の規制、自分という窮屈を、清水ミチコは笑いの力で解放する。
構成・文/伊藤愛子●いとう・あいこ 人物取材を専門としてきたライター。お笑い関係の執筆も多く、生で見たライブは1000を超える。著書は『ダウンタウンの理由。』など