横須賀『アンディーズバーガー』で働いていたときのシンシア。トニーと連絡が取れない状況のなか、ここで黒人男性のフィルと出会う

 在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。横須賀基地勤務の海軍の男性と結婚し、23歳で出産。夫の故郷のニュージャージーへ娘を連れていくことに─。

輸送機の移動で驚き

C–5に乗り込んで驚きました。輸送機と聞いて覚悟はしていたものの、機内は空洞で、窓というものがありません。席があるのは前方の半分ほどで、乗客は100人くらいいたでしょうか。ほとんどが制服姿の軍人で、家族は私たちともう1組だけ。

 乗るときに男性と女性の2人、操縦席に座っているのが見えました。

 私たちは一番前の席でした。ただ、操縦室と背中合わせで頭が混乱しました。飛行機の客席は大抵、進行方向に向いていると思いますが、何が何だかわかりません。飛行機が離陸した途端、娘が「ぎゃーっ!」とものすごい勢いで泣き出した。飛行機が背後に向かって飛んでいます。ジェットコースターに後ろ向きに座っている感覚で、私も娘と一緒に泣きたい心境でした。

 離陸前につなぎを着た乗組員に小さなキャラメルの箱のようなものを配られて、何だろうと思ったら耳栓が入ってた。実際に飛び立って、その意味を知りました。

 旅客機ではないので防音設備が一切なく、ものすごい騒音です。娘は全力で泣き続けているけれど、その声もすべて騒音でかき消されてしまいます。隣の人に『娘がうるさくてごめんなさい』と謝ると『大丈夫。まったく聞こえなかったよ!』と言われたけれど、きっとそのとおりだったのでしょう」

初めて向かった夫の故郷はギャング映画のような風景

 C–5が向かうのはアメリカ・カリフォルニア州にあるトラビス空軍基地。1歳になったばかりの娘を抱え、約10時間の試練の旅が続く。

機内アナウンスもなければ、時計を持っていなかったので時間もわからず、窓がないので今どの辺りにいるのかわかりません。はたして食事は出るのだろうか、娘に食べさせるものもなく、この先どうなるのか不安がどんどん募ります。

 水平飛行に入り、しばらくすると食べ物が配られました。レンジでチンのいわゆるTVディナーでしたが、そこで人心地つけた気がします。飲み物は段ボール箱に用意してあり、『自由にピックアップするように』とのこと。

 ご飯を食べてほっとしたのか、娘も少し寝てくれました」

 シンシアを乗せたC–5は無事トラビス空港に到着。空港からバスに2時間揺られてサンフランシスコへ行き、さらに国内線に乗ってニュージャージーへ向かう。

「翌日の夜11時半、ようやくニュージャージーに着きました。夫の家族が空港に勢ぞろいしていて、お義母さんが『よく来たね!』と私をハグしてくれました。その瞬間、安堵の涙があふれてきました。

 けれどほっとしたのもつかの間でした。夫の実家に着き、ここで娘と45日間過ごすのかと愕然としました。エレベーターもない3階建ての古びたレンガ造りのアパート。建物の間に綱渡りのようにロープが渡され、色とりどりの洗濯物がはためいています。

 部屋は狭く、リビングに小さなキッチン、ベッドルームが2つあるだけで、お義母さんは『私の寝室を使うように』と言います。ダウンタウンだと夫に聞いてはいたものの、まさに『ニュー・ジャック・シティ』のようなギャング映画の風景で、今にも撃ち合いが始まりそうな雰囲気です」(次回に続く)

<取材・文/小野寺悦子>

 

アメリカ・ニュージャージーへ行ったときの写真。夫の実家で撮影したもので、まだ幼い娘のクリスタル・ケイと、手を引いてくれたお義母さん

 

アメリカのドラマに登場しそうな広い芝生の庭に大きな家。写真に写っているのは娘のクリスタル・ケイと、愛犬のデューク

 

クリスタル・ケイが1歳のときに引っ越してきたという住宅地区は、根岸にあるアメリカ海軍の専用地

 

20歳ごろのシンシア。トニーがドライブデートの際に撮った写真。ファーに白のパンツやブーツという格好が懐かしく時代を物語る

 

横浜で歌っていたころのシンシア。『マジック』や『BarBarBar』などは業界関係者がよく出入りして、デビューの足がかりの場になっていた

 

ついに待望の女児を出産。3980gで「とにかく大きな子だった」というシンシア。健康に生まれてきてくれたことにホッとする

 

20歳くらいにフィルと付き合っていたころのシンシア。横須賀にあったバーガーショップ『アンディーズバーガー』で働いていた