クリスマスに横浜のビルボードライブで娘のクリスタル・ケイがライブを行ったときの一枚

 在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。横須賀基地で働く海軍の男性と結婚し、23歳で待望の女の子を出産。娘が1歳のとき、夫の故郷を初めて訪れた。

歓迎してくれたお義母さん

「お義母さんは私たちをとても歓迎してくれました。お義母さんはシングルマザーで、6人もの子どもたちを立派に育て上げた人。夫は上から4番目で、いちばん上のお姉さんはNY州の判事になっています。ニュージャージーを訪れたばかりのこと、忘れられない出来事がありました。

 アパートでお義母さんと洗濯物を干していると、娘が近所の男の子たちに、『ヘイ、チャイニーズ・ガール!』と言ってからかわれました。するとお義母さんは、『この子にはちゃんと名前がある。クリスタルと呼びなさい!』と言って、彼らのことを諭してくれた。気づけば私は涙を流していました。

 私は『朝鮮人だ!』と指さされ、小さいころからずっと差別されてきて、守ってくれるはずの両親も私には厳しかった。娘を抱いてほしくて実家を何度も訪ねたけれど、そのたび、親に拒まれた。でも、お義母さんは初めて会ったときから私のことを受け入れ、支えてくれた。お義母さんは私がこれまで出会った中で最も尊敬する女性で、今でもそう。懐が深く、地元の人たちから慕われていた。お葬式には孫のクリスタルも駆けつけましたが、たくさんの人が参列していたと聞きました」

 待望の女の子に恵まれ、憧れの根岸で暮らし、夫の故郷を訪れて理想の生活を手に入れたはずだった。しかし結婚早々、夫との間に亀裂が入り始める。

夫との間に亀裂が入り始め「2人目はいらない」と

「驚いたことに、夫には貯金というものがありませんでした。夫はキャデラックが大好きで、買い替えてはカスタマイズの繰り返し。そこにすべてを注ぎ込んでしまうので、ニュージャージー行きの旅費もなく、私が捻出しています。

 広い家にワイフがいて、犬がいて、キャデラックがあって─、という理想の結婚生活がきっと彼の中にあったのだと思います。まだ横浜・中村橋にいたころ、夫が突然、シェパードとアフガン・ハウンドのハーフ犬をもらってきたことがありました。

 とはいえ、アパートでそんな大型犬を飼えるはずもなく、知人に頼み込んでなんとか引き取ってもらっています。ところが根岸に越すと、今度はアフガン犬を家に連れてきた。

 夫は『血統書付きなんだ』と得意そうです。さらにオウムに金魚も飼うことに。それにとどまらず家具も次々届きます。夫は『安く譲り受けた』と言うけれど、私としてはひと言相談してほしかった」

 夫とは金銭感覚から物の価値観、考え方まですべて違った。互いにまだ若く、溝を埋める余裕もなかった。

「夫にプロポーズされたとき、『私は歌を続けるけど、いい?』と聞いたら、彼は、
どうぞ』と言ってくれました。でもドレスにハイヒール姿で夜な夜な店へ出る私の姿を見て、やはり気に入らなかったのでしょう。

 娘の面倒を見ると約束をしていても、私が店へ行く時間になると何も言わずキャデラックに乗って出かけてしまう。仕方なく私は娘を抱えて店へ行き、楽屋でボーイさんに見ていてもらうようなことも多々ありました。夫の理想の結婚生活と私のそれは違っていた。いちばんの違いは子どもで、私は子どもがたくさん欲しかった。5人は産もうと思ってた。でも彼は娘が生まれると、『2人目はいらない』と言って、避妊をするようになりました」(次回に続く)

<取材・文/小野寺悦子>

 

ニュージャージーで結婚式に参列したときの写真。娘のクリスタルはいつも男の子っぽい服装を好んだけど、珍しく女の子らしい服

 

アメリカのドラマに登場しそうな広い芝生の庭に大きな家。写真に写っているのは娘のクリスタル・ケイと、愛犬のデューク

 

クリスタル・ケイが1歳のときに引っ越してきたという住宅地区は、根岸にあるアメリカ海軍の専用地

 

20歳ごろのシンシア。トニーがドライブデートの際に撮った写真。ファーに白のパンツやブーツという格好が懐かしく時代を物語る

 

横浜で歌っていたころのシンシア。『マジック』や『BarBarBar』などは業界関係者がよく出入りして、デビューの足がかりの場になっていた

 

ついに待望の女児を出産。3980gで「とにかく大きな子だった」というシンシア。健康に生まれてきてくれたことにホッとする

 

20歳くらいにフィルと付き合っていたころのシンシア。横須賀にあったバーガーショップ『アンディーズバーガー』で働いていた