樋口恵子さん

 昨年、乳がんの手術を受けた、評論家の樋口恵子さん。見つかったのは一昨年の89歳のときだが、手術までには1年かかったという。「60代で一度乳がんを経験して部分切除もしていますが90代となると心身共にさまざまな準備が必要。年齢が治療に影響するなんて……」高齢になってからの医療との向き合い方、さらには延命治療に対する考えを伺った。

“これが90歳の手術か” と思い知らされた出来事

 半世紀以上にわたり、評論や社会活動を通して、女性の地位向上や介護保険制度の制定などに貢献してきた樋口恵子さん。今年5月に91歳を迎え、講演に執筆にとますますご活躍だが、一昨年、89歳のときに乳がんが見つかり、全摘出手術を受けた。過去には66歳で右乳房の乳がんを部分摘出したが、2度目の乳がんは反対側の左乳房に見つかった。

入浴後にふと鏡を見たら、左の乳房がいくらか大きく見えたんです。同居中の医師である娘に触診してもらったら“(しこりが)あるねえ” と言われて」(樋口さん、以下同)

 89歳での乳がんは、66歳のときとは大きく違う問題に直面することになった。まず高齢での手術は、心臓が全身麻酔に耐えられるかが壁になる。さらに樋口さんが驚いたのは、手術に備えて歯を2本ほど抜く必要があるかもしれないという医師の話だった。

「ぐらぐらした歯があると、手術中に抜け落ちて、気道を塞ぐおそれがあるんですって。私はずっと自前の歯を維持してきているのに、自慢の歯を抜くなんてイヤでしたねえ。66歳の手術のときは、歯の心配などまったくありませんでしたから、“これが90歳の手術か” と思い知らされました

 その後の検査で心機能に問題はなく、抜歯も不要との診断に。昨年春に無事に手術を終えたが、告知から手術を決心するまで約1年かかった。

「幸いすぐに大きくはならないおとなしいがんだったんですが、ずいぶんとためらっちゃいました。この年まで思う存分活動してきたので、ここでがんで逝くのも一つの道かなと。でも、がんとわかって最初に浮かんだ感情は“え? もうおしまい?” “つまんないのー” だったんですよ(笑)

 そのときは、メソメソこそしなかったけれど、まるで大波にのまれたように感じるほど落ち込んだとか。

「私は小学生のときに腎臓炎、中学で肺結核になり、子宮筋腫も摘出したし、77歳で胸腹部大動脈瘤感染症の大手術も受けました。がん告知を受けて、こうして生きてこられたことに深い感謝の念も湧いてきました。でも、生きていれば、まだ楽しめることがある。ここまで病気を乗り越えてきて、がんで死にたくなかったんです

 迷った樋口さんが、手術を決心する最後のひと押しになったのは、主治医の何げない言葉だったという。

私が“90歳にもなって乳がんの手術なんて……” と言ったら、主治医の先生に“今は100歳の手術もありますよ” とさらっと言われましてね。“へええ。じゃ、やるか” と(笑)

2019年に乳がんと診断された患者数〈全国がん登録罹患データ(厚生労働省)より作成〉

 樋口さんを悩ませた「高齢者のがん」は決して人ごとではない。超高齢社会を迎え、高齢のがん患者は増加の一途。厚生労働省の統計では、85歳以上の乳がん罹患者数は、2016年は約6000人だったが、2019年には約7500人に増えている

お手本がないからみんな右往左往している

 確かに高齢になれば手術や抗がん剤のリスクは高まるが、同時に樋口さんのように手術に耐えうる元気なお年寄りが増えているのも事実だ。

 日本乳癌学会による「乳がん診療ガイドライン」では、70歳以上でも効果的な治療の第1選択肢は外科手術とある。ただし、高齢者の健康状態は個人差が大きく、患者個々の状況を十分見極めるべきとしている。つまり、条件が整えば高齢だけを理由に手術を諦めることはないのだ。

 とはいえ多くの場合、「まさかこの年になって手術?」と、本人も家族もとまどってしまうのが現実だろう。

経験者として、まず皆さんにお伝えしたいのは、80、90になっても、がんにはなるということ。高齢になっても、治療の負担を減らすためには早期発見は大事ですね

 そして治療にあたっては、怪しげな代替療法など玉石混交のがん情報が錯綜するなか、やはり頼りになるのは主治医だという。樋口さんの手術も、年齢を考えて極力負担のない方法が選ばれた。

信頼できる医師にしっかり診てもらって、家族共々医師ときちんと話をすることが大切ですね。私もおかげさまで、術後は痛みも後遺症もありません

 また、がんを経験した友人の話も参考になったとか。

60も過ぎれば、女友達は乳がん患者だらけ。病気の情報は経験した本人がよく知っています。相手のグチでも聞いてやりながら、情報を集めるのもいい方法ですよ(笑)

 多くの人が80代、90代まで生きる超高齢社会の今、高齢者のがんの増加についてもしかりだが、「これほどヨタヨタ、ヘロヘロした人が増える時代は、誰もが初体験」と樋口さんは強調する。

お手本もないから、みんな右往左往しているんです

 その意味では樋口さんこそが貴重な先達の一人。これから“ヨタヘロ期” を迎える女性が、将来右往左往しないために備えておけることとは?

ある程度の年になったら、“文化系女子” も“体育会系女子” の趣味を持つことをおすすめしたいですね

 樋口さん自身、体育は苦手で、オペラや演劇の舞台に通う根っからの文化系。ところが、5年ほど前から、トレーナーの指導でストレッチなどのエクササイズを始めた。

“身体は命を入れて運ぶ器” 。身体の調子しだいで、楽しめる趣味の幅も変わる。そんな大事なものは、ちゃんと面倒をみてあげなくては

名刺の裏に「私、回復不可能、意識不明の場合、苦痛除去以外の延命治療は辞退致します」、表に「娘、樋口睦にもよく申しつけてあります」と手書きで記載。健康保険証といっしょに常時携帯している

名刺の裏に延命治療を辞退する旨を書き常に携帯

 さらに樋口さんが、いざというときの備えとして実践しているのが、延命治療についての意思表示だ。14年前から、名刺の裏に延命治療を辞退する旨を自筆で書き、健康保険証と一緒に常に携帯している。自分の最期のあり方を考え始めたきっかけは、ジャーナリストで大学教授も務めていたパートナーを看取ったことだった。

本人は“プロダクティブ(生産的)でなくなったら生きている気はしねえなあ” とよく話していました。でも大動脈瘤破裂で寝たきりになって、延命治療として気管切開して鼻から栄養をとり、亡くなるまで声も出せない状態で3年2か月を過ごしました

 それが結果的によかったのかどうか、今でも、本人の気持ちはわからないという。

「延命処置が絶対によくないと一概には言えません。彼も亡くなる直前まで教え子が見舞いに来て、その様子を穏やかに見守りながら、うれしそうにしていました。それに人間弱ってきたら、考え方が変わるとも限らない。私は辞退派ですが、家族も、そのときどきの本人の気持ちを推し量りながら支えることが大切なのではないでしょうか

 でも、病を得た人の、ただでさえ複雑な心情を、まわりが察するのは難しそうだ。

「私も延命治療はしないと言いながらかなりうろたえましたしね。まわりの人に覚えておいてほしいのは“その人がひとりの人間としてどんな人生を送ってきたのか” 想像してほしいということ。それを思いやれば高齢者への接し方も変わってくると思います

取材・文/志賀桂子

樋口恵子 1932年生まれ。40代から女性問題、福祉問題について評論活動を続け、介護保険制定にも尽力。東京家政大学名誉教授。NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」理事長。近著に、岸本葉子氏との対談による『90歳、老いてますます日々新た』(柏書房)など。

 

2019年に乳がんと診断された患者数〈全国がん登録罹患データ(厚生労働省)より作成〉

 

名刺の裏に「私、回復不可能、意識不明の場合、苦痛除去以外の延命治療は辞退致します」、表に「娘、樋口睦にもよく申しつけてあります」と手書きで記載。健康保険証といっしょに常時携帯している

 

イラスト/伊藤和人