「『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)に初出演したときは、緊張から前日は一睡もできませんでした。新年度から環境が変化したことで免疫力が落ちていたのか、奥歯が炎症を起こし、放送中は口の中が血だらけ(笑)。不器用なので、入念に準備をしないと気が済まない性分です」
そう笑って話すのは、政治ジャーナリストの岩田明子さん。元NHK解説主幹で、故・安倍晋三元首相に“最も食い込んだ記者”として知られるだけに、「クール」な印象を抱く人も多いはず。ところが、実際に話してみると、社交的、かつあけすけな人となりに驚く。この話しやすさに、安倍元首相も胸襟を開いたのかもしれない。
「講演などで初めて対面でお会いする方からは『もっと怖い人かと思っていました』、『もっと大柄な人かと思っていました』とお約束のように言われるんです(笑)。“バリバリのキャリアウーマンで休日は海外旅行をしているような悠々自適な人”のように思われがちですけど、実態はそうしたイメージとは程遠く、母の介護に奔走し、介護グッズを担いで帰るといった生活です」(岩田さん、以下同)
「縁起でもない!」と怒られて
安倍元首相が凶弾に倒れた2022年7月、岩田さんは26年間勤めたNHKを、早期退職制度を利用して退局した。
「第1次安倍内閣発足前、拉致問題でスポットライトを浴びた安倍さんは、ポスト小泉の筆頭として注目を集め、プリンスのような雰囲気がありました。
若くして総理の座を手にした安倍さんに、私は『安倍総理は、苦労をしてこそ光る総理なのではないか』と口にしてしまい、『縁起でもないことを!』と本人に怒られたことがあります(笑)。
でも、結局、第1次内閣退陣後の雌伏の5年間で、安倍さんは別人のように変わりました。理論だけではない、人の情やご縁、宿命など、“一人ひとりの人間”を意識して政治と向き合うようになったのだと思います」
岩田さんと安倍元首相の付き合いは、'02年に岩田さんが、当時官房副長官だった安倍元首相の番記者の担当になったときからだ。
「政治家は多くの有権者と接する仕事ですので、ある意味、人を見抜くことに長けているんですね。『この人にだったら大事なことを話してもいい。この人の意見だったら聞いてみたい』、そう思われる人間にならないと食い込めない。
自分が政治家と渡り合うためには、バックグラウンドを広げていく必要がありました。同業の記者たちとつるんでいるだけではなく、自分の人脈や知識を貪欲に広げていかなければ、生き残れない世界だと思いました」
芸能界とも交流を持つようになった岩田さんは、安倍元首相と故・津川雅彦さんを引き合わせた仲介人でもあったという。
「安倍さんは、第1次安倍内閣の退陣後。津川さんは、大親友だった緒形拳さんを亡くされた後でした。失意のどん底にあったときに、新しい友に巡り合えたということで、お二方ともとても喜んでいました。安倍さんは映画監督という職業に憧れていたくらいですから、津川さんと映画談議に花を咲かせていましたね」
積極的に異業種へ飛び込んでいく好奇心とフットワークの軽さ。本音を引き出すことができたからこそ、岩田さんは“最も食い込んだ記者”へとなっていった。安倍元首相と生前過ごした日々を、岩田さんが回顧する。
「安倍さんは、1年で首相を交代したことで、退陣後、自民党が野党になるきっかけをつくったとして、強い批判を受けました。そんなさなかに、安倍さんから『居酒屋に行きたい』と連絡があり、一緒に食事をしたことがあります。
店長が気を利かせて、生きた白魚をサービスで出してくれたのですが、安倍さんはお椀の中で泳ぐ白魚をしばらく眺めた後、『かわいそうだから、このままいけすにかえしてあげてください』と言って、口にしませんでした。今でもその表情が印象に残っています」
帰りがけ、店の前でスーツ姿の集団から「安倍ちゃんだ!」と声をかけられたという。罵声を浴びせられるのでは……、ひりついた空気を岩田さんも感じ取った。だが、
「男性の一人が『一緒に写真を撮ってください』と。撮影に応じた後、『オカンが喜ぶわ。今年の年賀状にしようかな』と話していて。その姿を見た安倍さんは、少し目に涙をためて、『まだ頑張らないといけないね』と自らに言い聞かせるようにつぶやいていました。つらい時代に味わった気持ちが政治家を成長させるのだ……。私も身の引き締まる思いがしました」
自民党が野党になった後も、岩田さんは安倍元首相の自宅を訪問し続けた。
「第1次内閣、第2次内閣それぞれ異なる反省点はあったと思います。一方で、安倍さんの人柄や功績が生前にもっと伝わっていたら。近くで安倍さんを見てきたからこそ、これまで知られていなかった安倍晋三像を伝えていきたいという思いはあります」
政治家は“なる”よりも見ていたい
安倍元首相だけでなく、母の洋子さん、妻の昭恵さんといった安倍家の人々とも親しくなり、映画やドラマの話をしたり、健康の相談までされるほどの信頼関係を築いた。
NHK退局後、本来であれば、安倍元首相に取材を続けながらフリーとして活動するはずだった。ところが、彼は不慮の死を遂げる。
「安倍さんは持病の潰瘍性大腸炎を、新薬でコントロールしつつ、体力づくりにとても気を使っていました。第2次内閣退陣後も、長年の疲労と、新薬の副作用で体調を崩したこともありましたが、それもまた克服した。そうした矢先の不慮の死だっただけに、悔やまれます」
政治家の心得を知り、広い見識を持つ岩田さんに、「政治家になろうと思ったことはないのですか?」と尋ねてみた。
「政治家に“なる”ということは考えたこともありません。政治家を“見る”こととは違いますから。私はウォッチし続けたい。それに、たすきをかけて勢いよく壇上に駆け上がり、『私にお任せください!』なんてとても言えません(笑)」
母の介護の日常を包み隠さず伝えたい
環境がガラリと変わり、「ようやくフリーランスという立場にも慣れてきた」と岩田さん。冒頭のように、現在は母親の介護にも奮闘する。
「毎日が失敗と反省の連続です。母親は、家事を完璧にこなす全力投球の主婦だっただけに、身の回りのことができなくなったことに苦しんでいるようです。そんな母と向き合うことに、はじめは戸惑い、葛藤もありました。
ですが、年を取る現実を身をもって私に教えてくれているのだと、最近は思えるようになりました。
自分が介護で感じたことを包み隠さず伝えることで、高齢社会を生きていくための参考になれば……と言っても、私は全然できていないかもしれないけど(笑)」
そう謙遜する岩田さんだが、彼女の口から語られるキャリアや介護といった50代のリアルは、きっと多くの人に響くはずだ。
(取材・文/我妻弘崇)