東京都台東区のビルの一室にある法律事務所。迎えてくれたのは、弁護士の諸橋仁智さん(46)。ニックネームは「パンチ弁護士」。トレードマークのパンチパーマが由来のひとつだというが、この日はツーブロックだった。
「最近は忙しくてパーマをかけにいく暇がないんです。パンチパーマって3時間かかるんですよ」
そう言って朗らかに笑う姿からは想像できないが、20年前までは筋金入りのヤクザだった。背中には今も大きな入れ墨が残る。
衝撃の過去を告白した弁護士・諸橋仁智さん
今年5月、『元ヤクザ弁護士』(彩図社)を上梓。元暴力団組員の諸橋さんが、司法試験を突破して弁護士になるまでの半生を綴り話題に。発売後すぐに重版がかかった。
「経歴を明かすことはたくさんの人から反対されました。でも僕が自分の経験を話すことは、自らの“責務”だと思ったんです」(諸橋さん、以下同)
本を書くことを決めた切実な思いと、出版後の反響などを語ってもらった。
諸橋さんが初めて覚醒剤を使用したのは大学浪人時代。予備校の友人に誘われるがまま手を出した。そこから暴力団の世界へ転がり落ちるまではあっという間だった。
「覚醒剤の売人をしていたのですが、薬の味見をしているうちに僕自身も薬物依存に。28歳のときには精神科病院に措置入院しました。重度の薬物依存で頭がおかしくなった僕に組織もあきれ果て、組を破門になりました」
破門された諸橋さんは一念発起し司法の道へ。猛勉強の末、7年後、みごと司法試験に合格した。
「出版後はいろいろな方から感想をいただきましたが、特に多いのは受験生。『勇気づけられました』という声が多いです。意外だったのは精神障害に悩んでいる方からの感想が多かったこと。薬物依存で幻聴や幻視に悩まされていたころのことを詳細に書いたので、共感してもらえたのかもしれません」
反対に、元ヤクザだという人たちからの反応は今のところないという。
「読んでもらってはいると思うんですけどね。ただ『刑務所に入っている不良仲間に差し入れしました』という話を聞いたときはうれしかったです。本を書いたのは留置場に差し入れしてもらうことが目的でしたから」
というのも、自身が司法試験を目指すきっかけとなったのが一冊の本。覚醒剤取締法違反で留置場にいたとき、母親から差し入れられたのが大平光代さんの『だから、あなたも生きぬいて』だった。転落の人生をたどり16歳で暴力団組長の妻となった大平さんが、再起し弁護士になるまでの軌跡を綴った書だ。
「大平さんの生き方は、僕にとって大きな希望になりました。僕が組を破門されたあと、まず宅建と司法書士の資格を取ったのも大平さんを見本にしたから。大平さんの本が僕を救ってくれたように、今度は僕も自分の経験を語って誰かを助けたいと思ったんです」
妻は当初、出版に反対だった。
「父親が元ヤクザだと公開することで、うちの子どもに悪影響が出るのを心配していたんです。不良時代の先輩たちからも『せっかく弁護士になったのにわざわざ危ない橋をわたる必要はない』と言われました。僕のことを応援してくれるからこそ、やめたほうがいいと忠告してくれたんです」
それでも出版を決意したのは、誰かの助けになりたいという思いと、もう一つ「経歴を社会に公表することが自分の責務」だと感じたからだ。
「僕は過ちも含めて、貴重な経験をしたと思っています。ヤクザから弁護士になった人間にしかわからないことがある。そしてそれは、僕にしか伝えられないことだと思いました」
「せっかくなら先生に」と元不良が相続の相談に
出版後の反響は前述したとおり。心配していた家族への影響はどうだったのだろうか?
「妻の親戚は、僕が元ヤクザだと知りませんでした。本屋で僕が表紙のこの本を見て、すごく驚いたみたいですね。妻は職場でも『この本、諸橋さんの旦那さんのこと?』と言われたとか。珍しい名字なので間違えようがないですしね。ただ、ありがたいことに皆さんすごく好意的に受け取ってくださいました。そうした周囲の反応を見て妻も『ここまできたらとことんやりなよ』と今は背中を押してくれています」
司法試験合格後、諸橋さんは刑事事件を専門にする大阪の法律事務所に所属した。かねて刑事事件を扱いたいという希望があった。
「罪を犯してしまう人たちの心理が僕にはわかります。例えば、車を窃盗した人がいたとして、普通の弁護士は車を盗む前後しか理解できないかもしれません。でも僕はその人が車を盗む人間になるまでの過程も理解できる。それは元ヤクザである自分の強みですね」
大阪の法律事務所から独立し、台東区で開業したのが今年の4月。経歴を公表して以降、“元ヤクザ”を期待しての相談も増えた。
「普通の相続の相談でも『せっかくなら先生に相談したい』と、昔不良だった方が来られます。ヤクザに脅されているという相談もありますね。普通の弁護士よりも僕のほうがうまく対応できるだろうと期待されているのでしょう」
“元ヤクザだから”こそ、時に困った相談も。
「刑務所へ面会に行ったときに、『気持ちがわかるだろう。電話を使わせてほしい』と言われたりします。確かに気持ちはよくわかりますが、違法なので絶対ダメです。実際にそれで捕まっている弁護士もいます」
昔の仲間からも相談が来る。ほとんどが薬物事件と暴力事件だ。
「今は廃れてしまいましたが、僕らの年代はヤミ金の全盛期でした。ロースクール時代に漫画『闇金ウシジマくん』を読みましたが、よく取材されていますね。でも暴力描写が酷くてちょっと苦手です。同じ真鍋先生の作品で弁護士が主人公の『九条の大罪』も読みましたよ。両方の作品を当事者目線で読めるのは、僕くらいでしょうね(笑)」
今後の評価は自分の行動次第
弁護士の仕事に実直に取り組む諸橋さん。しかし一度経歴を公表した以上、今後ネガティブな評価がつきまとうおそれもあるが……。
「今後の評価は、僕次第だと思っています。僕がこの先真剣に生きる姿を見せ続けるしかないです。実際に、公表してから性格が以前よりも丸くなりました(笑)。自分の力でイメージをよくしなければいけないので、最近は笑顔も増えたんです」
さらに発信を強化し、かつての自分と同じような境遇の人たちの励みになりたいという諸橋さん。YouTubeではジャーナリストの丸山ゴンザレスさんや暴走族『ブラックエンペラー』の元総長・蛯澤賢治さんらのチャンネルに出演し、自身の経験談を話している。
「いつか刑務所でも僕の体験をお話しさせていただけたらと思っています。読んでもらった方にはわかると思いますが、僕の本は元ヤクザの武勇伝ではありません。その逆で、これ以上ないくらいの恥をさらしています。どん底を味わった人間だからこそわかることがある。過ちを犯してしまった人に、『どこまで落ちても必ず立ち直れる』ということを伝えたいです」
(取材・文/中村未来)