正司花江さん 撮影/齋藤周造

 お笑いの世界は大きく変化しつつある。女性芸人が多数登場し、女性が自らのアイデアと表現で人を笑わせる、新しい時代となった。「女は笑いに向いてない」と言われた時代から、女性が人を笑わせる自由を手に入れるまで。フロンティアたちの軌跡と本音を描く。かしまし娘で活躍した、正司花江さんの最終回。

3人で舞台に立てるのは、もう最後かなと

 3歳で初舞台、19歳のときかしまし娘結成。激動の時代を生き、芸歴84年となった正司花江さんは、いかに年を重ねてきたのだろうか。そして、次の世代の女性芸人は、新しい時代へどう向かっていくのだろうか。

 漫才をするとケンカになるからと、昭和56(1981)年、3人での活動を休止したかしまし娘。それから24年を経た平成17(2005)年、上方お笑い大賞審査員特別賞を受賞。久々に3人集まり、記念公演で漫才を披露した。このとき、花江さんは79歳。2人の姉はすでに80歳を超えていた。

そんな年になると、モメもしませんわ(笑)。音も呼吸も合わんのが、当たり前やしね。若いときは、ウケんとあかんと思って、ケンカもしたけど。年とったら、厚かましなってね。元気で舞台に立って、お客さんに喜んでもらえるならそれでええわって、気が楽になりました

 それから、かしまし娘としての活動を再開。機会があれば3人そろって仕事をするようになった。結成60年を過ぎた平成29(2017)年には、『徹子の部屋』にそろって出演。

 平成30(2018)年、かつて本拠地だった道頓堀角座の舞台に、久々に3人で立った。合計252歳。それでも姉妹そろって舞台に立つと、ぱっと場が華やぐ。美しいハーモニーも、丁々発止のやりとりも健在だった。

「3人で舞台に立てるのは、もう最後かなという思いはありました」

 その後もテレビに出たり、ソロでの活動は元気に続けている。花江さんは朝ドラ『おちょやん』などにも出演した。

 現在、花江さんは87歳。

健康法はウォーキング。ちょっと前までは朝6時に起きて1時間歩いてたんですけど、今は夕方に30分ぐらい、無理のない程度にね。食事も、3食自分で用意してきっちり食べます。好きなんはお肉ですね

 93歳の歌江さんは車で数分の所に、90歳の照枝さんは、一軒おいた隣に住んでいる。

歌江姉ちゃんとは、コロナ禍になってから、義兄に様子を聞くぐらいしかできないんですけど。照枝姉ちゃんの家には、毎日1回顔を見に行きます。今はお互いひとり暮らしやからね。ええ年で、何があるかわからんし。ウチが作ったおかずを届けたりしながら、様子を見るようにしてるんです」

今は近所に暮らしているというかしまし娘の3人(上から花江さん、照枝さん、歌江さん)

着替えはみんなのいるとこでするしかなかった

 照枝さんは高齢者施設に入ったこともあるそうだが……。

元気なんですけど、息子に迷惑かけたくないからって、自分で決めて入居先も探してきた。息子は優しいから、冷蔵庫やテレビ、新しい家財道具を買って準備してくれて。私は寂しいなぁと思いながら、送り出したの。そしたら姉は入ったその日にイヤになって、帰るってゴネ出したんです。

 ウチが“3日ぐらいは我慢して”と、とりなしたら、4日目に家に帰ってきました(笑)。息子にも施設にも迷惑かけて……。でも、住み慣れた家がいいって気持ちはわかるわね。好きなときにごはん食べて、テレビ見て、自由にできるし。私も家で暮らしたい。姉妹で近所に住んで、支え合えるのは、ありがたいことやね」

 昭和初期から演芸界で、女性が生き抜いていくことは、大変ではなかったのだろうか。

小さいころから、親と離れて旅回りしていたんで。楽屋で寝泊まりしているときに、寝相が悪いと蹴られたり、いじめられたりはあったけどね。そんなにつらい思いをした感覚はないんです。今と違って、楽屋は男女の別がなかったから、着替えはみんなのいるとこでするしかなかった。

 でも、下着はつけているし、ささっと部屋の隅で着替えればすむことでね。ただ、楽屋では師匠や先輩がいるから、男女ともに若手は居づらかった。京都の劇場は裏が墓場やったので、空き時間はみんなで墓場にいましたね。“あの先輩感じ悪いよね”とか好き勝手言えるので、楽屋より気楽やったんです」

 かしまし娘としてデビューしてからは、テレビやラジオなどメディアにも進出し、周りの環境も変わっていった。

私は女やから得したと思ってるの。若い女の子が、歌って漫才するのが珍しかった時代やから、ええ線いったんと違うかな。興行師で芸人でもあった父は、“女の子は下品なことやったらあかん”っていうのが口癖でした。

 だから、ウチら下ネタはやらなかったの。他の人の悪口も言わなかった。おかげでネタは狭いんですよ。姉妹のケンカみたいなネタばっかりで、マンネリになりやすかったかもしれないですね」

 漫才出番の衣装は、自前が原則。それは昔も今も変わらない。

「女の芸人のほうが、衣装にお金はかかるわね。ウチと照枝姉ちゃんはおそろいの洋服をあつらえて着たから、それなりの値はするし。歌江姉ちゃんは着物やからさらに高い。寄席の出番はそんなに儲からないんで、衣装代のほうが高くつくこともありました。

 でも夢を売る商売をやってるんやから、きれいにしておくのも大事やと思うのよ。ウチらはいち早くミニスカートもはいたし、体形維持するために頑張ってしていた。最近はTシャツとか普段着のような格好で舞台に立つ子がいるけど、あれどうかと思うのよね。ちゃんとした衣装でお客さんの前に立つのは、芸人の礼儀でしょ。そんな考え方、古いんかな?」

 女性芸人が増えた現在の状況を、花江さんはどうとらえているのだろう。

「実はお笑い番組をほとんど見ないの。自分が漫才やってウケないつらさを味わってるから。人が漫才やってるのを見ると、今もつらくてしょうがない。新しいお笑いの人はほとんど知らんので、偉そうなことは言えないけど。

 礼儀正しくしたほうがいいというのはあるわね。ちょっと売れると偉そうにする後輩がいたんですよ。こちらから挨拶してるのに、返事もせんとかね。でも、そんな人は結局、人気も長続きせんの。落ちぶれてから態度を改めても、もう遅いんです」

正司花江さん 撮影/齋藤周造

漫才は売れてもそんなに稼げない

 男女にかかわらず、お笑いをやることの難しさは今も感じているという。

「厳しい世界やからね。漫才は売れてもそんなに稼げないし。人気になってもずっと仕事があるとは限らないでしょ。よっぽど好きで覚悟がないと続けられないと思います

 そうは言いつつ、花江さんは今も舞台に立ちたいと願う。

やっぱり、ウケたらうれしいですからね。コロナ禍になる前は、お芝居や講演の仕事がけっこうあったのに、このところお呼びがかからなくなったのは寂しい。87歳の私に、先の仕事を頼むのは怖いというのはわかるんやけど。私は元気やし、自分では年をとったつもりはない。これからもできる限り舞台に立って、ウケたいんです

 花江さんが幼かったころ、姉の歌江さんと照枝さんは少女漫才師として、軍需工場に何度も慰問に行っている。大人の芸人の中には、海を渡って戦場に慰問に行った集団もあった。その移動中に爆撃を受けて命を落とした女性芸人もいる

 戦争が終わり、かしまし娘たちが華やかに楽しく笑わせる世の中が訪れたことは、なんと幸せなことだろう。年を重ねても、元気に笑わせ続けられることは、なんと尊いことだろう。

 笑う自由、笑わせられる自由。先人たちが拓き、花江さんたちがつないできた道を今、多くの女性芸人たちが颯爽と歩む─。

構成・文/伊藤愛子●いとう・あいこ 人物取材を専門としてきたライター。お笑い関係の執筆も多く、生で見たライブは1000を超える。著書は『ダウンタウンの理由。』など

 

今は近所に暮らしているというかしまし娘の3人(上から花江さん、照枝さん、歌江さん)

 

正司花江さん 撮影/齋藤周造

 

昭和41年には上方漫才大賞を受賞したかしまし娘(左から照枝さん、歌江さん、花江さん)

 

花江さんはソロになり司会や女優として活躍

 

かしまし娘・正司花江さん 撮影/齋藤周造

 

デビュー後、人気となったかしまし娘(左から照枝さん、歌江さん、花江さん)
デビューしたころのかしまし娘(左から照枝さん、歌江さん、花江さん)
かしまし娘・正司花江さん 撮影/齋藤周造