6歳のある日、目の前にいた母親が殺された。
「『子ども達だけは助けて』そう言っている母の声がいまでもふとしたときに聞こるし、見えます」
そう話すのは「碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件」の被害者遺族であるJINさん。彼は愛知県碧南市にて、パチンコ店店長の父親と専業主婦の母親の元に生まれた。両親が存命だったときの暮らしぶりをこう振り返る。
「恵まれていましたね。当時は珍しかった逆輸入のレクサスに乗ったり、水上バイクを持っていたり。それが、事件につながるわけですが」(JINさん、以下同)
両親が殺された一夜。「あの夜すべてが変わった」
1998年6月28日、日曜夕方に事件は始まった。
「あの日は母と、僕と、2歳年上の兄が自宅にいました。17時ごろにインターホンが鳴り、母と兄は寝ていたので僕が扉を開けると3人の男が立っていた。思い出そうとしても顔は真っ黒ですが、柄シャツを着ていたことと、1人の男がピンクのゴム手袋をしていたことだけは鮮明に覚えています」
その後、3人の男はJINさんの母親に「旦那さんの同僚だ。ヤクザから追われていて匿ってほしい」と説明した。
「お母さんは疑っていたみたいなんですけど、相手は男3人。なにもできなかったんだと思います。それで、お酒やつまみを出していました。男たちは和室で酒を飲みながら母と話をしたり、リビングで俺と遊んでくれたりしました。いま思えば見張っていたんだと思うけど……。兄は、2階の子ども部屋で眠っていました」
何度も何度も聞かれたことがあるのだろう。事件の経緯についてJINさんは語り慣れていた。
「少し時間が経ってから母の悲鳴と大きな物音が聞こえました。驚いて母のいる和室を覗くと、母は首を絞められていて『子どもたちだけは助けて』そう言っていました」
どうやって首を絞められたのか、どの男が最初に首を絞めたのかなど細かいところは覚えていないが、母親の姿と声だけはいまでも毎日夢に出てくるという。
「ここで、その日の記憶は終わっています。犯人のひとりに2階のクローゼットに押し込まれていたそうなんですが、全然覚えてない」
3人の男はJINさんの母親を殺害してから、遺体のそばでサッカー中継を見ながら、酒を飲み枝豆をつまんだ。日付を跨ぎ29日未明、父親が帰宅。父親は妻が亡くなっているのを発見し、2階の子ども部屋にいた長男(JINさんの兄)に話を聞いた。その後、1階に戻った父親は風呂場に隠れていた犯人達に殺された。犯人は家にあった現金6万円と金のブレスレットを持ち出し、ふたりの遺体をJINさん宅にあったレクサスのトランクに押し込め、車ごと路上に放置。たった6万円のための殺人だった。
「父親が店長をしていたパチンコ店の鍵を持ち出して、店内のお金を取ろうとしたらしいんですが、入れなかったみたいです。滑稽ですよね」
事件の翌日、JINさんは兄に起こされて目が覚めた。
「兄貴がクローゼットにいた僕を見つけて、コーンフレークを作ってくれました。思い返すとすごいですよね。兄は父親が殺されたことを知っていたので、焦っていたはずなのに、弟のために朝ごはん作ってあげなきゃって。当時の僕は母が殺された記憶が抜けていて、なんでお父さんとお母さんがいないのかなと不思議に思っていました」
その日、JINさん兄弟は小学校を休んだ。それを心配した担任教師が家に訪れ、夫婦失踪として捜索が開始。その1週間後に腐敗した2人の遺体が見つかった。しかし、犯人特定につながるような指紋は検出されず、指紋や血液鑑定が主流だった当時の捜査は難航した。
JINさんは事件のあと、性格が変わったという。
「人を信じられなくなりましたね。あの事件がなければ、あの日の夜もお母さんと一緒に夕食を食べていたはずだったし、次の日も学校へ送り出してくれていたはずだった。でも、そんな日は二度と来ない。大好きだった母は目の前で死んでいって、殺した男たちは生きている。誰も信じないことがせめてもの防衛でした」
たらい回しにされた幼少期と、消えた6000万円
事件が発覚し、JINさんは碧南市の精神科に1か月ほど入院したが記者が殺到したため、1か月ほどで愛知県岡崎市に住む母の叔母夫婦に引きとられた。
「入院中の記憶はないんですが、ずっと目の焦点があってなくてぼうっとしていたそうです。母方の叔母夫婦のもとに行ってからは、悪い子だった。家のものは盗むし、6歳なのに家出はするし。『お小遣いがほしい』って言えないから、家にあった貯金箱からお金を盗んだり、真冬に知らない人の家に行って『虐待を受けてるから泊めて』って嘘ついたりしてましたね。とにかく、気を遣われていることが耐えられなかったし、寂しかった。『親が殺された子』としてではなく、『僕のことを見て欲しい』と思ってかまって欲しくて悪さをしていました」
JINさんが8歳のころ、叔母夫婦は面倒を見きれなくなり、愛知にある母方の祖母の家に引き取られた。
「おばあちゃんのことは大好きだったので、おばあちゃんの家ではあんまり悪いことはしなかった。優しいし、僕のことを見てくれている感じがして安心できた。でも、遺産目当てで引き取ったことを後から知らされました。僕と兄は両親の遺産を6000万円くらい相続していて、僕らを引き取ったらそのお金を管理することができる。もちろん、勝手に使うことは禁止されてるけど、簡単に自分のものにできるんです」
祖母は内縁の夫がやっていた工場のための資金を得ようとJINさん兄弟を引き取ったのだという。
「工場が赤字続きだったらしいんです。おばあちゃんが遺産目当てだったことは1年くらいで親戚にバレたので、おばあちゃんのもとにはいられなくなり、10歳のころに母方の伯母に引き取られました」
伯母は美容院経営、内縁の夫は建設業を営み、羽振りのいい2人は親戚の中でも信用があった。しかし、この2人がJINさんの心をさらに痛めつけた。
「ご飯は出してもらえないし、服も買ってもらえなければ、もちろんお小遣いももらえない。暴力は日常茶飯事で冬に半袖短パンに裸足の状態で外に出されたこともありました。とにかく僕達に興味がなかった。両親が殺されてから、僕らの写真は1枚もないんです」
JINさんは13歳ごろから盗みをするようになった。
「モノを盗んで換金していました。完全にグレてた。当時は『お金がないし食べるものもないんだからしょうがないじゃん』そう思っていました。ずっともがいて、生きている実感すらなかった」
そして14歳でJINさんは逮捕。
「美人局をしてたんです。同級生くらいの女の子と手を組んで男を引っ掛けて、ホテルの部屋に入った時点で乗り込んで、男にお金を払わせてた。それが警察に見つかって、1年間、児童自立支援施設という少年院の一歩手前みたいな施設に入りました。伯母たちは1度も面会には来なかったですね」
バスケの特待生として高校には進学したが、半年足らずで自主退学。その後2年間、少年院に入った。
「感覚がおかしかったですね。傷つけられても痛みを感じないように生きていたから、人の痛みも感じず傷つけることにためらいがなかった。お金がないから窃盗して、ムカついたから殴るという感じで。被害者遺族だった僕は、正真正銘の加害者になりました」
JINさんが17歳のとき、伯母と内縁の夫がJINさん兄弟の遺産を使いこんでいることが発覚した。
「自分たちの生活費にも使っていたけど、それ以外にも伯母の娘夫婦の料理店のリフォーム代に使ったり、伯母の内縁の夫の息子にお金をあげていたり。
家庭裁判所に呼ばれたんですけど、全額返せばお咎めなしということになりました。本来なら後見人を解任させられるはずなんですけどね。その後また、僕らの遺産を使い込んだことが発覚。
後見人は解任となったものの、使い込んだ遺産は貸付というかたちに。その1年後に伯母夫婦が自己破産してお金は戻らなくなりました。両親が遺してくれた遺産は僕達の命綱だった。その命綱は誰にも守られることなく消えていきました」
もしもあのとき……。暴走した罪悪感
19歳のとき、高校生のころから思いを寄せていた女性と結婚。不良グループとは縁を切り、生まれ変わることを誓ったという。
「子どもを授かって、結婚しました。初恋の相手で、ずっと好きだった女の子と結婚できたのでめちゃめちゃ幸せでしたね(笑)。家族というものはよくわからなかったけど、なにがなんでも奥さんと子どもを世界一幸せにしようと思った。建設関連の会社も立ち上げて、従業員を30人くらい雇ってわりと成功していて、この人生も悪くないかもって感じていました」
そんなとき、両親の事件の犯人が逮捕された。
「夕方に警察から電話がかかってきて『いい知らせと悪い知らせがあります』と言われました。いい知らせは犯人3人が逮捕されたこと。悪い知らせは、主犯の堀慶末という男が僕の両親を殺害した後に2つの事件を起こしていたことでした」
2つの事件のうち、ひとつは強盗殺人未遂、もうひとつは「名古屋闇サイト事件」だった。JINさんの両親の事件「碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件」から9年後、2007年8月のことだ。堀は闇サイトで出会った男2人(「碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件」の共犯者とは別の男)とともに、当時31歳の女性を拉致、監禁。現金とキャッシュカードを奪った上で、被害者の顔を粘着テープで巻き付け、ハンマーで頭部を40回にわたり殴打し殺害した。
「この知らせを聞いたとき、自分を恨みました。自分が犯人のことを覚えていてちゃんと供述できていたら、2つの事件は起こらなかったかもしれない。俺、犯人の顔見てたのになんにも供述できなかった。周りの人は『そんなこと気にしなくていい』って言うけど、供述できたはずの人間って、俺しかいないから」
警察が犯人逮捕を公表すると、まもなくしてJINさんの自宅に記者が集まってきた。
「住所なんて発表してないのに、すぐに記者が来て取材を求められました。僕としても、事件を風化させたくなかったから最初のうちは取材に答えてたんですけど、取材のたびに思い出さないといけないからきつくなってきた。そしたら、1週間くらいずっと週刊誌の記者が家の前で張り込むように。おもしろいネタだったんだろうけど、怖かったです。僕が仕事に行って家に奥さんと子どもしかいないときはインターホンを切っていたので、僕が帰ってくるとすぐにインターホンが鳴る。奥さんはなんの関係もないのに怖い思いをさせてしまって申し訳なかったです」
その後、裁判が開かれJINさんも参加した。
「初公判に出て、堀と対面しました。僕、開始5分くらいで身体が震えてしまってすぐに退出させてもらったんですけど、堀を見た瞬間にいろんなものがどうでもよくなった。僕の人生とか、幸せとか。『そんなもの、あの事件のときに全部なくなってたのに、いまさらなに考えてるんだろ』って思っちゃたんです」
JINさんのなかでなにかが爆発した。
「夜中、車で閉店後の家電量販店に行きました。バックヤードに忍びこんで、大型テレビとかプレステとか掃除機とかいろんなものを窃盗した。窃盗している間ずっと『こんなことしちゃいけない。奥さんと子どももいるのに。生まれ変わるって決めたのに』って思ってたんですけど、その罪悪感が興奮に変わっていくのを感じました」
今も戦う“窃盗の衝動”
堀の初公判から3日後、JINさんは逮捕され4年2か月間服役。奥さんとの離婚も決まった。
「立ち上げた会社も立ち行かなくなって、会社にあったはずのお金は仲間が持って逃げました。家族もいないし、会社もないし、兄貴は犯罪に手を染めた僕のこと好きじゃないから連絡取れる相手もいない。もうどうにでもなれと思いましたね」
釈放されて2か月後、JINさんは再び事件を起こした。
「また窃盗をしました。今度は車の窃盗で2年の服役。ものを盗んでいるときの高揚感とか、楽に稼げたときの罪悪感と達成感が入り混じったようなあの感覚が忘れられなくて、やめられなかった。自分の人生なんてどうなってもよかったし、将来なんて来なければいいと思ってました」
いまでも、窃盗の衝動が襲ってくる瞬間はあるという。
「もう絶対にやらないけど、衝動とは戦っています。僕、両親の事件の影響で統合失調症があって幻覚とか幻聴が聞こえるんですけど、『盗んじゃえよ』という声が聞こえてくることもある。もちろん、いままでの罪を幻聴のせいにするつもりはないし、犯した犯罪はまぎれもなく僕のせい。こんな僕でもいつか、前の奥さんや子どもに恥ずかしくないと思ってもらえる人間になりたいから、ギリギリ耐えています」
JINさんは統合失調症のほかにPTSDとパニック障害もある。
「統合失調症で幻覚や幻聴が見えたり聞こえたりするので、ふとした瞬間にお母さんやお父さんが見えたり、声がしたります。犯人が見えることもあるかな。PTSDとパニック障害はほとんど同じで、声に敏感だから人混みがだめっていうのと、不眠症がある。薬を飲んじゃうと手足が震えて仕事ができなくなっちゃうのでいまは飲んでいません」
JINさんはこの取材の直前に、取材場所であるカフェを変更した。理由は、事前に下見をしたところ、人が多く動悸が激しくなったから。変更を伝えるメールには「変更してもよろしいでしょうか? 申し訳ありません」そう書いてあった。事件の跡は消えることがない。
「以前、東京の大きな会社で働かせてもらっていたんですが、満員電車に乗るのが難しくて辞めちゃいました。もしもあの事件がなければ……そんなありえない世界も考えてしまいます」
母親が守ってくれた命の使い道
JINさんが服役している間に裁判は決着を迎え、主犯である堀慶末は死刑、ほか2人には無期懲役が言い渡された。
「裁判の中でも真実はわかりませんでした。裁判で決まったことが真実ってことなんだろうけど、それで納得できるほど僕は大人じゃないので」
堀の供述には矛盾点が多数ある。例えばJINさんのお母さんの殺害についてだ。共犯2人は「堀から殺害を指示された」と話しているが、堀は「2人が勝手にやったことで自分は関与していない」と言っている。これ以外にも、食い違いはいくつかある。
「本当の真実を知りたい。どうやって俺の両親は殺されたのか、どうして俺の両親は殺されたのか、どうして俺の、俺たちの人生はめちゃくちゃにされないといけなかったのか。1度だけ、堀から手紙が送られてきたことがあるんですが、そこにも真実は書かれていませんでした。ただ謝罪の文章が並んでいるだけだった」
また、堀からの手紙には「受刑中である現在行うべきこととして、作業報奨金を被害弁償に充てていこうと考えておりまして、まずはこれまで貯めた報奨金をせめてもの償いの形としてお送りしたいと思っております。(中略)今後も毎月とは行きませんが、精一杯のお気持ちをお届けできればと考えております」と記載されていた。
JINさんは、お金が送られてきてもそれを使うことはないと伝えた上で送金を許可したが、作業報奨金が送られてくることはなかったという。
「堀はいまでも金にしがみついているみたいです。僕の両親もたった6万円のために殺害されたし、堀が犯したほかの事件もすべて金目当て。死刑確定後に国家賠償もしています。シスターとの手紙のやり取りを拘置所に不許可にされたとかで、国に33万円を請求。結局3万3000円が支払われました。法律に文句を言うつもりはないけど、俺らの遺産は守ってくれなかったのになんで堀への賠償金は支払うの? とは思ってしまう」
JINさんは薄く笑ってこう続けた。
「でも、僕だって金のためにたくさん罪を犯したし、たくさんの人を傷つけてきた。僕と堀が同じだとはまったく思わないけど、金に目が眩んだっていう点においては近いのかもって怖くなったりもします」
だからこそ、JINさんには目指すものがある。
「不良少年や少女に対してなにかしたいなって思っています。大人になってから変わるのってめちゃくちゃ難しいんですよ。身をもってそれを痛感してるから、なにかを抱えて非行に走ってしまっている子やそのご両親のサポートをしたいと思っています。俺の人生は母が絞め殺されながら命をかけて守ってくれたものです。めちゃくちゃにされたままでは終われない」