サングラスとリーゼントと蝶ネクタイ。デフォルメされた田代まさしのイラストが施されたグッズ“マーシーズ”が令和になって田代自らの手で復刻され、話題を呼んでいる。5度の逮捕と3度の服役を経た田代が、これまでとこれからを語る―。
「外の世界は幸せです。なにものにも代えがたいですよ」
率直な気持ちをこう明かすのは田代まさし。'80年に鈴木雅之らと音楽グループ『シャネルズ』('83年に『ラッツ&スター』に改名)でデビュー後、お笑いタレントとしても活躍するが違法薬物などで5度の逮捕と3度の服役を経験。
マーシーズを復刻販売
昨年10月に出所してからは、時計などファッションアイテムを取り扱う『株式会社OMECO』の代表である風間友亮氏とタッグを組み、自身がプロデュースしていたオリジナルブランド『MARCY'S(マーシーズ)』のグッズの復刻販売を始めている。
「昔、原宿で出店していたタレントショップ『マーシーズ』のメインターゲットは学生さんでしたから、お手頃な値段にするためコストを抑えていました。今回の復刻版はデザインそのままで、いい素材を使っているので長く愛用できるようになっています」
タレントショップとは、有名人のオリジナルグッズを扱う店舗。'80年代後半に原宿を中心に大ブームとなった。
「原宿には最初、松本伊代ちゃんがお店を出していて、僕は2番手だったと思います。そのあと、山田邦子さんや所ジョージさんも出店したんですよね。いちばん勢いがあったころは軽井沢、倉敷、名古屋にもマーシーズの支店を出していました。当時の売れ行きはすごかったけど、テレビなどの仕事が多忙で店舗の運営は管理会社に任せっきりでした。グッズの売り上げは自分の元に月80万円ほど入っていたと記憶しています」
『マーシーズ』発の田代の顔をデフォルメしたイラストは、'80年代ポップカルチャーのアイコンとして現在も根強い人気を誇っている。復刻したシャツやバッジなど、マーシーグッズの売れ行きも好調のようだ。
「今でも海賊版が出回っていて困っていますが、正規版ではタグに、洗濯方法の注意書きと一緒に“注射器マークに×”をつけるなど、僕の過去を絡めた小ネタを入れたり、コピー対策をしています(笑)。現在、商標申請しているので、受理されたら海賊版の流通を止めるように警告を出せるんですけどね。もういっそのこと、このマーシーのイラストにターバンや眼帯をつけて“海賊版マーシー”を出そうかなとも考えています!」
田代は復刻だけにとどまらず、新作グッズにも着手。今年6月には沖縄のお土産で知られる“海人(ウミンチュ)シャツ”をパロディーにした“罪人(ツミンチュ)シャツ”をリリースし、ネットニュースに取り上げられるなど話題を呼んだ。
罪を背負うという戒めも込めている
「周りからは“まじめにやっているんだからもう自虐はやめなよ”とも言われますが、このシャツには罪を背負うという戒めも込めているんです。クスリやっている人って、周りの人に気づかれないために話題を避けたりするんです。僕も隠れてクスリを使っていたとき、周囲に“僕は健康だよ”って執拗にアピールしていましたから」
自身の過去をネタに昇華して向き合い続ける田代。このような取り組みもあって、“クスリ”に関連した仕事も舞い込んだ。障がい者の就労支援施設などを運営している『株式会社HERO』が開発したポン酢『ヒロポン酢』のネットCMに出演したのだ。会社名を冠した商品名とはいえ、かつて日本国内で流通していた覚醒剤の名称を彷彿させるが─。
「オファーが来たときは“ふざけるな!”と思ったけどね(笑)。でも、商品サンプルと一緒に社長の手紙も添えられていて“障がい者施設で製作しています。これで田代さんも元気になってくれたらうれしいです”って書かれていて、施設の力になればと思って引き受けました。実際、おいしかったしね。ありがたいことに、このCMがSNSで話題になってくれて、ほかにもいくつか広告案件も来るようになりました」
充実した毎日を送る田代だが、多忙な日々のストレスから薬物に手を出してしまった自身の過去を忘れていない。
「いちばん忙しかった時期の平均月収は1000万円くらい。これでも当時の顧問税理士から“これ以上稼いでも逆に税金かかってマイナスですよ”と言われてセーブしていたんです。あのころはお笑いをやっていて、毎回ウケなくちゃいけないプレッシャーがすごかった。“僕は本当に面白いのか。いつまで続けなきゃいけないんだ”と、ブルーになっていましたから」
『ヒロポン酢』のCM契約料は、田代が通う薬物依存者の回復支援施設『ダルク』に全額寄付。収益より自分のペースを第一にするようになった田代は、仕事との向き合い方にも変化があったという。
「以前は早くテレビに戻ることが、ファンへの罪滅ぼしだと信じて頑張っていたけど、今は“支えてくれる仲間たちとごはんが食べられればいいや”と思えるようになってきました。僕はもう“プロ”ではなく素人。今の活動は昔取った“蟻塚”。じゃなかった、杵柄か(笑)」
かつて“ギャグの王様”と称された田代のサービス精神は今なお健在。今後の展望を聞いてみると、
リーダーの横でまた歌いたい
「8月4日から『MARCY'Sちゃんねる』というユーチューブチャンネルを始めるのですが、動画内でコントとまではいかないにせよ、なにか面白いことができればと思っています。僕は志村けんさんの近くで、笑いの勉強をさせてもらっていましたからね。あと、趣味で絵を描いているのですが、結構たまっているので、今年10月ごろには個展が開ければな、と思っています」
そんな田代は、ひとつだけ心残りがあるという。
「僕が塀の中にいた'20年に『ラッツ&スター』のリーダー・鈴木さんのお母さんが亡くなりまして。学生時代からお世話になった僕の第二の母親のような存在でした。外に出てすぐお墓参りに行きたいとリーダー側に伝えたんですが、その際“鈴木はコンサートツアー中で対応できない”って言われて。今日までお墓参りに行けていないんです」
田代と鈴木は高校時代の同級生。駆け出し時代の苦楽を共にした仲間だった。
「僕の目標のひとつに“リーダーの横でまた歌いたい”というのがあるんです。いつか叶うようこれからも頑張ります」
一歩一歩、田代は再起の道を進みだしているようだ