在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。
米海軍横須賀基地勤務の男性と結婚し、29歳のとき別居を決意。シンガーとして働き、母子2人の生活を支えた。
再度到来したデビューのチャンス
シンガーの仕事は順調でした。
デビュー話が持ち上がったのは30歳のとき、『マジック』や『Bar Bar Bar』で歌っていた横浜のディスコ時代のときのこと。当時ファンがどんどん増えていて、店にお客が入りきれないこともよくありました。すると、
「これはイケる!」「もっと大きな会場で歌ったほうがいい」
と周りが盛り上がり、一度ソロコンサートを開いてみよう、という話になった。会場は横浜のエクセレントコーストで、400人収容のボールルームを借りています。
『マジック』や『Bar Bar Bar』は横浜でも芸能関係者が多く集まる華やかな場所で、その縁で山本寛斎さんはじめ多くの著名人・芸能人が足を運んでくれました。私は当時27歳で、コンサートは大盛況でした。
すると今度は、
「これはイケる。デビューしたほうがいい!」
と周りが俄然騒がしくなってきた。
とはいえ私は一度デビュー話をお断りして、事務所に迷惑をかけてしまった過去がある。かつての事務所に、「あのときは申し訳ございませんでした」と改めて謝罪に行きました。
そこでケジメをつけ、もう一度前向きに話ができたら、という気持ちです。事務所は私以上に乗り気でした。「おまえもようやくやる気になったか!」と、その場でデビュー話が再燃しました。
シンシアのデビュー曲はドラマの主題歌にも採用
レコード会社がビクターエンタテインメントに決まり、1993年12月、シングル『FEEL ME』でメジャーデビュー。
このとき初めて「シンシア」と名乗った。歌手・シンシアの誕生だ。
まだレコードの時代で、初回は8000枚からのスタートでした。新人の場合5000〜7000枚が通常のケースなので、事務所やレコード会社の期待が高かったのだと思います。
『FEEL ME』は吉川(君島)十和子さん主演の昼の連ドラ『あなたが好きです』の主題歌に採用されています。
デビューと同時に、キャンペーン・ツアーが始まりました。北は北海道から南は九州まで、全国各地を回っては、地元のラジオ、テレビ、新聞、タウン誌、レコード店、有線放送と、各所へご挨拶に伺います。
なかでもあのころは有線放送が大きな力を持っていて、有線でヘビーローテーションされると売れる、というヒットの法則がありました。
有線放送の事務所には曲をかける女性たちが各局にいて、新人歌手は彼女たちに気に入ってもらうことが大切です。
来る日も来る日も愛想を振りまき、笑顔でサインし、オウムのように自己アピールを繰り返す。曲を知ってもらうためには必要な作業とはいえ、キャンペーンは苦痛を伴う時間でした。
歌が好きなだけでは済まされない。商業的な成功が重要で、そのためにすべきことがある。メジャーの現実はシビアで、シンシアの思いとは大きく違った。
デビュー曲『FEEL ME』はバラードでした。けれど私自身は洋楽への憧れがあって、ジャパニーズ・ポップスに対する抵抗を感じていました。
アメリカンポップスのような楽曲を歌いたい、何で私が歌謡曲を歌わなきゃいけないの?という思いも正直ありました。(次回に続く)
(取材・文/小野寺悦子)