ジャニーズグループ『Kis-My-Ft2』の冠番組『キスマイ超BUSAIKU!?』(フジテレビ系)が8月をもって終了することを、7月20日の放送でメンバーから発表された。
9月からはキスマイによる新形態番組がスタートするそうだが、8月31日にグループ脱退、ジャニーズ事務所を退社する北山宏光は不在。2011年のCDデビューから12年間、欠けることがなかった7人組だったが、6人でのリスタートを余儀なくされる。
グループ最年長で、メンバーをまとめるリーダー的存在だった北山。脱退後の“進路”として実しやかに囁かれるのが、“タッキー”こと滝沢秀明氏が3月に立ち上げた新事務所『TOBE』への合流。
すでに元V6の三宅健、元King & Princeの平野紫耀と神宮寺勇太、そして元Jr.グループ『IMPACTors』が『IMP.』とグループ名を変更して合流を果たすなど、すっかり“辞めジャニ”の受け皿となりつつある『TOBE』。
北山も平野らと同様に、苦楽をともにしたメンバーと袂を分けてまでも“タッキーズ事務所”に入りたいというのだろうかーー。
結成からデビューまで6年間の下積みを要した苦労人グループのキスマイ。中でも25歳10か月と遅咲きだった北山だけに、「当初から“絶対に売れてやる”という強い気持ちがひしひしと伝わってきました」とは、アイドル誌でインタビュー取材に立ち会ってきた編集者。
“長いものに巻かれる”タイプ
「SMAP育ての親でキスマイも担当したIマネージャーや、それこそ番組でよく絡んでいた中居(正広)さん。それにジャニーズ内だけでなく、演者やスタッフさんまで業界の大人たちに可愛がられる、意地悪な言い方をすれば“長いものに巻かれる”ことを心得ていましたね(笑)」
そんな北山とともに人気グループに成長したキスマイだが、I女史の退社によってピンチを迎える。いわゆる“I派”と目されてきた彼らだけに、「干されるのではないか、退所するのではないか」などの噂が飛び交うことも。
ファンもヤキモキする時間が続いていた最中の2018年、デビュー7周年を迎えた年に一つの決断が下される。ジャニーズグループとして初めて、埼玉県の西武ドーム(現・ベルーナドーム、当時はメットライフドーム)でコンサートが開かれた7月のこと。
最終日を迎えた7月16日、最後にステージ挨拶をしたのが北山だった。
【7周年を迎えることができたのもファンのみなさん、スタッフのみなさん。……たどればジャニーさんの、メリーさんとジュリーさんのおかげでもあります】
デビューから支えてくれたファンやスタッフ、そして“生みの親”であるジャニー喜多川さん、そしてメリー喜多川さんと藤島ジュリー景子社長(当時は副社長)ら親子の名前を口にした北山に、ドーム内のファンからは驚きの声も上がったのだ。
3万人以上のファンの前で誓った忠誠
ジャニーズ事情に詳しい芸能ライターが解説する。
「Iさんを退社に追い込んだとされるメリーさん、そして社長の座を争ったとされるジュリー氏は、いわば“親の仇”のような存在とみる風潮もありました。メンバーが彼女たちの名前を公に出したのは、この時がおそらくは初めてのことで、しかも“おかげ”ときた。
10周年の節目でもない7周年に西武ドームという大きな“ハコ”が用意されたのも、この挨拶で納得しましたし、その感謝の意として3万人以上のファンの前で忠誠を誓ってみせたのだと思います。グループ存続のためには、当時はこれがベストと判断したのでしょう」
控えた10周年をメンバーやファンと迎えるためにも、そして芸能界で生き残っていくためにも、ジャニーズで権力をもつであろう“ジュリー派”に“巻かれる”ことを選んだのもやむなしというわけか。
「そんな北山だからか、今度は勢力拡大しつつあるTOBEに“巻かれに行った”のではないか、と。滝沢氏が退所した同時期にジャニーズ側との話し合いを始めたとも言いますし、メンバーやファンを置いてけぼりにした決断ではないか、と。
中には“裏切られた”と捉えるファンも少なくはないみたいで、仮に『TOBE』合流が現実になれば、そんな“風見鶏”のような態度をとる彼に愛想を尽かしての“担降り”も増えてくる可能性もありそう」(前出・芸能ライター)
タッキーと交わしていた「約束」
人気絶頂期にある元キンプリの平野や神宮寺、また若手の『IMP.』ならともなく、9月で38歳を迎える北山が新規ファンを開拓することはお世辞にも簡単とは言えないだろう。現在のファンを大切にする方が現実的に思えるが……、
「それでもタッキーとの“約束”を果たしたかったのでしょう」とは、スポーツ紙・ジャニーズ担当記者の弁。
I女史や中居正広、そしてジュリー社長に“巻かれる”以前に、誰よりも先に北山に目をかけていたのが滝沢氏なのだとか。同氏がジャニーさんの後継者になるべく、タレント活動を引退した2018年、12月に放送されたニッポン放送『タッキーの滝沢電波城』最後のゲストとして呼ばれたのも北山だった。
「2人の交友は、タッキーが最年少で座長を務めた2004年のミュージカル『DREAM BOY』にまで遡り、高校卒業したばかりの北山を舎弟のようにかわいがり、以降はプライベートでも交友を深めてきた“兄弟”のような仲。
ラジオ番組でも、“もし何かあったら、何でも言ってきてください。すぐに飛んでいきます”とタッキーへの手向の言葉を述べていた北山だけに、TOBE合流はその約束を果たす時が来たということなのでしょう」(前出・ジャニーズ担当記者)
もとより“タッキー派”だったようで。