二三子さんの遺影を持つ承子さま(左)守谷絢子さんとご長男の姿も(7月28日)

 7月27日、東京・品川区にある桐ヶ谷斎場で、高円宮妃久子さまの母・鳥取二三子さんの通夜が執り行われた。

高円宮妃久子さまの母・鳥取二三子さんの通夜で

「久子さまのほか、二三子さんの孫にあたる承子さま、千家典子さん、守谷絢子さんがご参列。三笠宮家の彬子さまや瑶子さまも出席されました。雅子さまのご両親である小和田恆さんと優美子さん夫妻や、旧宮家の方々からのお花も供えられていましたね」(皇室担当記者、以下同)

 7月18日、老衰のため96歳で亡くなった二三子さん。

「外交官の父を持ち、幼いころからフランスで暮らしていました。'53年に商社勤務だった鳥取滋治郎さんと結婚し、翌年に久子さまがご誕生。ニューヨークやパリなど海外生活も長かったといいます」

『フランス語婦人会』の会長を務めるなど、日仏の交流に尽力し、'13年にはフランス政府から勲章が授与された。

「夫の滋治郎さんが'14年に亡くなってから、二三子さんはひとり暮らしとなりました。ご高齢のおばあさまをとりわけ気にかけていたのが、久子さまの三女である絢子さんです。幼いころから“おばあちゃんっ子”でしたからね」(高円宮家関係者、以下同)

 守谷慧さんと'18年に結婚した絢子さん。翌年授かった第1子とともに、ご家族で都内にある二三子さん邸へ引っ越したのはコロナ禍真っ只中のころだという。

「当時、二三子さんはすでに施設に入居していましたが、ご自宅にはたくさんの荷物がありました。二三子さんの思い出の場所を守るべく、ご一家での転居を決断した絢子さんは、立派な“おばあさま孝行”を成し遂げたわけです」

絢子さんが献身的にサポート

母の二三子さんの遺骨をしっかりと抱え、桐ヶ谷斎場を後にされた高円宮妃久子さま(7月28日)

 晩年は、二三子さんの施設からの通院に絢子さんが付き添うなど、献身的にサポート。

「二三子さんは、入居していた施設で承子さまと守谷さん夫妻に看取られ、眠るように旅立たれたとか。大阪ご訪問中だった久子さまも急いで帰京されましたが、残念ながら最期の瞬間に間に合いませんでした……」(宮内庁関係者)

久子さまの次女で、二三子さんの孫にあたる千家典子さんが喪主を務め、神式で行われた

 27日の通夜と28日の葬儀の喪主は、次女の千家典子さんが務めた。

「お孫さんたちに囲まれた最期は、さぞ幸せだったことと存じます。心残りがあるとすれば、承子さまの花嫁姿を見られなかったことでしょうか」

 そう話すのは、先の高円宮家関係者。

 今年3月に37歳になられた承子さまは、同年代でメガバンク勤務の男性と結婚間近だと繰り返し報じられてきた。

 高円宮家は、次女の典子さんが'14年、三女の絢子さんは'18年に結婚している。

「承子さまも結婚願望はおありのようですが、今はまだ“長女として高円宮家を守る”という使命感が強いのかもしれません。とはいえ、典子さんや絢子さんのように、大好きなおばあさまに花嫁姿を見せたいという思いはあったでしょうし、二三子さんとしても“その日”を楽しみにしていたと思います」(同・高円宮家関係者)

 いずれ承子さまに訪れるハレの日を、二三子さんは天国から見守ってくれるだろう。

 

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