「今年6月、性的少数者への理解を求めるLGBT理解増進法が成立・施行されましたが、そういえば“あの女”は、今どうしているのか気になったんです。数年前に殺人で逮捕されたのですが、拘置所でホルモン剤を処方してもらえず、裁判でまともに話もできない状態だったのが印象的で」
“美しすぎる殺人者”とSNSで話題に
全国紙社会部記者がそう話す“あの女”とは、菊池あずは受刑者(37)のこと。
「菊池受刑者は、2015年2月に元交際相手の男性(当時48)から“愛情がなくなった”と告げられたことで逆上し、男性の首や胸を刃物で複数回にわたって刺したうえ、金属バットで頭部を殴り殺害した事件を起こしています。もともとは男として生まれた菊池受刑者でしたが、20歳のときに性別適合手術を受け、戸籍を女性に変更して名前も変えました」(同・社会部記者、以下同)
当時、菊池受刑者は銀座の高級クラブでホステスとして働いていた。元男性には見えないその美貌から“美しすぎる殺人者”などとSNSを中心に注目を集めた。
「事件の刑事裁判では顔がパンパンに腫れ、手が小刻みに痙攣する場面も。発言をするたびによだれが垂れ落ち、ポカンと口を開けて、焦点の合わない目で宙を仰いでいた。発言も聞き取りづらく、まともに話せる状態ではありませんでした。拘置所では自傷行為をすることもあったようです」
とはいえ、そのまま裁判は進行し、2015年12月に懲役16年の判決が下され、刑が確定。菊池受刑者は刑務所に収監された。
だが、それから半年後の2016年6月、菊池受刑者は獄中から国を相手取り、1000万円の損害賠償を求める民事裁判を東京地裁に起こすのだ。司法担当記者が解説する。
「菊池受刑者は、2004年に心と身体の性が一致しない性同一性障害と医師に診断され、逮捕されるまで10年以上にわたって朝夕に各3錠ずつホルモン剤を服用していました。逮捕後、警察署の留置場ではホルモン剤を処方してもらえたが、その後に入った東京拘置所や刑務所では、処方してもらなかった。これにより、精神的に不安定になり苦痛を受けたと訴えたのです」
裁判記録を確認すると、菊池容疑者は刑が確定し、刑務所に収監されてからもたびたび医師に《死刑にならないですか》、《死刑にならないって100%保証してください》などと話していたことが記録されている。ときには刑務所の職員が止めても大声で叫び続けたり、独房内を水浸しにしたことも。
「体内の女性ホルモンが欠乏することで、更年期障害のような症状を引き起こすようです。精神的に不安定になったり、骨粗しょう症といった身体症状が出る可能性も。刑事裁判では、精神鑑定をした鑑定医が“菊池受刑者は女性ホルモン欠乏症の状態にあるため、女性ホルモンの投与が必要である”と証言していました」(同・司法担当記者、以下同)
違法ではないと請求を棄却
菊池受刑者は、刑事収容施設法56条で《社会一般の医療の水準に照らし適切な医療上の措置を講ずるものとする》と定められており、精巣も卵巣もなく体内のホルモンが欠乏した状態であるため治療が必要な状態だと主張。
これに対して国側は、拘禁当初の精神的に不安定な状態から回復しており、ホルモン剤を服用していなかったことが原因ではない。ホルモン剤の処方を望むのは、女性としての外見を保つ美容目的だと反論していた。
そして、2019年4月に言い渡された判決は、菊池受刑者の訴えを退けるものだった。
「判決では、菊池受刑者が精神的に不安定な状態に陥ったのは、拘置所や刑務所に拘禁されたことによるストレスが原因とされました。2016年9月以降、菊池受刑者の精神状態は“今はとても安定している”と話せるまでに回復し、骨密度の測定をしても問題はなく、身体的な症状もでていなかった。
そのため、直ちに身体・精神に重大な影響を与えるとは認められず、ホルモン治療を行う特段の必要はなかったと判断した。そのため、刑事施設がホルモン剤を処方しなかったことは違法ではないと請求を棄却したのです」
治療費は国費によって賄われており、希望するすべての治療が提供されるわけではないことも裁判で指摘された。
菊池受刑者は1審判決を不服として控訴をしたが、手続きに必要な手数料を納付しなかったため、控訴は却下。2019年11月に判決は確定した。
あれから4年――。LGBT法が施行され、性的少数者をめぐる環境は劇的に変化しつつある。
菊池受刑者の裁判でも証言台に立った、産婦人科医で岡山大学医学部保健学科の中塚幹也教授に当時の判決について話を聞いた。
「菊池受刑者に出た身体的・精神的な症状が、拘禁されたことによる影響だとする判決は、医学的な見地からすると間違ったものだと考えています。菊池さんは精巣も手術で摘出していますし、当然、卵巣もない。
さらに長年飲んでいたホルモン剤の服用も突然やめたわけですから、体内にまったくホルモンがない状態であるため、ほぼ確実に更年期症状がでる。これは産婦人科医なら常識です。さらに彼女に現れていた症状のほとんどが、ホルモン欠乏による更年期症状だと説明がつきます」
裁判では精巣や卵巣以外からもホルモンは分泌されるとの指摘もあったが?
「脂肪細胞などから多少は女性ホルモンが分泌されますが、それではまったく足りない。だからこそ、更年期の女性が非常に苦しんでいるわけです」
しかし、菊池受刑者の精神的に不安定な状態が、次第に回復していったとされる。
健康状態は少しずつ悪化していると考えられる
「女性ホルモンが大幅に減少し、最初は非常につらい症状がでるのですが、少しずつ慣れて楽になる。それより問題なのは、骨密度が低下する骨粗しょう症や動脈硬化が進行すること。つまり、体内の老化がどんどん進んでいくのです」(同・中塚教授、以下同)
では、現在の菊池受刑者はどのような状態なのか?
「検査しなければわかりませんが、健康状態は少しずつ悪化していると考えられます。動脈硬化による心筋梗塞や脳梗塞というリスクは確実に上昇しますし、骨粗しょう症が進行して骨がスカスカになれば、元の状態に戻すことはかなり難しい。
今は若いので簡単に骨が折れることはないでしょうけど、60代や70代になったときに、症状が出る。例えば大腿骨が折れれば寝たきりになるし、背骨が折れれば、最悪の場合は足が麻痺してしまうこともある。なので、治療が必要な状態であるわけですから、そういった健康被害が出ないようにすることが大切だと考えます」
菊池受刑者は刑務所で、男性芸能人に似ていると言われてカッとなり、
「ばばあ、ブス。死ね」
などと暴言を吐いて懲罰房に入ったことも。その一方、
「先生、いま私って女の子にしか見えないですか?」
と医師に尋ね、肯定されるとニコニコとした表情を見せていた。きっと今も、自分の容姿が女性のままか、気にし続けているはずだ。病魔に身体を蝕まれながらも……。
受刑者といえども人権がある。多様性が叫ばれる今だからこそ、治療が本当に不要だったのか、適切に判断されることを求めたい――。