横浜のバーで歌っていたころのシンシア。娘のクリスタルには歌を教えたことはないというが、気づけばその遺伝子を継いでいたよう

 在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。米海軍横須賀基地勤務の男性と結婚し、29歳で別居。30歳でメジャーデビューし、期待の新人として注目された。

過分の給与も生活に困窮

「メジャーデビューしていちばん変わったのは、店で歌えなくなったことでした。店で歌うとひと晩1万5000円から2万円がその場で支払われ、月に20日歌うとだいたい40万円近くになりました。けれどそれがなくなってしまった。そのぶん事務所から新人とは思えないほど過分に月々の給与をいただいてはいました。

 でもそれだけでは母子の生活が賄えなかった。デビューしてしばらくすると、生活に困窮するようになっていきました。

 原因は私の金銭感覚にありました。娘を連れて家を出て、最初に借りたのが家賃20万円のマンション。母子2人で暮らすには贅沢な住まいだけれど、当時の私は十分払っていけると思っていた。

 根岸住宅地区(横浜にある米軍住宅)は家賃のほか電気・ガス・水道代も不要で、食料品や日用品も市価よりぐっと安く売られていました。それが私の中でいつしか当たり前になっていたようです。

 給料日まで1週間あるのに財布に1000円しかない、ということもありました。日々の生活費にすら事欠くというのに、20万円の家賃が払えるわけがありません。友人に『家賃は給料の3分の1以下にするものだ』と諭され、引っ越しを決めました。新居は古い日本家屋で、家賃は10万円。家賃優先で選んだ家でしたが、今度は蜘蛛やムカデと害虫に悩まされることになりました」

デビュー後3年たったがヒット曲も生まれない

 不倫相手との関係は泥沼化していた。彼の存在もシンシアの生活を追い詰める大きな要因となっていた。

「サトシはお金にルーズな人でした。『急にお金が必要になった。でも今手元になくて。明日になれば用立てられるから』などと言っては、あの手この手で私からお金を引き出していきました。

 別れようと努力もしたけど、そのたび下手に出ては甘えてきて、プレゼントを贈っては優しさを見せる。すべてはまやかしではあるけれど、私もついほだされてしまう。

 彼と付き合い始めてから、次第にお酒を覚えるようになっていきました。どうにもならない関係に心身共に疲れ果ててしまった。それもどこかでシンガーとしての活動に影を落としていたと思います」

 期待の新人としてメジャーデビューしたものの、芽が出る気配はない。事務所との亀裂は修復できないところまで進んでいく。

「気づけばデビューから3年がたっていました。私らしくない事務所の売り出し方への不満も募り、社長に退所を申し出ました。社長は激怒したけれど、レコード会社が間に入って、なんとか退所にこぎつけました。

 デビュー曲ですぐバンと売れる歌手はまれで、活動を続けていくうちにいい曲と巡り合い、そこでようやくヒットする。事務所もそれを期待していたはずです。『NHK紅白歌合戦』の予選会に出場したり、歌番組にかけ合ったりと、いろいろ手を尽くしてもくれました。だけどなかなか波に乗り切れなかった。

 当時歌番組に出演したときの動画がYouTubeに残っています。今改めて見ると、粘り強く続けていればやがてヒットも生まれていたのではないかという気がします。でもたぶんタイミングがズレていた。最初にデビュー話が持ち上がった22歳がきっとそのときでした」(次回に続く)

 

7月に母と客船クルーズで旅をして、その途中で沖縄に。6時間ほどしか滞在しませんでしたが、海に入ったり、ソーキそばを食べたり楽しみました

 

7月中旬、母と2人でクルーズ船に乗り旅行へ出かけました。沖縄、台湾などを周遊し、夏らしくリラックスした旅ができました

 

7月8日、クリスタルはLAで開催されたドジャースvsエンゼルス戦で国歌独唱を務めた(c)Los Angeles Dodgers

 

横浜のバーで歌っていたころのシンシア。娘のクリスタルには歌を教えたことはないというが、気づけばその遺伝子を継いでいたよう

 

幼少のころから才能を感じさせていた娘のクリスタル・ケイ。家には楽器などもあり音楽には慣れ親しんでいた

 

ニュージャージーで結婚式に参列したときの写真。娘のクリスタルはいつも男の子っぽい服装を好んだけど、珍しく女の子らしい服

 

アメリカのドラマに登場しそうな広い芝生の庭に大きな家。写真に写っているのは娘のクリスタル・ケイと、愛犬のデューク

 

クリスタル・ケイが1歳のときに引っ越してきたという住宅地区は、根岸にあるアメリカ海軍の専用地

 

20歳ごろのシンシア。トニーがドライブデートの際に撮った写真。ファーに白のパンツやブーツという格好が懐かしく時代を物語る

 

横浜で歌っていたころのシンシア。『マジック』や『BarBarBar』などは業界関係者がよく出入りして、デビューの足がかりの場になっていた

 

ついに待望の女児を出産。3980gで「とにかく大きな子だった」というシンシア。健康に生まれてきてくれたことにホッとする

 

20歳くらいにフィルと付き合っていたころのシンシア。横須賀にあったバーガーショップ『アンディーズバーガー』で働いていた