58歳で末期がんと診断され、その後肝臓転移を3度、心不全にもなった。“病気をやっつけようとか、どうにかして長生きしようというより自分の好きなように余生を生きていこう”と過ごしてきたという。「当時のすい臓がんの5年生存率は7%。東大に受かるより難しいのに生き残ったんだからたいしたものだよね」と笑う。がん患者らしくないといわれるこの底抜けの明るさはどこからくるのか。そしていまだ衰えない好奇心の源とは?
突然、余命は半年と告げられた
「体調がすごく悪かったわけでもないのに、ある日突然、余命は半年と告げられました。それから13年がたちましたが、おかげさまで今日も生きています」
そう話すのは落語家の入船亭扇海さん。すい臓がんが見つかったのは2010年、58歳のときだった。
「その1年くらい前から、両足のふくらはぎに重くしびれるような違和感があったんです。毎月、血圧を診てもらっているかかりつけのお医者さんに相談したところ、座骨神経痛だと言われましてね」
その後は頻尿が気になるようになったという。
「再度診てもらったところ、前立腺肥大とのことでした。ただ、周囲のすすめもあり、大学病院に行ったら、すい臓がんが見つかったんですよ」
病名を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。
「これまで大きな病気もなく生きてきて、特に身体の不調もなく、それがいきなり“がんです、ステージ4です”なんて言われても、まったく現実味がないんですよね。自分のことではないような感覚で。
今のようにスマホで何でも手軽に調べられるような時代ではなかったので、すい臓がんという病気のこともよくわからなかったんです。先生は丁寧に説明してくださったのですが、素人にはきちんと理解することは難しかった。
だから、これはもうお任せするしかないなぁと思い、『よろしくお願いします』とだけお伝えしました。もうそれで精いっぱい(笑)」
扇海さんはすぐに入院し、大手術を受けた。
「私は、眠っている間の出来事だったわけですが(笑)、後から手術が12時間もかかったんだと妻に聞いて、びっくりしましたよ。
すい臓の大部分と、転移していたリンパ節、十二指腸、胆のうなどを切除し、先生はインスリン注射を受けなくても済むようにと、すい臓を少し残してくれたそうです。まったく自覚はなかったのですが、すい臓がんをきっかけに糖尿病であることもわかったんですよ」
扇海さんにとって幸いなことに、後に主治医は肝胆膵外科のトップクラスの高度技能専門医であったことを知った。
幸いにも手術が可能だった
「私のすい臓がんはスティーブ・ジョブズと同じで、手術をしなければ余命半年と言われました。ジョブズさんは手術をしなかったようですが、幸いにも私のすい臓がんは手術が可能で、しかもとびきり腕のいい先生に執刀してもらうことができました。
術後は、帯状疱疹やら、すい炎やら、合併症がつらかったのですが、副作用はさほど大きく出ず、食事もとれていたので3週間ほどで退院することができました」
ラッキーなことが重なる一方、心残りも。
「私の両親は90歳近くまで長生きしましたし、私自身もそのつもりでしたしね。57歳のときに生命保険が契約切れになったので、更新しませんでした。その直後にがんが見つかり、いつも明るい奥さんがそのときばかりは悔し涙を流しました。私の病気の告知のときは泣かなかった気がするんですけどね(笑)」
退院後、扇海さんは都内から千葉県勝浦市へ移住した。
「勝浦には父親の実家があり、子どものころは夏休みのほとんどを勝浦で過ごしていました。すい臓がんを患ってから、子どものころをすごく思い出すんですね。だから、思い出がある環境のいい土地で、野菜でも作りながら、四季を感じてあの世に行こうかな〜、なんて(笑)。
それで移住したんです。ナスとかじゃがいもとかカリフラワーとか、季節の野菜をいろいろ作って食べていましたよ。採れたての野菜は味が濃くておいしくて感激しましたね」
しかし、野菜作りは4年ほどで断念してしまった。
「畑仕事中に、なんだか具合が悪くなってね。それから定期検診で肝臓への転移が見つかって、手術前の検査で心不全を患っていることがわかったんですよ。冠動脈にステントを入れる手術をしてから、肝臓の4分の1を切除する手術を受けました。その後は心臓に負担をかけないよう、野菜作りは諦めました」
野菜作りに代わるかのように、扇海さんは落語会を主催しはじめた。
「勝浦のお年寄りから、『落語を聞きに行きたいけれど、東京まではちょっと……』という話を聞いたことがあったんです。ちょうど勝浦に大きなホールができたこともあって、私が主催者となって東京から林家木久扇師匠、木久蔵親子をお招きして1回目の落語会を開きました。
客席はほぼ満員で花火のような笑いが沸き起こりましてね。みなさんに喜んでいただけて私もうれしくなっちゃって。その後も年に4~5回のペースで開催して。コロナ禍でもやってましたよ。コロナに負けるなってね!(笑)今年で39回目を迎えます」
精力的に落語会の開催を続ける一方で、2度にわたる肝臓への転移が見つかっている。
「再転移が見つかったときは手術で肝臓の一部を切除しました。もう、私のお腹は傷だらけです(笑)。去年の夏には再々転移が見つかったのですが、最初のすい臓がんから診ていただいている先生に『これ以上手術はできない』と言われちゃいましてね」
紹介状を持って国立がん研究センターを受診。
「とうとう国立がんセンターかと。そこで、放射線治療を受けることになりました。コロナ禍でキャンセルが出たところにうまく予約を入れてもらえましたし、高額だった治療薬は保険適用になったばかりのタイミングでね! ね? 私は本当に、運がいいんですよ(笑)」
がんを経験したことで新たな自分に出会う
がんという病気を経験したことで、扇海さんは新たな自分に出会うことができた。
「以前の私は高座に上がって落語を噺す、ごく一般的な落語家で、自分で落語会を主催することなんて考えもしなかったように思いますね。
でも今は、落語会でお年寄りの方に喜んでもらうような社会貢献をすることが使命なのかもしれないと思うようになりました。東京以外でも落語会や演芸会が開催できるよう、ツテをたどって全国各地に打診しているところなんです」
落語をはじめ、自身が楽しいと思えることが心身の健康につながっている。
「19歳のころから3年ほどフルバンドでベースを弾いていたのですが、最近、また音楽をやりたくなりまして。芸人仲間とロックバンドを組み、つい最近も新宿のライブハウスでライブをしたんです。平均年齢70歳以上のバンドで、途中に余興も挟んだりして、楽しかったですねぇ」
ちなみに2022年には生前葬を行っているのだそう。
「元気なうちに、お世話になった人たちに感謝の気持ちを伝えたかったんです。冗談で『まだ生きてるの?』と言われることもあるものですから。もう一度、生前葬をやったほうがいいのかなぁと考えているところです(笑)」
取材・文/熊谷あづさ
1952年、東京都生まれ。24歳で9代目入船亭扇橋に入門し、2年後に前座(扇たく)、’81年に二ツ目に昇進して扇海を名乗り、’93年、41歳で真打ちに昇進。病気を機に千葉県勝浦市に移住し、勝浦らくご館を設立。がんの治療をしながら、落語会を開催し続けている