先天性四肢欠損症という、稀有な障がいで生まれてきた乙武洋匡さん。アクティビストとして常に世間に話題を提議してきた。さまざまな山や谷を電動車いすで乗り越えた彼は今、何を思うのか―。
SNSで障がい者に対するネガティブな視線が可視化された
「障がいは不便である。しかし、不幸ではない」
このヘレン・ケラーの言葉を証明するように、五体が満足であろうと不満足であろうと、幸せな人生を送るのには関係ない─そう世に問いかけた『五体不満足』(講談社)は、600万部という日本の出版史上に残るベストセラーを記録した。
「多様性」「ダイバーシティ」といった言葉が叫ばれるようになって久しいが、驚くことに、本が出版された'98年の時点で、乙武さんは「多様性」という言葉を用い、日本社会におけるマイノリティーへの視線に、疑問を投げかけている。
25年の月日がたち、ここ日本でもパラリンピックが開催されるなど、障がいに対する理解は深まったように感じる。だが、新しい障がい者像を発信し、一躍オピニオンリーダーとなった当事者はどう感じているのか─。
「障がい者への理解や寛容さは深まったと感じますか?」、そう乙武さんに質すと、鋭いまなざしで、「この25年で、プラスの面とマイナスの面、両方を感じています」と答える。
「物理的なバリアフリーという意味では、本当に大きく進歩したと感じています。主要な駅にはエレベーターが設置され、都営バスも車いすに対応する車両がとても増えました。
一方で、SNSが普及したことで、障がい者に対するネガティブな視線が可視化され、直接、障がい者の目に触れてしまうといったことはマイナス面ではないかと思っています」(乙武さん、以下同)
便利になることは必ずしも理解を育むとは限らない。心のバリアフリーに関しては、
「25年前とあまり変わっていないと思う」と、乙武さんは冷静に語る。
「'17年に、私はロンドンに3か月ほど滞在しました。先進的な国なので、バリアフリーも進んでいると思っていたのですが、東京のほうが進んでいた。ところが、ロンドンの街中で驚くほど車いすの人と遭遇する。
東京はどうかというと、1日に車いすの人を1人見かけるか見かけないか。どうして不便なロンドンのほうがよく見かけるのか? 困っていると、自然に人が近寄り助けるんですね。まだまだ日本には、心のバリアが存在すると実感しました」
その一因を、乙武さんは「教育にあるのではないか」と分析する。
障がい者の代表を担わされ続けていることは不健全
「先進国では、障がいの有無にかかわらずすべての子どもが共に学び合うインクルーシブ教育が一般的です。しかし、日本は特別支援教育を充実させる分離教育に舵を切ってしまったので、障がいのある子どもとない子どもが分かれた環境下で教育を受けることになる。
もちろん、特別支援教育には優れた点もあるのですが、分離教育を行うことで障がい者に対する“慣れ”が生まれないことも事実です」
養護学校や特別支援学級ではなく、普通教育を受けて育った乙武さんは、『五体不満足』の中で、自分とごく自然に接する友人たちの姿を描いている。
「目の前で歩いている人が財布を落としたら、声をかけたり、拾ったりすると思います。『声をかけて迷惑がられたらどうしよう?』なんて思いませんよね?(笑)
同様に、心のバリアフリーが進んでいる国は、それくらいの感覚で車いすの人を助けている。接している量が圧倒的に違う。あれから25年たっても、日本は障がい者に慣れないままなんですよね」
こうした現状を変えるべく、2021年の参院選に、乙武さんは「ダイバーシティの実現」という理念を掲げ、東京都選挙区から無所属で立候補した。だが、結果は9位。落選した。
「32万票を超える票を獲得したことはありがたいことでした。しかし、この票数が今の東京のダイバーシティの現在地だと思っています。箸にも棒にもかからないテーマではないけれど、かといって当選圏内のテーマにもなりきれない。粘り強く理解を求めていくしかない」
一つ聞いてみたいことがあった。『五体不満足』が大きなインパクトを与えたことで、乙武さんは障がい者を代表する存在になった。だが、25年がたとうとしているにもかかわらず、障がい者の代表=乙武洋匡であり続け、彼を超える存在は出てこない。
「その状況をどうとらえているのか?」と尋ねると、「実は私自身、代表的な存在を担わされ続けていることに対して本当に不健全だなと思っているんです」、そう苦笑いを浮かべる。
「ご存じのとおり、私は7年前のスキャンダル報道で一度は社会的な死を迎えました。私の枠が空いたわけですから、私にかわるプレーヤーが出てくることが望ましいと思っていました。『乙武はもうすっこんでろ』、そんな若手が出てこないかなって」
しかし、そうはならなかった。それどころか、相模原障害者施設殺傷事件が発生したことで、マスコミは自粛中の乙武さんにコメントを求めるほどだった。
「仲の良いテレビマンから、『乙武さんはキャリアがある。司会者のいじりに対しても、逆に面白おかしく返してくれるのではないかという安心感が、視聴者に生まれている』と指摘され、ハッとしました」
日本人は障がい者に“慣れ”がない。半面、乙武洋匡に対しては“慣れ”がある。皮肉といえば皮肉だが、「だからこそ、自分にしかできないことがあるのだと思い、もう一度、のこのこと出てきたところがあります」と語る。
本を出したことも当初は後悔したくらい
乙武さんはロボット技術を用いた義足プロジェクトに挑戦し、その内容は著書『四肢奮迅』(講談社)に詳しくまとめられている。2022年は、117メートルの歩行に成功した。
「私自身、なんでこんなに身体を張っているんだろうと思っているのですが、やはり私がやるからこそインパクトも生まれるし、メディアも取り上げる。私にとっての仕事の判断基準って、先述したように私にしかできないことか否か。求められているのなら、その期待に応えたい」
とはいえ、25年である。社会の木鐸の役割を担い続けることに疲れないのか?
「もう疲れ切っています、ハハハ。そもそも、本を出したことだって、当初は後悔したくらいですから(笑)。聖人君子として扱われることに窮屈さを感じており、わざと露悪的な態度を取ることで、世間が抱く“乙武クン像”を否定したい時期もあった」
本当は若手に席を譲って、「毎日ワインを飲んで、ゆっくりしたい自分もいる」と打ち明ける。一方で、スキャンダルによって40代を棒に振ったという思いもあるという。
「私としては、40代って人生でもっとも脂が乗っていて、働き盛りの年代だと思っていました。しかし、思うような働き方ができなかったという意味では……まだ残り3年ありますが、不完全燃焼なんです。だから、まだ人前に出ていたい気持ちもあります。そうした思いと、そろそろ他の人に任せてもという思いがせめぎ合っています」
時折、乾いた笑いが響く。だが、乙武洋匡によって、障がい者のイメージは間違いなく変わった。ツイッターにおけるユーモアたっぷりのつぶやき、あるいは冗談にならないようなハロウィンの仮装─。
彼の言動は、「障がい者は」と主語を大きくしがちな社会に対して、人それぞれ、つまり個人のアイデンティティーを尊重すべきだと教えてくれる。
「アイデンティティーは進化するものだと感じています。私は、ずっと孤独だった。障がい者として、マイノリティー属性として、私のような立ち位置で活動してきた先人が国内では見当たらなかった。
そのため、自分をどうプロデュースして、どういった判断をすればいいのか、参考にすべき事例もなければ、相談できる相手もいませんでした。自信がなかったわけではないのですが、やはり不安で孤独でした」
だが、今は違うと話す。
個性豊かなプレーヤーが増加
「25年前は、私しかいなかった。ですが、今は車いすギャルのさしみちゃんをはじめ……まだ会ったことがないので会ってみたいのですが(笑)、個性豊かなプレーヤーが多い。
自分のライフスタイルを発信する子もいれば、トラベラーとして世界中を旅している人など面白い若手がたくさんいる。自分たちの個性を、YouTubeなどで積極的に発信している姿を見るといいなぁって」
ずっと相談できる相手がいなかった乙武さんは、いつしか相談される存在になった。
「47歳にもなって使う言葉ではないですが、兄貴分的な感じで慕ってくれて、いろいろと相談してくれるんです。彼らの相談に耳を傾け、何かしら役に立てていると思えると、苦労してきてよかったなって報われるんですね。
今、若い子たちの糧になっているならあのときの経験も悪くなかったなって、ようやくここ数年で思えるようになりました。50年後、同じ境遇の人たちから、『なんか乙武っておっさんがいたから、自分たちはちょっと生きやすい社会になったらしい』、そう思われるようにもう少し頑張りたい」
手足はないが、その背中はとてつもなく大きい。電動車いすが通った25年間の轍は今、多くの若い世代の道しるべとなっている。
取材・文/我妻弘崇
おとたけ・ひろただ 1976年東京都生まれ。早稲田大学在学中に出版した『五体不満足』(講談社)が600万部のベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、小学校教諭などを歴任。現在は、執筆、講演活動のほか、インターネットテレビ「ABEMA」の報道番組『ABEMA Prime』の水曜MCとしても活躍中。