横浜で歌っていたころのシンシア。『マジック』や『BarBarBar』などは業界関係者がよく出入りして、デビューの足がかりの場になっていた

 在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。米海軍の横須賀基地勤務の男性と結婚し、29歳で別居。30歳でデビューするも、次第に歌への意欲を失っていく。

「仕事場に行くときはいつもクリスタルと一緒でした。

ガキなんて連れてくるな!』と怒鳴られたことも何度もあります。歌に囲まれて育ち、娘もいつしか歌を歌うようになっていた。それはごく自然の成り行きだったのでしょう。けれど実のところ、娘の本当の夢はシンガーではなかったようです。

 娘が5歳のとき『将来何になりたい?』と聞いたら、「女優さん!』と言っていました。

 けれどミックスの娘は日本では役が限られてしまうはず。『女優さんになりたいなら、アメリカに行かなきゃいけないよ?』と話すと、娘は『いやだ! アメリカ怖い!』と言い、それ以来『女優さんになる』という夢を口にしませんでした。

 今改めてその夢を追いかけているのかもしれません」

 クリスタルの転機は11歳のとき。菅野美穂が出演した『ビタミンウォーター』のコマーシャルソングを歌い、一躍注目を集めた。

娘がデビューするも朝までバーで飲む自堕落な日々

「テレビでCMが流れると、たちまち“あれ誰が歌っているの?”と問い合わせが殺到するようになりました。

 レコード会社5社からスカウトの声がかかり、最終的にソニーミュージックと契約しています。11歳のときCMソングを歌い、12歳でデビューの準備を始め、デビューは13歳の7月に決まりました。デビュー曲は『Eternal Memories』。もともと30秒だった『ビタミンウォーター』のコマーシャルソングをアレンジし、一曲に仕上げたものでした」

クリスタルのお披露目は新宿のパーク ハイアット 東京が会場で、音楽業界の人間やマスコミなど大勢の関係者が集まりました。娘は幼いころから人前で歌うのが大好きで、このときも楽しく歌っていたようです。

 ただ学校との両立は大変でした。レコーディングにプロモーション、コンサートもある。学校が終わると仕事にかけつけ、夜中に家へ帰ると宿題をして─と、寝る間もほとんどありません。

 娘は誰に似たのか、まじめでお勉強もできる優等生でした。私が『一日くらい休んでもいいよ?』と言っても、『絶対嫌!』と言って、休まず学校に通っていた。わが娘ながら、あれは見上げたものだなと思います」

 小学校は根岸住宅地区内の学校へ、中学に上がると横浜の自宅から横須賀にあるアメリカンスクールに通っている。

「スクールバスが迎えに来るのは朝6時。当時私は男のせいでお酒を覚えて、朝までバーで飲み続けるという自堕落な日々を過ごしていました。

 ベロベロに酔って店でつぶれ、はっと気づけばバスが来る時間が迫っている。大急ぎで家に帰り、『クリ、行くぞ!』と娘と手をつないでバス停まで走る、なんてこともしょっちゅうです。

 バス停に着くと黄色いスクールバスが目の前を走り去った後で、娘と一緒に猛ダッシュでバスの前に回り込み、強引に乗り込んだことも一度や二度ではありません。それはひとつの武勇伝になっているようです。

 後にクリスタルがテレビの企画で学校訪問をした際、バスの運転手さんに『クリちゃん、あのころよく走っていたよね!』と言われ、思わず苦笑いしました」(次回に続く)

<取材・文/小野寺悦子>

 

 

7月に母と客船クルーズで旅をして、その途中で沖縄に。6時間ほどしか滞在しませんでしたが、海に入ったり、ソーキそばを食べたり楽しみました

 

7月中旬、母と2人でクルーズ船に乗り旅行へ出かけました。沖縄、台湾などを周遊し、夏らしくリラックスした旅ができました

 

7月8日、クリスタルはLAで開催されたドジャースvsエンゼルス戦で国歌独唱を務めた(c)Los Angeles Dodgers

 

横浜のバーで歌っていたころのシンシア。娘のクリスタルには歌を教えたことはないというが、気づけばその遺伝子を継いでいたよう

 

幼少のころから才能を感じさせていた娘のクリスタル・ケイ。家には楽器などもあり音楽には慣れ親しんでいた

 

ニュージャージーで結婚式に参列したときの写真。娘のクリスタルはいつも男の子っぽい服装を好んだけど、珍しく女の子らしい服

 

アメリカのドラマに登場しそうな広い芝生の庭に大きな家。写真に写っているのは娘のクリスタル・ケイと、愛犬のデューク

 

クリスタル・ケイが1歳のときに引っ越してきたという住宅地区は、根岸にあるアメリカ海軍の専用地

 

20歳ごろのシンシア。トニーがドライブデートの際に撮った写真。ファーに白のパンツやブーツという格好が懐かしく時代を物語る

 

横浜で歌っていたころのシンシア。『マジック』や『BarBarBar』などは業界関係者がよく出入りして、デビューの足がかりの場になっていた

 

ついに待望の女児を出産。3980gで「とにかく大きな子だった」というシンシア。健康に生まれてきてくれたことにホッとする

 

20歳くらいにフィルと付き合っていたころのシンシア。横須賀にあったバーガーショップ『アンディーズバーガー』で働いていた