「ヤングケアラー」=本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っているこどものこと(※厚生労働省ホームページより)。祖父母や両親の世話、幼い兄妹の面倒を見るなど、過酷な状況に置かれた彼らに、支援はできないかと注目が集まる昨今。自身も過去に認知症の祖父の介護をしていたという俳優の風間トオルさん(61)に話を聞いた。
8月から新シリーズがスタートしたドラマ『科捜研の女』の研究員・宇佐見裕也役でもおなじみの風間トオルさん(61)。還暦を過ぎても変わらぬ王子様のような爽やかな笑顔は、人気モデル時代の輝きのまま。そんな彼、実は小学2年生のころに今でいう「ヤングケアラー」だった。
認知症の祖父、パチンコ漬けの祖母と生活していた風間トオル
当時は祖父母との3人暮らし。両親の離婚後、祖父母の家に父と身を寄せたものの、間もなく働き手だった父がどこかへ消えてしまう。祖父母の年金だけが頼りだったため、6畳1間という狭いアパートに引っ越し、貧困生活を送っていた。これに認知症の祖父の介護が加わったわけだ。
「祖父は寡黙でおとなしい人だったんですが、暴れて大声を出すようになって驚きました。学校から帰ると、祖母はパチンコでおらず、放っておかれた祖父が裸で徘徊しているんです。故郷の山梨に帰ろうとするんですよ。だいたい壁伝いに歩いているので、後を追うように壁に沿ってグルグル歩いていくと見つかります。しかも途中で“大”のほうを漏らしてしまうんです。大人の量なので片づけが大変でしたねぇ」
なんとも、壮絶な体験である。だがその様子を語る彼の表情は明るい。祖父を家に連れ帰ってからも、目は離せなかった。
「身体を洗って、夕食を作って食べさせても、祖父は隙あらば外出しようとソワソワしだします。暴れるときは段ボールで阻止するのがいつものこと。でもそこで負けるとまた徘徊です。夜10時ごろになるとパチンコ屋さんが閉まるので祖母を迎えに行って、祖父を連れ帰ったり……」
介護でつらかったのは、自宅にもあちこちに“大”を塗るのが常だったこと。冬の寒い日に畳をあげて、家じゅうをホースで水をかけて流すのは「さすがにキツかった」と遠い目をして振り返る。
「自分しかいないから、『やれる人がやるのが当然』で、誰かに助けてもらおうと思ったことはなかったです。そもそも介護をしているという意識もなく。貧乏でもひょうひょうとしていた祖父母が好きだったし、『ボケていくのはまぁこんなものなのか』と、自然に受け入れていました」
その日の食費にも事欠き、毎日お腹をすかせていたという少年時代の風間さん。
「家事もやっていましたが、料理は米と草を煮たおかゆくらいで、何品も作れるわけではありません。食材は多摩川の土手から草を調達して、自分で食べられるのか試していました」
貧困と介護のダブルパンチにもかかわらず、創意工夫しながらたくましく生きていた様子が涙ぐましい。
「介護が大変だからこそ、学校は楽しかった」
タイムスケジュールをまとめてみよう。6時に起床し、小学校に行って4~5時ごろ帰宅すると、すぐ祖父の捜索と身体をきれいにしてから夕食の介助、夜10時にはパチンコ屋から帰宅の祖母を出迎え、11時就寝。たまに夜中に徘徊する「祖父捜索パート2」が加わる。
これで小学生らしい生活ができていたのかと聞くと、意外にもちゃんと学校には毎日、通っていたという。
「家では気が抜けず、睡眠時間がとれないのが大変でしたね。給食を食べたかったので、学校は無欠席でしたよ。むしろ介護が大変だからこそ、学校は楽しかったです」
介護生活は認知症の進んだ祖父が徐々に動けなくなり、風間さんが中学生のときに枯れていくように亡くなることで終焉を迎えた。
「祖父の世話をしたことは美化されるような類いではなく、僕にとってはあくまでも生活の一部。亡くなったときは、『介護から解放されてホッとした』とも思いませんでした。そのころ住んでいた地域ではご近所さんが気にかけ、僕たち家族をさりげなく助けてくれていたのはありがたかったですね。僕が道を踏み外さなかったのは、それも大きかったと思います」
近所の人は、食べ物をコソッとくれたり、祖父が汚物をまき散らしていることも見て見ぬふりをし、ホースを貸してくれるなど、温かい目で見守ってくれた。風間さんの自尊心を大切にするために、知らぬふりをして支えてくれた。
それでも、友人には自身が置かれた家庭環境を知られたくなかったと話す。
「友達を家に連れてきたことは、もちろんありません。誰も家を知らなかったんじゃないかな。学校からの帰りも、家から離れたところで友達と別れていました」
祖父が裸で歩いているところに遭遇しても、友人には「自分の祖父だ」とは言えなかった。
「子どもながらに『恥ずかしい』という思いはありましたね。知っている人には言いづらいので、僕は学校の先生にも伝えていませんでした」
風間さんはヤングケアラーという言葉を聞いたとき、自分のような子どもがほかにもいたことには驚いたという。
多くのヤングケアラーは世間を知らない分、「この状況が普通だ」と疑問に思わない。そこに「家族のことを知られるのは恥ずかしい」「自分が家族の面倒を見るのは当たり前」という思いが重なって、子どもだけで背負い込んでしまうのだと風間さんは分析している。困っている状況そのものが表面化しにくい。
「子どもが話しにくい状況は、今の時代も変わらないと思うので、子どもたちが少しでも話しやすい環境になっていけばいいと願っています。だからもし、そのような子どもに大人が気づいたら、根気よく時間をかけて声をかけてあげてください。話せる状況をつくってあげることこそが、一番大切だと思います」
(取材・文/オフィス三銃士)