クリスタル・ケイの母であり、シンガーのシンシア

 在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。アメリカ軍人の夫と離婚し、シンガーとして母子の生活を支えてきた。娘もまた13歳でメジャーデビューし、同じ道を歩み始める。

娘クリスタル・ケイ、学校と仕事の両立

「クリスタルの仕事は順調でした。デビュー後シングルを立て続けにリリースし、アルバムの制作にも取りかかっています。ただでさえ仕事が忙しいというのに、中学生になるとバスケ部と鼓笛隊に入り、娘の日々はますます多忙を極めていきました。それでも弱音ひとつ口にせず、学校と仕事の両立を見事にクリアしています。

 勉強にしても、仕事にしても、私が娘に強いたことはありません。娘に将来こうなってほしいという欲も理想もなかった。親としては、子どもに苦労はしてほしくない、ただその思いだけでした」

 大家族が夢で、子どもは5人欲しかった。その分一人娘への愛情は深く、娘もその愛を一身に受けて育った。

「私自身、親の愛情には飢えて育ってきたので、娘にはできる限りのことをしてきたつもりです。

 お稽古事もいろいろさせていて、まず3歳のときバレエ、バイオリン、タップを始めています。けれどどれも娘は気に入らなかったようで、早々に『もう嫌!』と言い出し、一番長く続いたのはピアノ。6歳のときに始めて、5年近くお稽古に通っています」

できる限りの愛情を注ぐ韓国では当たり前の子育て

「女の子が生まれたらお嫁に行くまで、私が全部してあげようと決めていて、実際そうしてきました。例えば食事のときはスプーンにご飯とおかずをのせて口まで運んであげる。それが習慣になっていて、今もスプーンを差し出すとあーんと口を開きます。韓国では当たり前の光景だけど、日本では驚く人が多いようです。

 娘は小さいころから食べるのが大好きな子で、今も『美味しいものを食べているときが一番幸せ!』とよく言っています。

 ただ、赤ん坊のころはもうムチムチで、近所のおばさんから『食べさせすぎじゃない?』と怒られたことがあるくらい。「これはマズイ!」と思ったのは、夫の実家に初めて行ったときのこと。義母はじめ親族そろって堂々たる恰幅で、『娘もああなるのでは?』と危機感を覚えた。それからは栄養バランスに気を配り、お菓子はなるべくあげないようにしてきました。そのかいがあったのか、小学校に上がるとすっと身体が縦に伸び出して、高学年になると160㎝の私を追い越し、今では170㎝もあり、なかなかのスタイルです」

 娘がしたいことは叶え、欲しいというものは与えてきた。しかし親として娘の望みを却下したこともある。

「中学のとき、娘が『タトゥーと鼻ピアスがしたい』と言い出したことがありました。娘の通う中学はアメリカンスクールで、タトゥーもピアスも特に問題ありません。実際、娘は当時すでに耳にピアスをしていて、それはまだ彼女が赤ん坊のころ、私が宝石屋さんで開けてもらったものでした。けれどタトゥーに鼻ピアスとなるとまたイメージが違います。私は娘の訴えを退けました。

『いつか社交界にデビューすることもあるかもしれないでしょ?(笑)』と諭すと、娘も『なるほど!』と納得したようです。ただ「かわりにヘソピアスがしたい」と言います。当時はヘソ出しファッションが流行っていて、娘も憧れがあったのだと思います。私も『おヘソなら』と許しています。

 娘にはありったけの愛情を注いできました。でも私も怒るときは怒ります」(次回に続く)

 

私は30歳くらいで、歌手活動をしていました。2枚目のシングルを出したころ。娘は10歳くらいで、まだあどけなさがありますね

 

7月に母と客船クルーズで旅をして、その途中で沖縄に。6時間ほどしか滞在しませんでしたが、海に入ったり、ソーキそばを食べたり楽しみました

 

7月中旬、母と2人でクルーズ船に乗り旅行へ出かけました。沖縄、台湾などを周遊し、夏らしくリラックスした旅ができました

 

7月8日、クリスタルはLAで開催されたドジャースvsエンゼルス戦で国歌独唱を務めた(c)Los Angeles Dodgers

 

横浜のバーで歌っていたころのシンシア。娘のクリスタルには歌を教えたことはないというが、気づけばその遺伝子を継いでいたよう

 

幼少のころから才能を感じさせていた娘のクリスタル・ケイ。家には楽器などもあり音楽には慣れ親しんでいた

 

ニュージャージーで結婚式に参列したときの写真。娘のクリスタルはいつも男の子っぽい服装を好んだけど、珍しく女の子らしい服

 

アメリカのドラマに登場しそうな広い芝生の庭に大きな家。写真に写っているのは娘のクリスタル・ケイと、愛犬のデューク

 

クリスタル・ケイが1歳のときに引っ越してきたという住宅地区は、根岸にあるアメリカ海軍の専用地

 

20歳ごろのシンシア。トニーがドライブデートの際に撮った写真。ファーに白のパンツやブーツという格好が懐かしく時代を物語る

 

横浜で歌っていたころのシンシア。『マジック』や『BarBarBar』などは業界関係者がよく出入りして、デビューの足がかりの場になっていた

 

ついに待望の女児を出産。3980gで「とにかく大きな子だった」というシンシア。健康に生まれてきてくれたことにホッとする

 

20歳くらいにフィルと付き合っていたころのシンシア。横須賀にあったバーガーショップ『アンディーズバーガー』で働いていた