俳優として出演作が絶えない片岡鶴太郎が人生後半からの生き方を綴った著書を刊行した。そこで、人生の前半について聞いてみると“ひょうきん”なエピソードが飛び出した。
ずっと1人でいる理由
放送中のドラマ『警部補ダイマジン』(テレビ朝日系)や、8月25日に公開した映画『春に散る』などに出演し、俳優として出演作が絶えない片岡鶴太郎。自身のインスタグラムでは、ファッションを楽しむ様子や画家としての一面も披露し、人生を謳歌している様子がうかがえる。
そんな彼が、人生の後半を楽しむ方法を綴った著書『老いては「好き」にしたがえ!』(幻冬舎)を刊行。“前半”と“後半”では、どのような変化があったのか。
「今はずっと1人でいます。昔は仕事も忙しかったし、仲間や仕事の人間関係も多く、5~10人で食事するっていうことが常。家族もいたし、常に人に囲まれていたんですけど、今はスタッフを極力少なくして、食事も1人で作って1人で食べます。絵を描くのもヨガも仕事の現場に行くまで、ほとんど1人です」
だからといって、大人数でいることに疲れたというわけではない。
「1人で全部、完結できるというか、むしろ1人じゃないとできないことが多い。セリフを覚えるのも1人でやらないとダメだし、そのほうが仕事をしやすいというだけなんです」
現在の生活になり、お金の使い方も変わったという。
「ほとんどお金を使わなくなりました。使うとしたら、服だけですね。お金を使わないと決めているわけじゃなく、ただ単に使っていないだけ。まったく我慢もしていません。若いと、お金が出ていくことが多いじゃない。
人付き合いも多いし、後輩もできてくるし、そのときにいちばん流行ってるお店へ行って、バラエティーで話せるネタの収集もしたかったし……」
カードで支払っていたため、金額の意識もなく相当、使っていたという。
「仕事が終わると必ず、5~6人でお酒飲んでバカ話していましたからね。これ、ちゃんと経費で落とさなきゃいけないからって、領収書だけもらって(笑)」
お金はもちろん、遊び方も派手で……。
「六本木のディスコはすごかったな。深夜1~2時までテレビの収録をして、それからディスコ行って。それで朝4~5時まで遊んでいました。若かったからできたし、その時代の最先端な遊びでしたから、やっておいてよかったと思います。今やるのは絶対、無理ですけどね(笑)」
その当時、鶴太郎も出演し、爆発的な人気を誇っていたのが『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)だ。
持ちネタのマッチものまね誕生秘話
「『ひょうきん族』は、かなりの制作費がかかっていたと思うんですよ。セットだって、今のバラエティーで考えられないぐらいすごかった。ドラマのパロディーコントをやるときには、ほとんど同じセットを作っていましたね。本物に近いから、やっぱり気持ちも入ります」
この番組で誕生したのが、往年の持ちネタである、マッチこと近藤真彦のモノマネだ。
「もともと、マッチのモノマネをしたことはなかったんです。マッチがとにかく大人気で、しょっちゅう『ザ・ベストテン』で1位になるから、『ひょうきんベストテン』というパロディーの中で“鶴ちゃん、マッチやってくれ”ってむちゃ振りされて。
収録までの3、4日間で『ギンギラギンにさりげなく』を覚えてマッチをやるという“即席”だったんですよ」
そのため、当初はモノマネのクオリティーに自信はなかったそう。
「それでも、マッチのマネをしながらセットを壊したり、派手に暴れるというキャラクターがウケたんですよ。第1回の台本には“大木の下敷きになってマッチ死ぬ”って書いてありましたから。
死んだので、もう次はないと思っていたら、好評だったので“またやろう”となって、鉄板で焼かれたり……とにかく最後は死ぬ。それを10年間やりました。もはや、ゾンビですよ(笑)」
収録は、常に危険と隣り合わせ。
「いちばん危なかったのは海で流されたときですね」
命の危機すら感じるものだった。
「海の上でいかだに乗って、マッチの『ふられてBANZAI』という曲を歌っているときに、大きな波がきて。手を離して歌っていたので、私は海に落ちて、いかだだけ流されて……。とにかくすごい時化で、本当に溺れそうになったんです」
しかし、スタッフの助けはなく……。
「たまたま近くにいた漁船が助けてくれました。スタッフたちは、危ないとすら思ってなかったらしくて(笑)。“ウケるな~、鶴ちゃん”って、私が面白いことをやっていると思っていたようです。
結局、助けられたところは放送されていませんが、そのままオンエアされました。現代のコンプラでは絶対できないと思います(笑)」
マッチのモノマネでブレイクした鶴太郎だが、『ひょうきん族』の共演者たちは全員“ただ者じゃない”空気をまとっていたそう。
役者の道にシフトした理由は
「邦ちゃん(山田邦子)は、 まだ素人のときに私と同じ太田プロダクションに入ることになり、渋谷の道玄坂の喫茶店で初めて会いました。当時まだ学生だった彼女を見たときに堅気じゃないなと思いましたね。素人の中にいるべき人じゃないなって」
それが、役者の道へと本格的にシフトするきっかけにもなった。
「さんまさん、たけしさん、(島田)紳助さん、邦ちゃんは、自分のキャラで押していけるじゃないですか。 そんな彼らと共演していると、そこで自分の非力さを感じると同時に、私は“憑依”という役者的な資質が強く、自分の道はそっちだなとはっきり感じました。ですから、30代のころには役者の道に進もうと決めたわけですね」
最近では、大ブレイク中の“あの”人にも、ただ者じゃない雰囲気を感じたという。
「実際に会ったことはないですが、あのちゃんもそう。あの子も堅気じゃないよね。テレビ越しでもやっぱりわかる。まだ出始めのころに、朝の番組で初めて見て、“なかなかなもんだなあ、この子は売れるだろうな”と思いました。歌もうまいしね。あんなにすごい子を、素人の中に置いてたらとんでもないよ」
鶴太郎の鋭い感覚には、今後も注目!?