7月、タレントのryuchellさんが、東京・渋谷の事務所内で亡くなっていたことが報じられた。自死だった。
著名人の自殺報道のたびに、ニュースやワイドショーのテロップ、新聞記事で必ず紹介される『いのちの電話』のナビダイヤルやフリーダイヤル。
所在地は非公表、無報酬のボランティア
全国50か所に『いのちの電話』のセンターがあるが、その詳しい所在地は非公表。相談員は匿名で、無報酬のボランティアで活動している。
《いつも電話がつながらない》《もっと相談員を増やして》
といった声がSNSで散見されるが、現場の実態が詳しく報じられることはほとんどない。『いのちの電話』で相談員は、どんな気持ちで電話と向き合っているのか──。
新学期の始まる9月1日、子どもの自殺がいちばん多いといわれるこの日を前に、年間約1万2000件もの電話相談を受ける、神奈川県の『川崎いのちの電話』が取材に応じてくれた。
「川崎センターでは、30代から80代の相談員が約140名在籍しています。24時間体制で待機し、電話が鳴らない時間帯はほぼありません」
と、『川崎いのちの電話』事務局長の有田茂さんは話す。
そんな激務でも80代でこのセンターでいちばんのベテラン女性相談員は、
「センターまで来られるうちは、なんとか頑張って活動を続けたい」
と話しているという。全国各地の『いのちの電話』では、相談員の高齢化と人員不足が課題となっている。
「世の中にさまざまなボランティアがあふれるなか、『いのちの電話』の相談員は資格を必要としません。ただし、約2年間の研修が必須で、その数万円の研修費は自己負担です。人の命と向き合う難しい活動ですから、安易な気持ちではできないボランティアです」(有田さん、以下同)
全国の『いのちの電話』は自治体の運営ではなく、あくまでも市民活動によるボランティア。自治体からの助成金や、善意の寄付金など限られた予算の中で、相談員や電話回線を増やすことは容易ではない。
「2022年度の全国の相談件数は54万件を超えましたが、それはあくまでも電話が通じたケース。その裏で、つながらない電話が数えきれないほどあります」
川崎センターの2022年度のデータでは大体、6:4の割合で女性からの相談がやや多い。年齢層では40~50代からの相談がもっとも多く、自殺傾向が高いのは20~30代の女性と、50代、70代の男性。
また、相談件数を内容で分けると、もっとも多いのが「人生」にまつわる事柄。次に「精神」「家族」の順となる。
電話を受けた翌日祈る気持ちで朝刊を
「ひと口に『人生』といっても、職場の人間関係や、DV、さまざまなハラスメント、老いにまつわる悩みなど、多岐にわたります。相談者も匿名ですから、年齢層や背景を把握しきれないこともよくあります」
意外にも「今まさに死のうとしているところだ」など、切羽詰まった相談はそう多くはないという。
「それでも、そういったことを想像させる電話を受けたことはあります。そんなときは、今いる場所から離れてください、と諭しつつ、落ち着いたところでお話を伺うようにします。
相談員を始めたばかりのころは、相手の方が早まったことをしていないか心配でした。翌朝の朝刊を祈る気持ちで開いたこともある、とほかの相談員からはそんな話をよく聞きます」
最近では、精神疾患がある人からの電話も少なくない。
「患者さんが不安になったとき、かかりつけの精神科や心療内科に電話をしてみても、よほどの緊急事態でない限り診察時間以外はつながらないことが多いと聞きました。そんなとき“『いのちの電話』にかけてみたら”と言うドクターもいるそうです。
精神疾患といっても、いろいろな方がいらっしゃいます。患者さんにとっても大変な時代ですが、私たちも対応が難しいと感じています」
川崎センターで相談員となり、3年目を迎える原重信さん(仮名)は、有田さんと同じ70代。自身の定年を機に、相談員を志した。
「退職して年金をいただく身となり、自分も何かの形で社会の役に立ちたいと思うようになりました。そんなとき『川崎いのちの電話』の、ボランティア募集のパンフレットを目にしたんです」
そこには、雨が降るなか涙を流す人と、その人に優しく傘を差しかけるふたりの人物がイラストで描かれていた。そして、
《こころの雨宿りを求める人がいます》
《もしあなたがそっと傘を差しだす勇気を持てたなら その傘に救われる心がきっとあるはずです》
という一文が添えられていた。
「これが心に響きました。私自身は決して話し上手でもないし、プライベートで長電話なんてしたこともありません。でも、自分も誰かに傘を差しだすことができるかもしれない、チャレンジしてみようと思ったんです」(原さん、以下同)
「助言」ではなく「傾聴」すること
相談員になるには、まず公開講座に参加する必要がある。講座では活動内容などを詳しく聞き、そのうえで決意に変化がなければ研修申し込みを行う。
このとき、4000字程度の作文の提出が必須となる。その後は面接・適性テストを経て、宿泊研修や、実際に電話を使ったロールプレイング実習などに約2年を費やす。前述したように、費用は全額自己負担だ。
「相談員に認定されて3年がたちますが、今も自分の力のなさを実感して落ち込むことがあります」
原さんは、この3年間で実にさまざまな相談と向き合ってきた。上司の理不尽なパワハラに悩み、命を絶つことまで思い詰めていた男性。若いころに受けた性的虐待が深い心の傷となり、死にたいと電話をかけてきた女性。
コロナ禍では、仕事を失った非正規労働者の将来に対する不安についての相談も増えた。
原さんがもっともつらいのは、自分が相手の役に立てたのかどうかわからないときだ。
「いろんな人がいますから、時には相手の話が理解できないこともあります。うまく話ができない人や、声が小さすぎて聞き取れないような人もいます。
そんな相手に、自分は何かしてあげられたのか。自宅に帰ってからも、どうしようもなく気持ちが沈んでしまうことがあります」
相談員らが、電話相談でもっとも大切にしていることは“傾聴”だという。
「つい、“こうしてみたら”など助言したくなるときもありますが、そんなものはこちらの価値観の勝手な押しつけでしかないんです。
相手を認め、対等な立場で丁寧に話を聞いていくと、話している人も少しずつ落ち着いてきます。ひとりじゃない、話を聞いてくれる人がいるとわかってくれるんです。
“もうちょっと頑張ってみます”というひと言が聞けたときは本当にうれしいし、そのためにこちらも毎回、自分の持っている力を精いっぱい出し切っています」
2023年の1月から6月までの日本全国の自殺者は1万858人。前年同期比で330人減少。男性は7483人で39人減、女性3375人で291人減となっている(警視庁調べ)。
『日本いのちの電話』の相談員は、全国に約5800人。
「あなたはひとりではない」
顔も知らない誰かの命を守るため、今この瞬間も、全国の相談員らが無償で活動を続けている──。
「日本いのちの電話」ナビダイヤル 0570(783)556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル 0120(783)556 ※毎月10日にフリーダイヤル(無料)の電話相談を受け付け
毎月10日:午前8時~翌日午前8時
(取材・文/植木淳子)