ジャニー喜多川さん

 ジャニーズ事務所の創業者で元社長、故ジャニー喜多川氏による性加害事件について、8月29日に再犯防止特別チームによる記者会見が開かれ、調査結果と提言が発表された。

 そこでは、性加害が「事実」であると認定したうえで、長年にわたって多数の未成年者を含む所属タレントに対し、さまざまな性加害を行ったことは、著しい人権侵害であると断罪された。

性嗜好異常とは

 私が注目したのは、一連の事件の原因として、ジャニー氏の「性嗜好異常」があったと指摘されたことである。これは、現在の医学用語では「パラフィリア症」と呼ばれる疾患で、非定型的で強烈な性的衝動や行動が反復されるものであり、世界保健機関(WHO)による国際疾病分類(ICD-11)では、以下のように定義されている。

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・非定型的な性的興奮のパターンが、持続的かつ強烈であることを特徴とし、これは性的な思考、空想、衝動または行動から明らかである。

・興奮のパターンは、年齢もしくは立場・状況から問題となる行為への同意を拒む、またはできない相手(たとえば、思春期前の小児、窓から覗かれている無警戒な人、動物)を巻き込むことが中核にある。

・パラフィリア症群はまた、著しい苦痛を本人に引き起こしたり、傷害や死亡に至る重大なリスクを伴ったりするものであれば、他の非定型的な性的興奮のパターンを含むことがある。

 この障害が診断されるためには、それが本人に苦痛をもたらしていたり、日常生活に支障をきたしていたり、あるいは他者に危害を及ぼしたりしている必要がある。

 パラフィリア症には、大きく分けて2種類があり、1つは「性的対象」が非定型的であるケース、もう1つは「性的満足を得る方法」が非定型的であるケースだ。

 前者には、子どもを性的対象とする小児性愛症、同意のない相手に対するその他のパラフィリア症(動物や死体などへの性行為)などがある。後者には、窃触症(痴漢行為)、露出症、窃視症(のぞき、盗撮行為)などがある。いうまでもなく、このような同意のない、あるいは同意できない相手を対象とする性行為のほとんどは、性犯罪を構成する。

 今回は、おそらく小児性愛症であると判断されたと思われる。小児性愛症は、通常被害者が13歳以下のケースを指し、男性の場合、女性の場合、さらに男女両方である場合がある。

性的行為の強要は著しい人権侵害

 子どもはもちろん、性的行動に対して、同意できる能力を有していない。こうした発達途上の相手に対し、性的行為を強要することは、著しい人権侵害であり、被害者にとっては長期間にわたる心身への悪影響をもたらすことがある。

 被害者のなかには、13歳以上の人もいたと思われるが、その場合はその行為は小児性愛症に基づくものとは言えない。しかし、被害者が同意していない、あるいは加害者との関係性や恐怖心から拒むことができなかったのであれば、それは強制性交や強制わいせつ(2023年7月に改正された刑法では、不同意性交、不同意わいせつ)に当たる可能性があり、やはり犯罪である。

 小児性愛症を含むパラフィリア症は、強烈な性的空想や衝動が特徴で、その性的行動をコントロールできないところが問題である。自身では「いけない」「もうやめよう」と思っていても、それをコントロールすることができない。また、逮捕などのネガティブな結果が生じてもやめることができないのである。

 一方、同性愛は、パラフィリア症ではない。同性愛行為は、広く一般的に認められる正常な性行動であり、それは医学的な診断の対象ではない。

故人に対する「診断」の妥当性

 故人に対して、「性嗜好異常」などの判断を下すことに疑問を持たれた人もいるかもしれない。しかし、多数の被害者に対するヒアリングから、その行動傾向が明らかになれば、客観的な診断基準に従って診断をすることは可能であろう。

 また、会ったこともない相手の診断を公表することを禁ずる「ゴールドウォーター・ルール」に抵触するのではという懸念がある。しかし、同ルールでは「当人に対して実際に診察を行い、かつ情報公開に対して適切な認可を与えられていない限り、精神科医が専門家として意見を提供することは非倫理的である」と規定されており、今回はいずれも当てはまらないと見ることができる。

 なぜなら、確かに当人には会って診察はしていないが、先に述べたように客観的な行動を複数の情報源からつぶさに検討することは可能である。そして、何よりも「特別チーム」にはその専門的な判断を公表する権限が与えられている。

 さらに、形式的なことを言えば同基準はアメリカ精神医学会のルールであり、日本の専門家を縛るものではない。したがって、日本の法律や学会の倫理基準などに従って、誠実に専門家としての職責を果たしているのであれば、何ら問題はないどころか、非常に社会的意義の大きなことである。

 一連の事件は、もちろん単にパラフィリアだけが原因とは言えない。特別チームが報告しているように、ジャニーズ事務所のガバナンスの欠如や不作為、メディアや社会による問題の放置などの問題が複雑に絡まり合っている。

 しかし、もし早期に犯罪行為が認定され、パラフィリアの診断がなされていたならば、処罰に加えて適切な治療を行うことで、さらなる被害は防げたのではないだろうか。この意味においても、ジャニーズ事務所や社会の無関心、放置の責任はきわめて大きいと言わざるをえない。

性問題の専門家の養成を

 現在、刑務所では「性犯罪者再犯防止プログラム」が実施され、認知行動療法という心理療法を中心とした治療が行われている。また、医療機関でも、パラフィリア症の治療を受けることができる。

 一方、問題も多くある。一番大きな問題は、パラフィリア症の専門家がきわめて少ないという事実である。今回の事件を機に、社会は性犯罪の被害から目をそらさず、この問題を真摯に受け止め、人権教育や性教育の推進とならんで、性問題の専門家(被害者へのカウンセリングや治療、加害者の再加害防止のための治療)の養成や治療機関の拡充などを真剣に進めるべきである。


原田 隆之(はらだ たかゆき)Takayuki Harada
筑波大学教授
1964年生まれ。一橋大学大学院博士後期課程中退、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校大学院修士課程修了。法務省法務専門官、国連Associate Expert等を歴任。筑波大学教授。保健学博士(東京大学)。東京大学大学院医学系研究科客員研究員。主たる研究領域は、犯罪心理学、認知行動療法とエビデンスに基づいた心理臨床である。テーマとしては、犯罪・非行、依存症、性犯罪等に対する実証的研究を行っている