近年、テレビ局アナウンサーの退職が週刊誌やスポーツ紙などの紙面で報じられる機会が増えている。
なかでも目立つのが30代、経験を重ね、脂が乗ってきた頃の突然の退社のニュース。アナウンサーとして知名度も実力も兼ね備えながら、フリーランスとして独立するだけでなく、異業種への転職や起業など様々なパターンが見られるが、花形職種であるはずのアナウンサーのキャリアに今、何が起こっているのか。
そこで、アナウンサーの転職記事でもまだあまり見かけない、ローカル局アナウンサーのキャリアデザインについて、元愛媛朝日テレビの戸谷勇斗氏(35)に話を伺った。
ローカル局アナは、ディレクターも編集もできて一人前
東京都大田区出身、学生時代は神奈川県で過ごした戸谷氏。元々ゆかりのない愛媛でアナウンサーになったのはなぜなのだろうか。
「私は小学生時代から朗読など声で表現することが好きでした。中学・高校時代は陸上競技に打ち込んでいました。中学生の時に全国大会に臨む直前の私の姿がテレビの報道番組に取り上げられたことがあり、すごく誇らしかったのです。普通の中学生だった私がヒーローになったような感覚で、それが放送業界に興味を持つきっかけになったと思います。
大学ではマスコミ志望者が集うゼミに入りました。アナウンサーの就職活動はキー局からスタートするのですが、順番に全国各局を受けた結果、たまたまご縁があったのが愛媛朝日テレビでした」
激戦を勝ち抜き、アナウンサーになる夢を愛媛でかなえた戸谷氏。実際のアナウンサー生活はどのようなものだったのだろうか。
「ローカル局の場合、アナウンサーとして話す仕事だけでなく、記者やディレクターの三足のわらじを履いている感じです。局によって異なりますが、愛媛朝日テレビは原稿を書き、映像編集やナレーション収録も自分でやっていましたね。
入社1年目にジュニアアスリートを取り上げるスポーツコーナーを担当したのですが、4分くらいのVTRを週に1本作らないといけなくて……。そのために1日取材して、2日かけて編集して、オンエアしたらその当日からまた次の取材のためのアポを取り始める、という感じでした。
それが毎週続くのでなかなか大変でしたね。でも結果的には色々なスキルが身について、数年後には何でもひとりでできる状態になっていたので良い経験をさせていただいたと思っています」
キー局の場合は基本的に分業されており、外部の番組制作会社が入ることもあるため、アナウンサーが自ら編集作業やディレクションをする機会は少ないだろう。日常的に業務を兼任しながら番組作りをしているのは、限られた予算、人員で運営しているローカル局ならではの事情なのだろうか。
ただ、戸谷氏がセカンドキャリアを考え始めたきっかけはまた別のところにあるようだ。
「東京オリンピック2020」を区切りに、局以外のキャリアを意識
「2013年に『東京オリンピック2020』の開催が決まり、東京オリンピックが終わるまでは絶対に放送業界にいようと思っていました。しかし、新型コロナウイルスの影響や、『Netflix』など様々な動画配信サービスの普及が加速し、その影響を受けて、アナウンサーの友人だけでなく、営業職の仲間もテレビ局以外の場所で働く選択肢を模索していましたね。彼らの姿を見て、私自身も別の道を意識するようになりました」
アナウンサーとしてキャリアを重ねた次の働き方として、どのような思いを持って転職活動をしたのだろうか。
「アナウンサーとしておこなってきた『伝える』ということを軸に職種を考え、広報職なら持っているスキルを活かせるのではないかと思いました。もうひとつの軸はスポーツです。
私を成長させてくれたスポーツに恩返しをしたいという思いがあったので、数ある企業の中でもスポーツに関われる広報の仕事を探した結果、ご縁があったのが『セガサミー』だった。
セガサミーは『感動体験を創造し続ける 〜社会をもっと元気に、カラフルに。〜』というミッション・パーパスを掲げており、スポーツも含んだエンタテインメント、リゾート事業など幅広い領域でその実現に向け取り組んでいます。広報の仕事もスポーツに偏り過ぎず、フラットに幅広く関われるという点が魅力のひとつでした」
セガサミーに入社して、アナウンサーとして培った経験やスキルが活かされる場面はどんなところにあるのだろうか。
「オウンドメディアのスポーツコラム執筆を担当していますが、取材も原稿作成も前職でたくさん経験してきましたし、プレスリリースなどを書く時に必要なリサーチ能力もアナウンサー時代から磨いてきたスキルが活かされていると感じます。
他にも実況や司会の仕事もさせていただいています。セガサミーのグループ会社の一つである株式会社ダーツライブが通年でLIVE配信をしているプロの試合の実況や、北海道のザ・ノースカントリーゴルフクラブで開催している男子プロゴルフトーナメント『セガサミーカップ』の表彰式の司会も担当しました。
また、社内で行われる自社のプロバスケットボールチームのパブリックビューイングイベントの司会などいくつものチャンスに恵まれ、アナウンサーとしてのスキルも磨いていきたい私としては非常にありがたいと感じています」
「企業広報×フリーアナウンサー」というパラレルキャリア
戸谷氏は現在、セガサミーの広報だけでなく、パラレルキャリアでフリーアナウンサーとしても活動しているのだという。(※パラレルキャリア→本業を持ちながら、第二の活動をすること)
「元々、アナウンサーの仕事が嫌になったわけではなく、声の表現の仕事はずっと続けていきたいと思っていました。会社員として勤務する他に、ケーブルテレビで高校野球の神奈川大会の実況や、eスポーツの実況のお仕事もいただいたりしています」
今、注目され、増加傾向にあるパラレルキャリアだが、会社員との両立は簡単ではなさそうだ。収入が増えること以外にどんなメリットがあるのだろうか。
「前提として、広報のプロとして成長しなければと思っています。今はとにかく時間のやり繰りが難しいですね。高校野球の実況もそうですが、アナウンサーの仕事は情報収集など準備に時間がかかるので、睡眠時間を削ったりしてなんとか調整しています。好きなことなので苦にはなりませんが、それぞれ仕事のパフォーマンスに影響が出ないように気を使っています。
パラレルキャリアのメリットとしては、アナウンサーという仕事は非常に限定的で、アナウンサーを求めている場所にしかニーズがありませんが、『私はセガサミーの広報担当で、フリーアナウンサーもやっています』とお話することによって『スポンサーになってイベントを一緒にやりませんか』というような別の話もできます。
仕事の幅が広がりますし、そこは両輪でやっていて本当に良かったと思う部分です」
キー局アナの転職で感じるキャリアの危機感
近年、アナウンサーの転職のニュースが増えていることについて、当事者でもある戸谷氏はどのように感じていたのだろうか。
「私もまさに、トヨタ自動車に転職された富川悠太さん(元テレビ朝日)やフリーアナウンサーでありながら研究者でもある枡太一さん(元日本テレビ)のニュースを見て、これはアナウンサー1本では厳しい時代が来ているのだと感じました。
キー局のアナウンサーがこれからという時期に退職していく現実を目の当たりにして、アナウンサーがそれまでのキャリアを活かしながら異業種に転職する、パラレルキャリアを築く、そういう時代が来ているのだという危機感は私を含めてローカル局のアナウンサーはなおさら感じている部分だと思います」
キー局アナウンサーの転職のニュースは、知名度が全国区ではないローカル局アナウンサーにとっても危機感を感じる出来事であるという。そのような状況のなかでセカンドキャリアに踏み出した戸谷氏に、これから実現したいことを聞いてみた。
「まずは企業広報のプロとしてスキルをしっかり身につけて勝負できるようになりたいです。アナウンサーとしては戦えますが、まだまだ企業人としては勝負できないので。
現在、セガサミーにはバスケットボールチーム『サンロッカーズ渋谷』、ダンスチーム『SEGA SAMMY LUX』、競技麻雀Mリーグに参戦する『セガサミーフェニックス』といった3つのプロチームがあり、さらに社会人野球チームが活動しています。
個人的には、一つの競技にフォーカスするというよりは、スポーツを通じた場作りをしたい。例えば『サンロッカーズ渋谷』は渋谷界隈で活動しているので、街とバスケットボールのつながりで地域を盛り上げるキーマンになっていくというようなことですね」
スポーツと地域のつながりという点では、地域に根ざしたローカル局アナウンサーならではの経験が存分に活かせる領域かもしれない。活動のフィールドを広げ、企業広報とアナウンサーという2つの武器を手に入れた戸谷氏の今後の動きに要注目だ。
※戸谷氏のセカンドキャリアや転職に対しての考えなど詳しい内容はWebサイト『エンタメ人』にて→https://entamejin.com/column/archives/7309